運命の二択 2009.04.08


八代洲屋敷は江戸城の東、和田倉門と馬場先門のちょうど真ん中あたりの堀端にある。
門構えは素っ気ないが、そこそこ立派な武家屋敷で、呆れるほど広い庭を擁していた。
譜代の臣が軒を連ねる大名小路に居を構えるからには、当然ながらこの屋敷の主人もいずれ名だたる大身の武家であろう。とまあ普通はそう考えるがさにあらず。

八代洲屋敷の主人は武家ではない。世に言う異国人であった。
天竺のそのまた向こうの西の果て、阿蘭陀(オランダ)なる国の出で、名を八代洲という。

今を遡ること十年と少し前、八代洲の乗った船が豊後に漂着したのは全くの偶然だった。
アジアへの新航路を探るべくロッテルダムを船出すれば、ご丁寧に行く先々で嵐に遭い、あてどもなく漂流するまま太平洋を横断してしまい、気がついたら日本に流れ着いていたという次第。その間の顛末を黄表紙にでもすれば、さぞや好評を博すだろう。

以来、八代洲はこの国の天下人たる大御所のもとで外交顧問として仕えている。
通訳に砲術指南に大御所の使い走りにと、多岐に渡って日々奔走しているそうだ。
同僚の三浦某によれば、たまに西の丸御殿の庭の松に向かって、疲れた顔で「人生の選択を間違えたかも」などとぶつぶつ呟いているとか。

ちなみに本来の名であるヤン=ヨーステンを“やよす”と勝手に縮めて、適当な漢字を振ったのも大御所である。確かに八代洲の本名はやたら長いので文句は言えない。
出会い頭に慌てず騒がず、懐の覚え書きに目もやらず、舌も噛まず、油を引いたがごとく滑らかに“ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン”と呼んでくれと望むほうがどうかしている。

さて、八代洲屋敷には主人の他にも異国人がいた。八代洲と同じ紅毛人で、およそ二月ほど前から客分の扱いで屋敷に逗留している。

屋敷内で最も広い座敷に陣取り、あたり一面に書籍だの巻物だの小山をいくつも築いては、終日のたり飽きもせず読みふけっている様は学者の類に他ならない。
が、一応の身分は商人である。
オランダ国の商館より派遣された者で、名をブライアン・クライフォートという。八代洲には及ばないが長いことに変わりない。

異国での心配事といえばまず言葉であるが、読み書きについてはもとより不自由ない。
話すほうはといえば、八代洲屋敷に居着いていくらも経たないうちに、そこらの店先で江戸っ子とたわいない世間話を楽しんだり、百戦錬磨の上方商人に値切り勝つまでになった。
今では日本橋の書物問屋をはじめとする江戸のあらゆる本屋にふらりと立ち寄っては、あれこれ品定めに余念がない。特に古本を値踏みする目つきは本業以上に熱心だ。

書を読む片手間に商いをこなす主客転倒の働きぶりは、上役のオランダ商館長をいたく嘆かせているそうだが、本人はいたって涼しい顔で古書蒐集に励んでいる。
なんでも部下とはいえクライフォートの方が家格はずっと上らしい。将軍家の御子息が勘定吟味役を務めるようなものか。勘定奉行はさぞや頭の上がらぬことだろう。

そんなわけでクライフォートは、誰にはばかることなく勝手気ままに日々を過ごしている。
が、今日ばかりは事情が違った。
淡々と文机に向かい、かび臭い古書を紐解くかわりに、とある書状をつまらなさげに眺めている。少ししてぼそりとつぶやいた。

「狸爺め。なにを考えているのやら」

内容は即刻登城せよの一文のみ。
実はこの書状、先日も同様に送られてきていて、その時はちょうどうまい具合に江戸にいた商館長に押しつけてやり過ごした。なのに性懲りもなく今度は名指しで送りつけてくるとは、よほどクライフォートに用があるのだろう。迷惑なことだ。

書状をたたむとクライフォートはため息をついた。



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