■ Buon Natale 2010 | 2011.01.03 |
日向はクラブハウスの廊下を足早に歩いていた。 クリスマス休暇中で館内は閑散としている。廊下のど真ん中をずんずん進み、食堂の扉を押し開けたが誰もいない。ざっと中を見渡す。最奥部の隅っこにぽつんと置かれたテーブルに目を留め、気安い調子で声を掛けた。 「よう。まだいたのかジェンティーレ。クリスマスだし早く帰った方がいいぜ」 ジェンティーレはテーブルに突っ伏したまま身動きひとつしない。 「おーいジェンティーレ。聞こえてるか〜?」 近寄って何度も話しかけてみたが反応がない。返事もない。 そういや以前、反町が東邦の寮でやたらハマってたTVゲームにこういう場面があったな。 記憶の糸をたどっていくと案外あっさりひらめいた。 「思い出した! “へんじがない、ただのしかばねのようだ”」 ようやく胸のつかえが下り、ハレバレとした顔で手ガッツポーズをとる。 すると下から蚊が鳴くような弱々しい声がした。 「……ナターレなんか無くなっちまえばいいのに」 「へ? なんだナターレって。そんな名前のヤツ、クラブにいたか?」 日向は真顔で首を傾げる。 ただの屍状態だったジェンティーレががばっと飛び起きた。 「おま、ナターレ知らないってウソだろ―― !?」 「ウソなんかついてねえよ。マジで知らねえんだ」 「だってお前、日本でも毎年ナターレ祝ってたんだろ。弟や妹たちのために、トウフをケーキに見立ててローソク立てたり、画用紙にケンタッキーの絵を描いてチャブダイに飾ってさ。マジ感動したぜ。全米が泣きまくりだな。ところでチャブダイってなんだ?」 ジェンティーレの長広舌を呆然と聞いていた日向だが、にわかに正気に返って絶叫する。 「おおおお前その話どこから聞きやがった――― !?」 「こないだお前の後輩が電話してきたぜ。先輩思いのいいヤツじゃねえか」 タケシ―― !? てめえはまた余計なことペラペラ喋りやがって――! 今度会ったらただじゃおかねえ。拳を震わせながら固く胸に誓っていると、ジェンティーレが妙なことを言い出した。どことなくふて腐れた顔で。 「それに去年のナターレはミラノに繰り出して、コザルと二人でメシ食ったんだろ」 「いや、あんときゃクリスマスで、赤井と内海さんもいっしょだったぜ」 「アカイとか細けぇこたどーだっていい。なんでオレも呼ばねえんだ!」 日本人同士の交流会になんでお前を呼ばなきゃなんねえんだよ。 心の中でぼやいてから、ふと気づいた。 ヤツの言う“ナターレ”とやらをクリスマスに置き換えると話の筋が通るんじゃないか。 「なあジェンティーレ。ナターレってクリスマスのこと言ってんのか?」 「はァ? ナターレはナターレだよ。言葉のまんま、ジーザスの誕生日だろ。ジーザスってもオレンジの変人じゃねえぞ。今年で2010歳の救世主のほうだ」 「いや、だからそいつイエスキリストだろ。ならクリスマスじゃねえか」 「ナターレをクリスマスなんてナンパなもんと一緒にすんな。ナターレはナターレだ」 なにバカなこと聞くんだこのバカ、と言わんばかりの態度でジェンティーレは肩をすくめた。 バカはてめえだこのバカ野郎。ジェンティーレの頭をぶん殴りたくなったがぐっと我慢する。 いまはコイツとケンカしている場合じゃないのだ。 日向はジェンティーレをまっすぐ見据えた。 「じゃ言い直すぜ。今日はナターレだし早く帰れば?」 ジェンティーレは再びへろへろとテーブルに突っ伏してしまった。 「お、おい。しっかりしろジェンティーレ」 「……なあヒューガ。最近コザルから連絡あるか」 「コザル? ああ葵のことか。結構電話してくるぜ」 あいつ喋り出すと止まらねえよな。こっちもノンストップ青信号ってかハハハ。 柄にもなく軽口を叩いてジェンティーレを見下ろす。 二人の間を哀愁のすきま風が吹き抜けていった。 「……もしかして葵から電話、こないのか?」 へんじがない。ただのしかばねのようだ。 「向こうがかけてこねえなら、お前がかけりゃいいじゃねえか」 日向の言葉に、ジェンティーレは血相を変えて起き上がった。 「冗談じゃねえ、なんでオレの方からわざわざ電話しなきゃなんねーんだ !?」 「じゃあ待ってろ。電話が鳴るまでおとなしく」 「自慢じゃねえが一週間前から待ってんだぞ!これ以上どーしろってんだ !?」 ジェンティーレの血を吐くような叫びが食堂内をこだました。 そうか……ケータイ片手に一週間も電話待ちしてたのか。 一昔前のトレンディドラマのヒロインかよお前。ちくしょう泣けてくるぜ。色んな意味でな! 「……なんだよその哀れなものを見るよなマナザシは。チクショーもー我慢できねえ!」 ついにマジ切れしたのか、ジェンティーレは携帯電話を高らかに掲げた。 「こーなったらテキトーな女呼び出してパーっと遊んでやんよ!」 「ちょ、おま、落ち着けって。早まるな――― !?」 「うるせー邪魔すんな。お前にゃカンケーねえだろヒューガ!」 ぎゃあぎゃあ言い争いながら携帯電話を取り合いしていると、いきなり日向の胸ポケットから某生命保険会社のCMソングがアヒルンルン〜♪と流れ出した。 しまった。シャレで設定した着うた変えるの忘れてた――! ていうか妹の直子が、あたしこの着うた大好きっ、小次郎兄ちゃんも使いなよ!って言うからしかたなく……だな! 誰も聞いてないのに頭の中で必死に言い訳しながら、着信者を確認する。 日向は自分の携帯をジェンティーレの眼前に突きつけた。 「ほらジェンティーレ。早く出ろよ」 「え、だってそれお前あての電話だろ、なんでオレが……」 「だーッまだるっこしいッ、いいから切れる前にさっさと出やがれ!」 こぶしを固めた日向に一喝されて、ジェンティーレはようやく携帯を受け取った。 少しためらってから、愛想のない声を出す。 「――よう、なんか用か」 携帯の向こうからものすごい大声が飛んできた。 隣に立つ日向もたじろいで耳を押さえたくなるほどの大音響。 「もーなにやってんのさ、さっさと出てよね! ていうかもう夕方だよ。ナターレだってのに朝からどこほっつき歩いてんのさ。早く帰って来てよね、できたら10分以内に。でないと料理が冷めちゃうよ!って聞いてんのジェンティーレ !?」 ジェンティーレのヤツ、耳元でこんな大声聞かされて鼓膜の方は大丈夫だろうか。 だがその心配は杞憂だった。 「……わかった、5分で戻る!」 ジェンティーレはまるで平気な顔でうなずいた。 こいつの耳はどーなってんだ。頭に花が咲いたみたいな脳天気なツラしてやがる。 日向が呆れ顔で様子を見ていると、ジェンティーレは携帯電話をパチンとたたんだ。 「じゃ、そーゆーことで! 休み明けにまたな〜!」 「ちょっと待て。オレのケータイ返せ」 「え、ああ悪ィ。ほらよ」 ジェンティーレが無造作に放り投げた携帯電話をあわててキャッチする。 顔を上げると、出口から走り去るジェンティーレの背中が見えた。 世にも幸せそうなその足取りに一抹の不安が胸をよぎる。 あんなに浮かれていてまともに車の運転ができるのか。ただでさえ荒っぽい運転がさらにアバウトになって、アクション映画の暴走車と化すんじゃなかろうか。 やはり駐車場へひとっ走りして車のキーを没収すべきか悩んでいると、手の中の携帯が再びアヒルの円舞曲を奏でだした。見るとまたもや葵である。 「もしもーし日向さん〜? 面倒なこと頼んじゃって申し訳ありませんでした〜」 「たいした手間じゃねえよ。あいつ、お前の予想通りドンピシャで食堂にいたからな」 「そーですか〜! よかった。オレ今朝急いでたもんでケータイ持ってくるの忘れちゃって〜。ここの大家さんから電話借りたんですけど、ジェンティーレの携帯番号わかんないから掛けられないしー。ケータイ無いとホント不便ですねえ」 そう。日向が食堂に赴きジェンティーレに声を掛けたのは偶然でもなんでもない。葵に頼み込まれたからである。ちょうどクラブハウスに寄るついでもあったし、二つ返事で引き受けたのだ。 「あ、そーだ。日向さんもこっち来ません? オレ、料理いーっぱい作ったんですよ〜!」 葵が言ったとたん、携帯の向こうでドアが開く音と、そして誰かがなにかに足を取られて盛大にひっくり返ったような物音が聞こえてきた。 「あーおかえり〜ジェンティーレ。屑籠ちゃんと戻しといてよ。日向さんも呼んでいい?」 「なにィ !? ダメだダメだそんなもん絶対呼ぶな!さっさと切っちまえ! いくらなんでもヒューガだってナターレの夜に約束のひとつくらいあんだろ。イタリアにナターレを独り寂しく過ごす男なんかいるわけねえ。いたらそりゃビョーキかなんかだ!」 あいつ本当に五分以内に帰り着いたのか。もはや執念だなこりゃ。 驚きを通り越して呆れたが、そんなことよりてめえ、なんだその言いぐさは。 オレだってこれからレッジアーナの元仲間達と集まる約束があるんだぞ。実家に帰省しない若手と独身男ばっかの宴会だがな。独り寂しくもないしビョーキでもねえぞ! 悲しくなんかないぜ…ハハハ……ハ。 ああ葵にチクってやりてえ。コイツお前を捨てて女遊びに繰り出そうとしてたんだぜって。 事実を暴露したい誘惑に負けそうになったが、ギリギリでこらえた。 ダメだ。そんなことしたら葵が可哀想じゃないか。朝っぱらからあんなにはりきってクリスマス、いやナターレの準備をしたってのに。ここはオレの胸の内におさめておくべきだ。 決意に満ちた表情で日向は携帯を切った。 日向の涙ぐましい自制心のおかげでジェンティーレは事なきを得た。 とりあえず今日の所は。 あいにく日向は知らなかった。 基本的に可哀想なのはジェンティーレであることを。 そして可哀想でもなんでもない葵が、実は前日の24日はヘルナンデスと過ごし、そして年末はオランダに長逗留する予定を入れているということを。 >あとがき 1月6日まではクリスマス期間です。言い訳です。はい。 自分から電話できず一週間も電話待ちのオトメジェンチ。 しかもこのヘタレ、お調子者で恩知らずなんだぜ。 こんなんとトモダチやってる日向さんの日々の苦労が偲ばれます。 ← 戻る |