■ 幸せの青いカステラ | 2010.03.10 |
せっかくのオフ日、それも誕生日だというのに、ジェンティーレは床に伏せっていた。 昨夜から尋常でない吐き気と腹部不快感に悩まされている。 おそらく青カビテラの過剰摂取による腸炎だろう。 「おーいジェンティーレ、生きてる…じゃね、起きてる〜?」 失礼なセリフと共に葵が部屋にずかずか入ってきた。 ベッド脇のテーブルに持っていたトレイを置くと、あきれ顔で言う。 「もーカピバラなんか食べてお腹こわすなんてバカじゃない?」 言葉の端々にとげとげしさが感じられる。 自慢の料理の腕をふるう計画がパーになったのがよほど悔しいのだろう。 ジェンティーレの誕生日のために山ほど食材を抱え、はりきってトリノにやって来たのに、当の本人が腹を抱えて台所に転がっていたのだから、葵の怒りも無理はない。 そのときジェンティーレはうっすら意識を取り戻し、ふるえる声でつぶやいた。 「……か、カピ…テラ……」 断じてカピバラではない。カビ「テラ」である。 この言葉を葵はカピバラと聞き違えたらしい。 おかげでジェンティーレは、アマゾン川流域に生息する巨大ネズミを丸ごと頭からバリバリ食べて腹をこわしたアホ男認定されてしまったのだ。 なんだその悪意に満ちた想像は。オレは石斧かついだ原始人か? いくなんでも生で巨大ネズミなんか食わねえよ! ジェンティーレはベッドから身を起こして怒鳴った。 「だーかーら、カピバラじゃねえ、青カビテラだ!」 「はあ、アオカビテラ? なんだよそれ?」 怪訝そうに問いただす葵に、思わずうっと詰まる。 「な、なんでもない。たいしたことじゃねえから気にすんな!」 「だったらなんで目が泳いでんの?」 あからさまに怪しんだ顔でジェンティーレの瞳をのぞき込む。 「め、目なんか泳いじゃいねえ!」 と主張しつつ葵の視線から逃れるように顔を背けるあたり、我ながら説得力に欠けていると認めざるを得ない。ちらっと横目で確認したら、葵はさらに猜疑心をつのらせた様子でこちらをにらんでいる。 まずい。なにかヤツの気をそらすうまい手はないものか。 背中にイヤな汗をダラダラ流しつつ、必死に適当な言い訳を見繕っていると、葵はひょいっと肩をすくめた。 「ま、いっか。これ冷めちゃうから早く食べて」 そう言ってジェンティーレの鼻先にスープ皿を突きつけた。 胃腸に優しい食事といえば、中身はポレンタかパスタ・ビアンカあたりか。 練りすぎてトルコアイス並に粘ってのびるトウモロコシがゆと、伸びきったパンツのゴムひもみたいにゆるゆるグダグダの茹で麺を想像して、ジェンティーレは軽く絶望した。 だがジェンティーレは間違っていた。 本当の絶望はまだまだそんなものではなかったのだ。 受け取った皿のふたを取り、息をのむ。 湯で満たされた皿の中に、パウンドケーキを2センチ幅に切ったものがぷかりと浮かんでいる。 「……上下が茶色く、中が黄色のパウンドケーキ?」 ジェンティーレはこれとよく似たものに心当たりがあった。 昨日シロネコトマトがご丁寧に時間指定で運んできたそれは、黄色の地の部分が青カビでまんべんなく覆われていた。あたかも上質のゴルゴンゾーラのごとく。 青カビまみれのカステラ、それが青カビテラの正体である。 「おいサル。これ、昨日お前が送って寄越したアレか !?」 「へ? これってカステラのこと? オレそんなの送った覚えないよ」 ジェンティーレの言葉に驚いたように葵が首を振った。 「えーとまずクライフォートの誕生日にカステラ焼いて、それをジノの誕生日にプレゼントしたんだよな。それから誰にも贈ってないし、送ってもいないぞ」 「クライフォートにジノだと……?」 ジェンティーレは愕然とつぶやいた。 なんとなくコトの真相が見えた気がする。 葵がスープ皿に視線をやった。 「それにこのカステラ、昨日うちで焼いて持ってきたもんだし」 「なあ。ひとつ聞いていいか」 ジェンティーレの顔はいつになく真顔である。 「なんだよ、マジ顔であらたまっちゃってさあ〜」 「オレンジ野郎、いやクライフォートの誕生日っていつだ?」 「1月の9日だよ。それがどーかした?」 そうそうアヤックスの叶ってばいっつもクライフォートの誕生日忘れて大変なんだって〜とけらけら笑う葵の声など、ジェンティーレの耳には届いていなかった。 「ジノの野郎、よくもサルの名を騙ってオレんとこに危険物送りつけやがったな―― !?」 オレンジ野郎の誕生日ってことはつまり、焼いてから二ヶ月経った無添加手作りカステラかよ! どうりで青カビだらけなはずだぜ! ちくしょー覚えてやがれあの腹黒キーパー! 怒りのあまり腹痛も忘れ、復讐の炎に燃えて心のデスノートにジノの名前を書き殴っていると、葵がきょとんとした顔で首を傾げた。 「ジノ? ジノがなんか送ってきたの?」 「いっ、いいや! ジノの野郎は時間指定の小包なんか一個も送ってきちゃいねえぜ!」 しまったと思ったがもう遅い。 聞かれてもいないことをぺらぺら喋りまくるのは、判断力が低下している証拠である。こんな状態のCBをブチ抜くことなど赤子の手を捻るよりも容易い、とかなんとかどこぞの司令塔に淡々と語られても反論できないだろう。 だが真実を明かすわけにはいかないのだ。 もしもジェンティーレが腹を壊した原因が自分のカステラにあると知ったなら、葵はどれほどショックを受けるだろう。 「オレのせいでホントにゴメン。……オレたちの仲もこれまでだね。今まで楽しかったよ、ありがとう。もう逢えないけど元気でね……!」なんて叫ばれたうえ、泣きながら走り去られたらどーすんだオレ。泣きたいのはこっちの方だっての! ――ではなくて。今は妄想でパニクってる場合じゃない。 ジェンティーレは決然と顔を上げた。 もの問いたげな葵の機先を制するように、スープ皿に添えられたスプーンをひっつかむ。 すでにぬるま湯でふやけきったカステラを大きくすくい取り、そのあまりのグズグズっぷりに一瞬怯むも、ええい、ままよと覚悟を決めて口に突っ込んだ。 舌先で淡雪のようにはかなく溶けていくその食感は、たとえるならスープを加熱しすぎて溶け崩れたクルトンのよう。甘くもなく辛くもない。というか味がまるでない。なんの抵抗もなくするっとのどを通っていく。 「なにィ! けっこう普通に食えるじゃねえかコレ――!?」 美味いとまではいかないが、とりあえず病中病後の栄養補給には十分合格ラインといえる。 葵は心底驚いた顔でのたまった。 「え、マジ? てことはクライフォートの話ホントだったんだ」 とうてい聞き捨てならないその名前に、ジェンティーレは当然ながら即座に反応した。 「ちょっと待て。あのヤローが一枚かんでんのか?」 「さっきオランダに長距離電話かけて聞いたんだ。病人および食あたりの金髪ゴリラにはカステラに湯をかけて与えるといいんだって!」 「ゴラァ誰が金髪ゴリラだ――!?」 おいサル。そんなのジェンティーレに決まってるじゃん、と言わんばかりの目でこっち見るな。 葵がふと思い出したように手を打った。 「そうそう。わさびと大根おろし、どっちがいい?」 「はぁ? 唐突になに言ってんだお前」 「なにってカステラの付け合わせに決まってんじゃん」 なん…だと……? カステラの付け合わせに、わさびと大根おろしだと…… !? 「江戸時代の文献に伝わる由緒正しき食べ方だってクライフォートが言ってたぞ」 「……そーか……あのヤロー今度会ったら容赦しねえ!」 あのオレンジ野郎、いつもいつもバカザルにくだらねえこと吹き込みやがって〜 !? クライフォートの無表情で人を小馬鹿にした態度を思い出し、怒りで血管が切れそうになる。 そんなジェンティーレを現実に引き戻したのは、鼻にツンとくる刺激臭だった。 「さあさあ遠慮なく選んでよ。心配しないでもお代わりはたーっくさんあるから!」 わさびと大根おろしの小皿を持って笑顔で迫る葵に、ジェンティーレは追いつめられた。 ピンチの時ほど不敵に笑い、発想を逆転させて勝利を掴む。それがクールな男だ。 とはいえそう易々と気の利いたアイデアなんか思いつくワケがない。 いよいよ諦めかけたその時、ジェンティーレの脳裏に天啓のごとく名案(?)がひらめいた。 咳払いをして大きく息を吸う。おもむろに大袈裟に腹を押さえ、大声で叫んだ。 「うぉおッ、なんか急にハラがちょー痛くなってきたぜ!」 「ええっ、大丈夫ジェンティーレ !?」 幼稚園のお遊戯会では立ち木や昆布の役が定番だったジェンティーレらしい、不自然かつわざとらしい演技であるが、葵はあっさり引っかかり、トレイに皿を置いて心配そうに身を乗り出してくる。 すかさず葵の手首をつかんで強引にベッドの中に引っ張り込んだ。 「ちょ、ちょっとなにすんのさー!?」 「おーヌクヌク温かい。子供かよお前。ま、サイズ的にはカンペキ子供だな、ハハハ」 「きーっ、バカにすんなこのバカゴリラ〜 !?」 「うるせー湯たんぽはおとなしくしてろ」 じたばた暴れる葵を腕の中にすっぽり抱え込む。 湯たんぽと言ってはみたが、本当にほっこりと温かい。 衣服越しに伝わってくるささやかな体温がとても愛おしい。あいかわらず腹は痛いが、頭はすっかり極楽気分で葵をぎゅうぎゅう抱きしめる。 「病人はあったかくして安静にしてなきゃならねえんだ。お前も協力しろ」 「やっ、そんな元気でどこが病人なんだよ〜 !?」 「心配すんなって。腹痛は感染らねえから」 「そーゆー問題じゃないって! ああもう……」 ジノとクライフォートに心の中でざまーみろと舌を出すと、ジェンティーレは葵を組み敷いてシャツのボタンに手をかけた。 >あとがき これ一応ジェンチ誕生日小説です。遅れまくってすいません。 例の葵カステラは青いカビカステラだったもよう。 カステラは危険物だったけどジェンチは幸せそうなので問題ない。と思う。 お江戸のカステラ云々に関して司令塔は嘘ついてません。残念ながら。 冬は熱湯・夏は氷水をかけたかすていら。酒の肴にわさび付きかすていら。 ← 戻る |