■ 誕生日のカステラ | 2010.02.04 |
いつもの行きつけのバールで、いつもの窓際のテーブルのいつもの定位置に腰を下ろし、これまたいつものように止まらない終わらないシンゴの長話に耳を傾けるジノを眺めながら、マッティオは疲れたようにため息をひとつついた。 神サマお願いします、オレを家に帰らせて下さい。 内心祈ってはみたものの、そんな願いが聞き届けられたことなんか一度だってありゃしない。 ゆえに今日もマッティオは、シンゴの脈絡のないマシンガントークの集中打を浴び、ジノのあからさまにとげとげしい視線に耐え、ある意味苦行にも似た居心地の悪さを味わっていた。 そんな相方の苦境なんかてんで気にとめず、シンゴはバール名物の自家製ジェラートをガラスの器に山盛りにして、実に幸せかつ悩みの無さそうな笑顔でぱくついている。 と思いきや真向かいに座るジノの方へ身を乗り出した。 「ねえねえ、ジノは誕生日になにが欲しい?」 「俺はシンゴがくれるものならなんでも嬉しいよ」 エスプレッソのカップを手に、ジノが柔らかな笑みを浮かべて言う。 後光が差して見えるほど善人ヅラしているが、どうせ腹の中では「本当に欲しいものは君なんだけどね」とかほざいてるに決まってる。 ふとジノと目があった。 「それがなにか問題でも?」と言わんばかりの表情に、どっと疲れがこみ上げてきた。 問題なんかありまくりに決まってんだろバカ野郎。 さすがに呆れてなにか言ってやろうとしたら、シンゴに先を越された。 「なんでも嬉しい……の?」 マッティオは一瞬なんのことやらわからなかった。 少ししてそれがジノへの問いかけだと気づく。 シンゴはいつになく真剣な顔でジノをまっすぐ見据えると、 「“なんでもいい”は“どうでもいい”の裏返しで、相手への無関心が透けて見える誠意のない言葉だな、って言ってたぞ」 常日頃のシンゴらしからぬ鋭いツッコミにジノが思わず絶句する。 どうしたんだこいつ。なんか妙なモンでも食ったんだろうか。 ……ちょっと待て。“言ってた” だと? ジノもマッティオと同じ疑問に思い至ったらしい。 「ねえシンゴ。いったいどこの誰が、そんなこと言ったんだい?」 「え? クライフォートだけどそれがどーかした?」 「……そうか。やっぱりあいつか」 かすかに怒りをにじませた声でぽつりとつぶやく。 今さら言うまでもないが、ジノとオランダの司令塔ことブライアン・クライフォートの間柄はすこぶる悪い。お互いサッカー強国のキャプテンどうし仲が悪いとか、両者共に性格がうすら寒く歪んでるせいだとか、不仲の理由はいろいろ挙げられるが、一番の原因はやはりシンゴがらみの件だろう。 どういう訳だか知らない(知りたくもない)が、クライフォートは妙にシンゴを気に入っていて、ジノへの嫌がらせも含めてあれやこれやとちょっかいをかけてくるのだ。 「聞いてシンゴ。俺がなんでもいいって言ったのは決してそんな意味じゃないんだ」 シンゴを見つめるジノの顔はものすごい真剣だ。こんなマジ顔、いつぞやの試合でドイツのシュナイダー相手にPK勝負した時くらいしか見たことない。 「俺のプレゼントを一生懸命選んでくれるシンゴの気持ちこそが最高のプレゼントなんだ。だからその中身に関係なく、俺はなんでも嬉しいんだよ」 「そうなの? 変わってるねえ、ジノは」 不思議そうにちょこんと首を傾げるシンゴの姿に、マッティオはほんの少しジノのことを気の毒に思った。あくまでもほんの少しだけだが。 「ま、シンゴに対してはそーだろうけど、ジェンティーレやオレにはクライフォートの指摘通りの言葉づかいしてんだろ、お前」 「それが何か問題でも?」 ジノは鼻で笑った。 やっぱりこんなヤツ同情すんじゃなかったぜ。 マッティオが内心ムカついていると、シンゴが脳天気な笑顔でぽんと手を打った。 「それじゃこないだクライフォートに教えてもらって焼いたカステラあげるよ!」 世にも恐ろしい提案にジノとマッティオは凍りついた。 クライフォートのレシピでシンゴが焼いた何週間も前のカステラ……だと? それってもうヤバいなんてレベルじゃねえぞ。 シンゴがやけにウキウキした様子で立ち上がった。 「よーし、ちょっくら下宿に戻って用意してくる!」 「ちょ、待てシンゴ―― !?」 マッティオの制止も聞かず、シンゴはすごい勢いで店を飛び出していった。 しばらくマッティオは口をぽっかり開けたまま呆然としていたが、ふと気づく。おもむろに横目でジノを見やると、いつも通り余裕のある風情でエスプレッソを追加注文していた。 な、なんだコイツのこの落ち着きは。 「おいジノ、まさかお前オレにカステラ押しつけようなんて企んでるんじゃ…… !?」 「マッティオがどうしても欲しいってなら、特別にくれてやってもいいけど」 「ばっ、いらねーよそんなもん!」 「そうか。ならシロネコトマトまでひとっ走りして、送り状を取ってきてくれないか」 シロネコトマトとは近年イタリアで急速にシェアを伸ばしつつある運輸会社である。本来はクロネコらしいが、ヨーロッパじゃ縁起が悪いのでシロネコに改名したらしい。トマトに関しては今さら理由を述べるまでもないだろう。 いや、そんなことはどうでもいい。マッティオは胡散臭そうにジノを見た。 「はァ? なんでお前そんなもん欲しいんだ?」 「決まってるだろ。ジェンティーレに送りつけるのさ。差出人はシンゴでね」 湯気の立つエスプレッソを受け取りながら、ジノがしれっと言った。 かくも狡猾な策略をあっさり披露したうえ、いっこうに悪びれる気配がない。 不本意ではあるがつきあいの長いマッティオにはよくわかった。 冗談でもなんでもない。ジノは本気だ、と。 >あとがき いつものようにジェンティーレが不幸になるオチ……かと思いきや、恐怖のカステラが普通に良い出来で一気に勝ち組になれるかも〜。 ← 戻る |