ちょっとオランダまで 2009.09.09

マッティオが新伍の不在に気づいたのは、ドラム缶を引きずりながらグラウンドを30周ほど走り終えた時だった。

「あれ? どこ行ったシンゴ?」

確か25周目までは隣で元気にドラム缶を引っ張ってたはずなんだが。それも二本も。
あいつの体力数値はDNAレベルでイカレてる。

首を傾げつつマッティオが周囲を見回すと、少し先でコンティとトリノが二人揃って行き倒れていた。先行しているのではない。明らかに周回遅れ。
腰にはそれぞれ大型トラックのタイヤが三本ずつ、荒縄でしっかりとくくりつけられている。
マッティオにとってはインテルユース時代の初歩メニューだが、新伍のトンデモ自主トレ初心者にはハードワーク過ぎたらしい。

「なんだあの二人。たかがタイヤ三本でへばってどーすんだ?」

後ろにドラム缶をガラガラ引きずって、あたかも暴走するイノシシのような勢いで走り込んできたストラットが呆れ顔で言う。

規格外ストライカーのお前と一緒にされたらあいつらも困るだろ。
内心そう思いつつマッティオは訊いてみた。

「なあお前。どっかでシンゴ見なかったか?」
「へ? 小動物ならあそこでジタバタしてるじゃねーか」

ストラットの指さした先を見てぎょっとする。
間髪を入れずグラウンドに怒声が響いた。

「おいバカザル! 合宿所抜け出すたぁいい度胸だな !?」
「もー放してよ〜! バカジェンチ!」

グラウンド出入り口付近でジェンティーレに子犬みたいに襟首を掴まれて足をバタバタさせながら、シンゴが怒鳴り返す。
両手には家出少年よろしく大荷物を提げている。

代表の合宿中にいったいどこへ行くつもりだコイツ。
ぎゃあぎゃあ喚きあいながら近づいてくる二人を眺めて、マッティオは首を捻る。
マッティオの考えを読んだかのようにシンゴがにぱっと笑った。

「マッティオ! オレ、ちょっとオランダまで行って来るから!」
「はァ? 唐突になに言ってんのお前」
「クライフォートにアレナのフリーパス貰ったから親善試合見に行くんだ! 翼さんのプレー間近で見るの久しぶりだから楽しみだな〜!」

ああ、そういえば確かオランダで代表の親善試合があるんだっけか。
オランダと日本、カメルーンというなんかよくわからない組み合わせで。

ジェンティーレに首根っこを掴まれた宙ぶらりん状態で、シンゴが目を輝かせる。

「カメルーンの黒いダイヤモンドって人にも会えるかなあ? ほらあの……なんだっけ、ハードボイルド作家みたいな名前の」

違う。シンゴそいつはアフリカのダイヤで黒い稲妻だ。

「ところで黒いダイヤモンドってなに?」
「知るかよそんなの。石炭かキャビアじゃないか?」

シンゴに聞かれて、ストラットが適当に返す。

「そっか〜黒いキャビアさんかあ! スゴイね! なんかこう高級食材って感じ」
「頼むから本人に面と向かって言うなよ、それ」
「なんで? どうして?」
「つべこべ言うな。とにかく言うな」

そうは言ってもシンゴの空気の読めなさは間違いなくワールドクラスだ。
『うわー本物の黒いキャビアさんだあ! オレ感激ですキャビアさん!』
アレナの通路でレイモンド・チャンドラーを呼び止めて大喜びしているシンゴの姿を思い浮かべ、マッティオはどっと疲れがこみ上げてきた。

その時ジェンティーレのすっとんきょうな悲鳴がこだました。見るとジノが自慢の右腕でジェンティーレの手首をぎりぎり締め上げている。
いつのまに現れたんだコイツ?

ジェンティーレはうぎゃあと聞き苦しい声を上げてシンゴを取り落とした。すんでの所で右手首の粉砕骨折は免れたようだ。

ジノは地面に尻餅をついたシンゴを見下ろしてにっこり笑った。

「シンゴ。変なヤツから物を貰っちゃダメだってあれほど言ったろ」
「あ、ジノ〜! 練習終わったの?」
「とりあえず今日のノルマはこなしたよ」

フィールドプレーヤーとキーパーの練習は別メニューで、ジノはキーパー専用のトレーニングに励んでいる……といえば普通だが、あいにくその内容が普通じゃなかった。

背中にタイヤを背負い、木に吊したタイヤ三本相手にセービング練習ってなんの冗談だ。何と戦ってんだお前。もしかして超次元サッカーの必殺技の練習なのか?
そう問い質したいのはやまやまだが、爽やかに「そうだよ」と返されそうで怖い。

シンゴは小鳥がよくやるみたいにちょこんと首を傾げた。

「変なヤツ? クライフォートっていい人じゃん。チケット、タダでくれたし」
「お前なー、タダより高い物は無いってコトワザ知らねえのか?」

右手首をさすりながらジェンティーレが呆れたように肩をすくめる。

「でもタダだよ?」
「だーッ、だからお前はバカザルなんだよ! 何回騙されりゃ気が済むんだ !?」
「でもタダなんだもん」
「ああもう、お前はタダ券に弱いやりくり上手の主婦かよ !?」

なかなか鋭い。実はこいつ無邪気な顔して新聞や雑誌の懸賞クーポン切り抜くの絶対忘れないし、スーパーの特売チラシにチェック入れてたりするんだぞ。
ジェンティーレの指摘は言い得て妙だとマッティオは思った。

「クライフォートは変なヤツじゃないよ。これくれたもん」

そう言ってシンゴはスポーツバッグからオレンジ色のユニフォームを引っ張り出した。
背番号は20番で、ご丁寧に背中にAOIとネームまで入っている。
レプリカとかそんな可愛らしいモンじゃなく、どう見ても本物だった。

「オレ、これ着てスタンドで翼さん応援するんだ!」

ちょっと待て。お前オレンジサポ姿で日本スタンド行って応援する気か?
空気が読めないにもほどがあるぜ。
ではなくて、

「あ〜だからもーコロっと騙されんな! このバカサル――― !? 」

イタリアの青い空にジェンティーレとマッティオ、そしてストラットの絶叫が仲良くハモった。

あのクライフォートがタダでそんなモン寄越すわけねえだろ。
タダ券に釣られてふらふらアレナにやって来たとたんロッカールームに連行され、オランダ代表として選手入場した挙げ句、なんかよくわかんないけど、ま、いっか〜って顔でオランダ国歌を歌っているシンゴの姿が容易に想像できて、マッティオは頭がクラクラしてきた。

「――ええ、ですから早急に手配のほうお願いします」

ふと顔を上げるとジノが携帯電話で誰かと話をしていた。それはもう冷ややかな表情で。
こいつ誰と話してるんだ?
なんだか妙な胸騒ぎがして、マッティオが眉をひそめて聞き耳を立てていると、

「……無理とか出来ないとかそんな言葉は聞きたくありません。やるんです。いいですね?」

あなたに断るなんて選択肢はありませんよ、と言わんばかりの命令口調で念を押し、ジノは一方的に通話を打ち切った。
携帯をポケットに押し込むと、一転して柔和な笑顔でシンゴに声を掛ける。

「ねえシンゴ。俺たちもオランダの親善試合に参加することになったから。一緒に行こう」
「ホント? やったあ! よーし、頑張るぞ〜!」

シンゴの元気な声が響くなか、ジェンティーレが血相を変えてジノに詰め寄る。

「ちょ、待てよジノ。オレらは三日後にフランスと親善試合あんじゃねえのか !?」
「それなら延期になったよ。だから問題ないさ」

ジノは平然と言ってのける。

「延期? なんでまた急に」
「なんでだろうね。俺にも皆目見当がつかないよ、うん」

ストラットのもっともな疑問に、ジノは世にもうさんくさい笑顔でのたまった。

ああやっぱりこの野郎。またなんかやらかしやがったな。
マッティオの非難がましい視線など物ともせずに、ジノは周囲を見回しパンパンと手を打った。
はい、この話はここまで。という風に。

「じゃあみんな。手早く荷物まとめて空港へ急ぐよ」

他国はどうか知らないが、ここイタリア代表におおいてキャプテン命令は絶対である。ゆえにメンバーは半信半疑の面持ちながらも荷造りにグラウンドを出て行った。
まあジェンティーレとストラットは不満げな顔つきではあったが。

出て行こうとするジノの背中にマッティオが声を掛ける。

「なあお前、さっき誰と話してたんだ?」
「ああ。FIGC会長とちょっとね。それが何か?」

振り向きもせずに答えると、ジノはゆったりとした足取りでグラウンドを後にした。

なるほど。イタリアサッカー連盟会長に脅しをかけたのか。
誰もいなくなったグラウンドでマッティオは疲れきったため息をついた。




>あとがき

2009日蘭サッカー親善試合記念に書いたもの。
内容がちっとも日蘭でなくイタリアだけど。ガーナじゃなくカメルーンだけど。
アズーリの20番世界設定です。イタリア代表合宿中。



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