■ ありふれた日々の幸せ | 2009.02.24 |
ジェンティーレは憂鬱な気持ちでクラブハウスの廊下を歩いていた。 クラブの正規練習はとうに終わっている。仕方なくトレーニングルームでぼんやりしていたら、いい加減にしろとマッツに追い出されたのがつい先ほどのこと。 「あ〜もう家に帰りたくねえ!」 大きなため息をつき、リストラされたサラリーマンみたいなことをぼやいていると、曲がり角でチームメイトの日向小次郎に出くわした。 ラッキー!とばかりに日向に話しかける。 「なあヒューガ。これからどっか飲みに行こうぜ?」 「悪ィ。オレ酒飲めねえんだ」 ジェンティーレは信じがたいモノを見る眼差しで日向を見た。 「はぁ? 冗談だろ」 ワインと水がほぼ同義の世界の住人からすれば、今の発言は到底信じられない。 そうだ。これは日向の捨て身のジョークか何かに決まっている。 ジェンティーレは素直にそう思った。なのに日向は笑顔で言った。 「けどコーラでいいなら喜んでつき合うぜ!」 ジェンティーレは衝撃のあまりその場に立ち尽くした。 おいコラちょっと待て。大の男が二人で酒場でコーラ飲んで何が楽しいってんだ? クラクラする頭を抑えてようやく言葉を紡ぎ出す。 「ひとつ訊いていいか、ヒューガ。お前いくつだ?」 「へ? そーだな、今度の夏で21だがそれがどうかしたか」 指折り数える日向に唖然とする。 「ばっ、二十歳過ぎた男が酒場でコーラなんか注文してんじゃねーよっ!」 「なに怒ってんだお前。オレは高いレストランだってフツーにコーラだぜ?」 「フルコース食ってる時にコーラなんか飲むな―――!?」 前菜から主菜、デザートに至るまで全てコーラで供される戦慄のフルコース。そんな地獄絵図を想像して、ジェンティーレは思わず絶叫してしまった。 「なんだお前ら、まだいたのか。自主トレか?」 ボケボケした声に振り向くとファーレンフォルトが立っていた。たぶん忘れ物でも取りに来たのだろう。この天然ボケのGKは毎日ぼーっと懲りずになにかしら忘れて帰るのだ。同様に持って来るのも忘れるのは言うまでもない。 先日の試合で左右色違いのキーパーグローブをはめているにもかかわらず、なんら気にせず涼しい顔でゴールマウスを守っていたユベントス正ゴールキーパーは、ジェンティーレに目を留めてやんわりと続けた。 「ヒューガはともかくジェンティーレ。お前、今日誕生日なんだろ。可愛いカノジョが待ってるんだからさっさと家に帰ったらどうだ」 「ちょ、それは誤解だってあれほど言っただろっ!」 ジェンティーレは血相を変えて全力で否定した。 “ジェンティーレには遠距離恋愛のカノジョがいるらしい。なんでもケナゲで可愛らしくて料理が得意なんだそうだ” 少し前からユーベのクラブ内でまことしやかに囁かれている噂である。 何が可愛いカノジョだ。あれは図々しいのがとりえのオスのコザルだ! そう言おうとしたら日向に先を越された。 「へえ。お前カノジョいたんだ」 「ちちち違うって言ってんだろ〜! あんなサル、カノジョのワケねえよ !?」 「サル? なんかよくわかんねーけど、ファーレンフォルトさんの言うようにカノジョ待たせてんなら早く帰った方がいいんじゃないか?」 「だーかーら! 違うってんだろアレは……!」 言いかけて言葉に詰まる。 ファーレンフォルトと日向の顔にはそれぞれ、まったくもうツンデレも大概にしろよ、という文字が見て取れた。 ダメだこいつら端から聞く耳なんて持っちゃいない。 「とにかくあいつはカノジョじゃないし、家にも来ねえよっ!」 ファーレンフォルトは呆れたように肩をすくめた。 「やれやれ。またケンカしたのか。どうせお前が余計なコト言ったんだろ」 「ますます訳わかんねーけど、とりあえず女泣かせるヤツは最低だぞ」 真剣な顔で日向が言う。 バカ野郎。泣きたいのはオレの方だ。 「だーッ、わかったよ! 帰りゃいいんだろ帰りゃ!」 ジェンティーレとしては憤りと絶望感を胸に、そう叫ぶより他になかった。 数十分後、ジェンティーレは自宅のドアを陰鬱な面持ちで眺めていた。 軽いため息をつくと意を決してドアノブに手を掛ける。 「おいコザル! どうせまた無断侵入してんだろ? いい加減にしろよ……ったく」 予想に反して室内はしんと静まりかえっていた。 人の気配はまるで無い。 寒々しい玄関先をすきま風が吹き抜けていく音が聞こえた。 「ああもう、あのヤローまだ根に持ってんのかよ……!」 壁に右手をついてがっくり肩を落とす。 実はかれこれ二週間ほど前から葵の来訪はぷっつり途絶えているのだ。 原因はわかっている。 あれはヴァレンティーノ(バレンタイン)の三日前のこと。 “はぁ、チョコ? バカかお前。そんなくだらねえモンいらねえよ!” ジェンティーレはいつものように憎まれ口を叩いたのだが、葵はむっとした表情でぷいと目をそらし、何も言い返してこなかった。それ以来ヤツの姿を目にしていない。 「ったく、文句あんならハッキリ言えよな!」 がりがり頭を掻きながら愚痴る。 葵新伍ははた迷惑でうっとうしくて腹立たしいヤツだが、いなくなってみると妙に張り合いがないのだ。それが何かはうまく言えないが、とても大切な物を失ってしまったかのような奇妙な焦燥感。 誰もいない部屋に戻るのがこれほど苦痛だとは思いも寄らなかった。 いつのまにか葵の存在を当たり前に受け入れてしまっていた自分に大きな衝撃を覚えた。 ジェンティーレは心の中で舌打ちすると、ポケットから携帯電話を引っ張り出した。 「――別にあいつが気になるとか全然無いんだからな! たんなる通話テストだ!」 自分自身に言い訳しながら、おもむろにアドレス帳を呼び出す。 発信音を聞きながら咳払いする。その時だった。 「チャーオ! 誕生日おめでとージェンティーレ!」 振り向く間もなく背後のドアが勢いよく押し開けられた。ジェンティーレはドアもろとも顔から壁に激突する。 葵はきょろきょろ辺りを見回して不思議そうに首を傾げた。 「ん? なんだ今のカエルが潰れたよーな音……ってあれ? なにやってんのお前」 「な、なにしやがんだこのバカザル〜〜〜 !?」 ドアと壁の隙間から這い出してきたジェンティーレが絶叫した。 「ていうか、てめー今さら何しに来やがった !?」 「へ? ジェンティーレの誕生日プレゼント持ってきたんだけど、それがどーかした?」 下げていた紙袋から何やらいそいそと取り出して、ジェンティーレの鼻先に突き出す。 「はいコレ。スゴイだろー!」 それは白い六角形と黒い五角形で構成された球体だった。 スイカの大玉並にばかでかい。てっぺんには飾りよろしくガラス細工の小さな折り鶴がちょこんと載っている。 「……おいサル。なんだコレは」 「えー、チョコで作ったサッカーボールに決まってるじゃん」 「バカかお前は。変なモン作るんじゃねえよ !?」 「えー、こないだジェンティーレ言ったじゃないか。ヴァレンティーノのチョコなんかいらないって。だからあわてて誕生日用に切り替えたんだぞ」 だってせっかく用意したチョコもったいないよね。なんの悪気もなく明るい笑顔でそう付け加える葵を見て、ジェンティーレはどっと疲れがこみ上げてきた。 オレはこの二週間、いったい何を苦悩してたんだ? 勝手に傷つけたと想像して勝手に自己嫌悪に陥って。 オレの純情を返せこのバカザル。 「えーっとね、黒い部分はチョコレートで白い部分はホワイトチョコ。立体に組み上げなきゃなんないから型取るの大変でさー。ちょっと聞いてんの?」 葵がむっとした顔でジェンティーレを見上げる。 「あーはいはい。聞いてる聞いてる。そんなコトどーでもいいけどよ」 「むー、なんだよその態度はさー!」 ふくれっ面で口を尖らせる葵を見て思った。 ぎゃあぎゃあ騒がしいヤツだがいないよりはマシか。 ジェンティーレはありふれた日常の幸せを噛みしめながらそう思った。 >あとがき ジェンティーレ誕生日話2009年版。 見えないものや大切なものは無くすまでわからんものです。 気づいたところで早々に憎まれ口叩いてケンカしそうだけどなツンデレだし。 ちなみにチョコボール製作期間内訳。 ・サッカーボル部分:ヴァレンティーノ前日に完成 ・折り鶴部分:近所のガラス工房にこもって二週間かけて作成。 ← 戻る |