■ 終わりなき夢の序章 | 2008.03.22 |
インテルクラブハウスを出てゆっくり歩き出す。 ジノ・ヘルナンデスはふと足を止めて空を見上げた。 雲ひとつない眩しい青空を見つめていると、どこか寂しいような、それでいて晴れ晴れとした気分になってくる。知らず笑みがこぼれた。 後ろから急ぎ足で近づいてくる足音に振り返る。 インテルでもお馴染みの最古参の用具係が立っていた。 「ホントに行くのか、ジノ?」 「ああ。君には長い間お世話になったね。ありがとうカリメロ」 やんわり微笑んで頭を下げる。 カリメロはジノの顔をしばらく黙って見ていたが、 「どうやら決心は固いようだな」 苦笑混じりにつぶやいた。ふと思いついたように首を傾げる。 「けどよ、短期のレンタル移籍とはいえウチの上層部がよく許可したもんだなぁ」 「誠心誠意を尽くしてじっくり話し合えば案外わかってもらえるもんだよ」 柔らかい口調でそう言うと、ジノはふっといたずらっぽい笑みを浮かべる。 「それにお偉方ともなれば後ろ暗い秘密の一つや二つ抱えてるものだし」 「――やれやれ。そんなこっちゃないかと思ってたぜ」 カリメロは呆れたようにかぶりを振った。 物わかりの悪い上司を手っ取り早く攻略するには、からめ手から論ずるのが常道だろう。 ジノは心の中でひそかにつぶやいた。 ようやくカリメロが口を開いた。 「それで、こっからアルバに直行するのか?」 「いや、だいぶ遠回りだけどヴェローナに寄ってくよ。マッティオが逃げたら面倒だ」 「そーか。とことん運の悪い野郎だぜ……って、いやそのなんだ、アイツも昔なじみの顔が見られてさぞや喜ぶだろーよ! ハハハハ……ハ」 うっかり本音を吐きそうになって、あわてて大笑いして誤魔化す姿が痛々しい。 自分と再会した瞬間のマッティオの顔を想像して、ジノも笑った。 「シンゴに伝えてくれ。“グズグズしてねえでさっさとこっち戻って来い”ってな」 「了解。一年経ったら一緒に帰ってくるよ。じゃあまたな、カリメロ」 ジノはカリメロに背を向けて再び歩き出した。 ジノが新伍と再会したのはFCアルベーゼの練習場前だった。 新伍は人もまばらなグラウンドを元気よく走っていた。後ろに重そうなタイヤを三本も引いているなんて信じられないくらい速いペースで。 インテルユース時代と同じその姿に懐かしさがこみ上げてくる。 新伍がジノのいる方角に目を向けたのはほんの偶然。 「――ジノ!」 ぱっと顔を輝かせて子犬のように駆け寄ってくる。 新伍は驚きながらも嬉しそうにジノを見上げた。 「ホントにジノだよね? 信じらんない。いつ来たの?」 「着いたのはついさっきさ。久しぶりだねシンゴ。元気だったかい?」 「おれはいつだって元気だよ! ってジノ。アルバになんか用でもあったの?」 不思議そうにたずねる新伍の顔をのぞき込み、ジノは柔らかな笑みを浮かべた。 「シンゴ。今日からこの俺もアルベーゼの一員なんだよ」 「―――へ?」 新伍の大きな目がさらにまん丸になった。 耳にした内容があまりにも信じがたいものだったのだろう。しばらくぽかんと口を開けて呆然と立ちつくしていたが、 「ええぇぇぇぇ〜〜〜 !? ちょ、それどーいうこと !?」 「一年ちょっとの短い間だけどよろしくね」 「し、信じらんない……これ夢じゃないよね?」 新伍は半信半疑の面持ちでつぶやくと、げんなりした表情でジノの背後にひっそり佇んでいるマッティオの頬をつねった。それも思いっきり手加減なしで。 すっとんきょうな悲鳴がグラウンドにこだました。 「ゴラァ、シンゴ! いきなりなにしやがんだ !?」 マッティオは赤く腫れ上がった頬を抑えながら新伍に詰め寄る。 「あ、ゴメン。なんか信じられなくてつい」 「だったら自分の引っ張れ!」 「えー痛いじゃんヤだよ。てゆーかマッティオなんでいるの?」 まるで悪びれることなく言ってのけ、新伍は首を傾げた。 「それはね。マッティオも快くアルベーゼ入りを承知してくれたからさ」 ジノは胡散臭いほど爽やかな笑顔で答えた。 「しれっとウソつくんじゃねえっ !? オレはコイツに無理矢理引っ張ってこられたんだ!」 「へッ、お前はこいつらの一味も同然だろ。文句言えた義理かよ」 「なっ、人聞きの悪いこと言うな―― !? ってお前……?」 いきなり降ってわいた新たな声の主を見てマッティオは眉をひそめた。 シンゴも目をぱちくりさせる。 「あれ。ストラットまでどーしたの一体」 ACミランのエースストライカーは新伍にちらっと一瞥を与えると、大げさに肩をすくめた。 「よぉ、相変わらずチンチクリンな小動物だなお前。ったく世も末だぜ。なんでこのオレがセリエCのクラブなんぞに都落ちしなきゃならねえんだ」 「ストラットも仲間なんだよ。アルベーゼ入りを快く承諾してくれたんだ」 にこやかに説明するジノをストラットはギッとにらんだ。 「お前のいう“快く承諾”ってのは人の弱みにつけ込んで脅迫することか?」 「まあ地方によってはそう呼ぶところもあるかもね」 ストラットの気迫のこもった眼差しをさらっと受け流して、ジノはやんわりと微笑んだ。 二人の会話を聞きつけた新伍がぴょこんと顔を出す。興味津々といった面持ちで、 「ほえ? なになに弱みって、教えて教えて〜!」 「ふふふ。シンゴ、実はストラットの奴ってば……」 ジノが新伍に耳打ちしようとした途端、ストラットの顔がさっと青ざめた。 「じ、ジノ〜 !? それ以上一言も口にすんじゃねえ! 小動物もくだらねえこと気にすんな!」 「だって気になるんだもーん! だから教えて! ね?」 「ね? とかカワイらしく小首傾げてんじゃねえよ! ホントしつこい奴だな……!」 ストラットは苦り切った表情で拳を震わせる。 まあ焦って当然だろう。新伍に秘密を知られたら、まず間違いなくワールドワイドに情報漏洩されてしまうのだから。 マッティオはジノを横目で見やった。 「なあジノ。お前なに企んでんだ?」 「嫌だなマッティオ。企むだなんてそんな」 ジノは苦笑した。あたかも心外だといわんばかりに。 「俺はたんにアルベーゼを今季と来季の最短でセリエAに昇格させようと思ってるだけさ。それには現状の戦力じゃ心許ないんでね。とりあえず適当にお前ら確保したって訳」 「とりあえずテキトーにヒトの人生メチャクチャにすんな――― !?」 あんまりな言いぐさにマッティオは絶叫した。 もちろんジノは意に介さない。マッティオの非難なんかどこ吹く風とばかりのしたり顔である。目的のためには手段を選ばないパーフェクトキーパーの本領発揮といったところか。 「最短でセリエA昇格狙いねえ。オレがFWで小動物と赤毛がMF。そんでもってお前がGKだろ。DFのコマが足りねえぞ?」 ひとつに束ねた金髪の先っぽを新伍に引っ張られながら、ストラットが首を捻った。 「それなら心配ない。ほらね、もう来た」 ジノの言葉を合図にしたかのようにけたたましい急ブレーキ音がこだまする。 一同は揃って振り向いた。グラウンド前(正確には現在地から10メートルほど離れた駐車スペース)にはやけに見覚えのあるスポーティな車が止まっていた。間髪を入れず中から金髪碧眼の青年が現れた。 ユベントス所属のDFサルバトーレ・ジェンティーレは車のドアを叩きつけるように閉め、もの凄い剣幕でこちらに向かって走り出した。 「おいコラ、ジノ! こりゃ一体どいうこった !? ………って、うぉわっ !?」 言い終わらないうちに通りすがりのボバングと正面衝突した。あっさり後方にはね飛ばされ、芝生に尻餅をついて倒れる。 ボバングは頭を掻きながら人懐っこい笑顔でジェンティーレを見下ろした。 「ゴメンゴメン。でも前見て走らなきゃ危ないよ」 「あははは〜ジェンティーレってばカッコわるーい!」 シンゴがけらけら笑った。悪意はないがストレートに相手の心をえぐるほがらかな笑顔で。 「まったくだ。これならジェンティーレをFWに上げてボバングをDFに変更する方がいいかな」 「いいよ。ボク、GK以外ならどこのポジションでもプレイできるからね!」 ジノの提案にボバングが元気よくうなずいた。被害者の心の傷口に塩を擦り込む陽気さで。 とどめにストラットがにやにやしながら歩み寄り、 「へッ、ざまぁねえな、ユーベのリベロさんよぉ」 「ンだとミランのバカFW、もう一度言ってみやがれ!」 「やーれやれ。ブザマに吹っ飛ばされたあげく尻餅ついた姿でよく吠えるもんだぜ」 ジェンティーレを見下ろし、あからさまに小馬鹿にした風に鼻で笑う。 はっきりいってこの二人。普段からあまり仲がよろしくない。というかきわめて悪い。 かたやミランのセンターフォワード、かたやユベントスのディフェンダー。ともに攻めと守りのプロフェッショナルである。試合では真っ向からぶつかり合うことも多い。それだけでは飽きたらずフィールドの外にまで対立を持ち出して反目し合っているのが現状だ。 だがジノはなかば確信していた。 結局のところ、彼らの不和の最大要因は彼らがともに有するオレ様的な性格にある、と。なんだかんだいって似たもの同士なのだ。二人とも呆れるほど単細胞。 ジェンティーレは怒りに顔を赤く染めて立ち上がった。 「――ッ !? よくも言ったなこのへっぽこストライカー!」 「ンだと、大口叩いてんじゃねえよ、ヘタレDF!」 ジェンティーレとストラットが真正面からにらみ合う。はなはだ不穏な沈黙が流れるなか、先に口火を切ったのはジェンティーレだった。 「おいへっぽこストライカー! そこのグラウンドで勝負だ!」 「いいぜ。後でほえ面かくなよヘタレDF!」 言うが早いか二人ともそっぽを向き、グラウンドのそれぞれのポジションに向かって大股でずんずん歩き出した。 すかさず新伍が手を振って脳天気に声を掛ける。 「あ、それ楽しそう! おれも仲間に入れてよ〜!」 「じゃあボクはヘタレさんと組むからシンゴはへっぽこさんとかかってきなよ!」 「うわぁ、ボバングそれすっごく面白そう! よーし、やるぞ〜!」 新伍とボバングはどこか間の抜けたテンションでうなずき合い、ほぼ同時に駆け出した。 二人の後ろ姿を見送りながら、マッティオは呆れたようにつぶやいた。 「なあジノ。あいつら止めたほうがいいんじゃないか?」 「心配ないって。どうせ決着つかないから。コンティとトリノがここに着く頃には疲労困憊で全員ぶっ倒れておとなしくなってるさ」 ジノはさらりと返した。 マッティオは疑惑に満ちた眼差しでジノを見据えた。 「さっきも訊いたけどよ。お前まだなんか企んでるだろ?」 「へえ。そう思うかい?」 「あいにくお前とはつき合い長いからな。それくらいわからいでか」 そう言って軽く肩をすくめる。 「今のメンツだとFCアルベーゼっていうよりU-23代表じゃねーか」 「よく気がついたね。ほめてやろう」 ジノは相好を崩した。 マッティオ、ストラット、ジェンティーレ。コンティにトリノ。加えてジノ。 マッティオの指摘通り、U-23イタリア代表メンバーのほぼ半数を占める顔ぶれだ。 「ま、これくらい気づいて当然か。腐ってもお前ゲームメーカーだし」 「ていうかマジ、クラブの昇格争いしながら代表を鍛えまくるつもりなのか?」 「そのとおり。面白そうだろ。ワクワクしてくるよね」 「あのなあ……面白いとかそーゆー問題じゃねえだろ、このバカ」 マッティオの言葉にジノはフッと笑みを漏らした。 「バカで結構。俺はもう決めたんだ。欲しいモノは必ず手に入れてみせるって」 次回ワールドカップのイタリア代表はベテラン勢が引退してほぼ若手主体になる。 それまでに俺のイメージする最強の布陣で試合に臨めるよう、あいつらを徹底的に鍛え抜く必要があるのだ。多少の荒療治はもとより覚悟の上で。 そう、俺の夢は大空翼率いる日本と再戦し、ワールドカップで優勝すること。 それには新伍がどうしても必要なのだ。イタリア代表の二十番として。 我ながら身勝手な願いだと自覚はしている。 だからといって簡単に夢を諦めてしまえるほど俺は人間が出来ちゃいない。 たまには愚直なまでのひたむきさで追いかけてみるのも悪くないじゃないか。 空を見上げてはたわいのない夢を自由に思い描いたあの頃のように。 ジノは輝くばかりに青い空を眺めながら誰にともなくつぶやいた。 「さて。問題はシンゴをどうやって口説き落とすかだな」 >あとがき おこめさんちの1周年祝いに送りつけたもの。 アズーリの20番ものです。 弱小無名チームが上位リーグ昇格目指して頑張る話。 一昔前の熱血少年漫画の王道パターンですね。 気が付いたら古巣インテルと決戦とか萌え…ではなく燃えます。 ジノの思惑はもう少し先のほうにあるみたいですけど。 ← 戻る |