O Holy Night ! 2007.12.25

 胃が重い。みぞおち付近がムカムカしてきた。

 ジェンティーレはこみ上げる吐き気を堪えながら、三分の一しか手を付けていないラビオリのトマトソースがけの皿を脇に押しやった。これ以上食べたら確実に胃が破裂する。

 テーブルにはいまだ手つかず状態の料理がずらりと並んでいた。覚えてるだけで20皿以上たいらげたはずなのに、皿数は一向に減らず、逆に増えつつある。

 各種サラミのオードブル、サフラン風味のリゾット、魚のカルパッチョ、焼きポレンタトマトソースがけ、白身魚のアクアパッツア、ミラノ風仔牛のカツレツ、オッソブーコのトマト煮込み……etc。他にもうんざりするほどあるが、名前を挙げただけで喉元まで胃の内容物がこみ上げてきそうなのでこの辺にしておく。

 キッチンのドアが開き、葵新伍が両手に皿を抱えて飛び込んできた。

「お待たせ〜トルテッリーニとミラノ風ミネストローネだよ!」

 料理をジェンティーレの前に置くや否や、踵を返してキッチンに引っ込む。

 湯気と共に立ちのぼるパルミジャーノの香りが鼻孔をくすぐる。思わず口元を手で押さえた。ヤバい。マジ吐きそうだ。全神経を胃に集中して必死に堪える。

 一皿食べるごとに目の前に二皿置かれる、勝算の全くないエンドレスわんこそば状態。矢継ぎ早に料理を繰り出すコザルのせいで、食糧補給の需要と供給のバランスはとうの昔に崩壊していた。

 この水責めならぬ料理責めの無限地獄はいつまで続くのだろう。

「食べて食べて!」と極上の笑顔で迫られると嫌と言えない己の不甲斐なさが腹立たしい。

 ああ、これが絶望に満ちた世界というヤツか。
 ジェンティーレはフォークの先でトルテッリーニをつつきながら虚ろな眼差しでつぶやいた。

 しかしそれは間違いだった。
 真の絶望とはまだまだこんなものではなかったのだ。

「お待たせ〜メインの七面鳥の丸焼きだよ!」

 巨大なローストターキーの大皿を見たとたん、ジェンティーレはフッと気が遠くなった。
 お前は鬼か悪魔か―― !? そう叫びたかったが声にならない。

 地獄の料理人はテーブル上の手つかずの料理に目を留めて、不満げに頬をふくらませた。

「ちょっとジェンティーレ。どういうことさ。ぜんぜん食べてないじゃん!」
「これ以上食えるかこのバカサル !? オレの胃袋はもう限界だってえの!」
「え? たったこれだけで?」

 新伍は大きな目をぱちくりさせた。

「ジェンティーレって意外と小食なんだ。態度はデカいのに。信じらんな〜い」
「カルく20皿以上も食わせといてその言い草はなんだ―― !?」
「そっか。小食だったら仕方ないね。今日はこれくらいにしとくか」

 いやだから小食じゃねえんだって。そう言おうとしたが思い直す。
 これでエンドレス料理地獄が終了するなら、小食だろうとなんだろうと構わないじゃないか。
 ジェンティーレはキッチンに戻る新伍の背中を黙って見送った。

 ドアの閉まる音にほっと一息つく。
 ワイングラスに手を伸ばし、すっかりぬるくなったスプマンテを一気に飲み干した。
 と思ったらまたもや新伍がキッチンから飛び出してきた。

「お待たせ〜パネットーネだよ! ナターレといえばやっぱコレだね〜!」

 巨大なドーム型の菓子パンを頭上に掲げて胸を張る。
 ジェンティーレは危うく口の中の液体を吹きそうになった。

「待てやゴラァ !? さっきので最後じゃなかったのか―― !?」
「うん。だからこれだけ。サラミチョコとチョコプリンとパンドーロはまた明日。ね?」
「ね? とか可愛らしく小首傾げて恐ろしいことほざくな! 冗談じゃねえぞったく」

 新伍をぎっとにらみつける。

「ていうかお前、ナターレまで押しかけてくるんじゃねえ! さっさとミラノに帰れ!」
「いいじゃん。ジェンティーレも実家に帰らないんだろ。おれも下宿で一人だし、お互い寂しい者同士、楽しく過ごそうよ〜」
「なななな、なに言ってやがんだこのサルは〜 !? お、オレが寂しいわけねえだろ !?」
「そう? でもオレは寂しいもん。だから付き合ってね」

 ちっとも悪びれず、けろっとした顔でのたまった。

 な、なんて図々しいんだこのチビサルは―― !?
 オレは思わず絶句した。

 ジェンティーレの非難がましい視線などものともせず、新伍は向かいのダイニングチェアに腰を下ろした。瞳に興味の色を浮かべて、

「そうだジェンティーレ。なんで帰らないの?」
「なっ、オレは一人の方が気楽でいいんだよ!」

 とは言いつつ本当は実家の母と顔を合わせたくないだけだったりする。ここ数年ヒトの顔を見りゃ、あれこれ口うるさいったらありゃしない。ナターレ休暇中えんえんと小言を聞かされるのは真っ平だ。

 ジェンティーレは内心の動揺を隠して切り返した。

「そんな寂しいなら日本に帰れ! そのための休暇だろ !?」
「あーそれダメ。帰れないんだ」

 新伍は明るく言った。

「あのね。おれ、イタリアでプロになるまで日本に帰らないって決めてるから」
「はぁ? なんの冗談だそりゃ」

 ジェンティーレは呆れたように肩をすくめた。

「ハハハ。そりゃお前、一生帰れないってコトか。気の毒にな!」

 バカじゃねえの、と鼻で笑う。
 病的に楽天家のコザルのことだ。どうせ「そんなことないよ、おれ絶対なるもん!」とか怒り狂って噛みついてくるに決まってる。いつもみたいにキーキーと。

「ジェンティーレはそう思う? そっか……そうだよね」

 はぁ? コイツなに言ってんだ? オレの空耳だよな?
 次の瞬間ジェンティーレは我が目を疑った。

「……ホント、バカみたいだよね、おれ。思いこみ激しくってさぁ」

 なんと新伍はしょんぼりうつむいていた。叱られて耳を伏せる子犬みたいに。
 見るからに哀しげなその姿に、さすがのジェンティーレも良心が咎めた。内心焦りまくりながら、必死に言葉を探す。

「え、いやその…なんだ、オレも悪気があったワケじゃあ……」
「……………」
「ああもう、オレが悪かったよ! これで文句ねえだろ !?」
「……………」
「だーッ、たいがいシツコイなお前も。いい加減機嫌直せ、ったく」

 顔も上げずに新伍がぼそりと言った。

「……じゃあクリスマスケーキ英仏独の三種類、ぜんぶ食べてくれる?」
「さ、三種類 !? ……お、おう。どんと来いや」

 クリスマスプディングとブッシュ・ド・ノエル、それにシュトレンをそれぞれ思い浮かべてジェンティーレは内心青ざめたが、苦しい笑顔でそう答えた。まあ明日になれば少しは腹に入るかもしれない。

「……あとね、明日ユーロネズミーランドに連れていってくれる?」
「へいへい。わかったわかった………って…え !?」
「ホント !? わーい、やったあ!!」

 新伍はがばっと顔を上げて歓声を上げた。
 ついさっきまで落ち込んでいた人間とは到底思えない、ハレバレとした笑顔で。

 しまったハメられた―― !? ジェンティーレは瞬時に悟った。

「ユーロネズミーだと !? そりゃどういうこった !?」
「あ、そうか。いまはたんなるネズミーランドだっけ。ゴメンゴメン」
「正式名称なんぞどうでもいい。なんでオレがそんなペスト菌ウヨウヨしてそーな場所に行かなきゃなんねえんだっ !? しかもお前なんかと!」
「だってさあ。おれ、一度もネズミ王国行ったことないんだもーん」
「理由になってねえよ、このバカサル―― !?」

 ジェンティーレは真っ赤になって怒鳴りつけたが、新伍はまるで聞いちゃいなかった。大はしゃぎで立ち上がる。

「よーし、まずはケーキだよね。ちょっくら急いで取ってくる!」
「ばばば、バカ野郎 !? せめて明日の朝にしろ―― !?」

 今度もまたジェンティーレの叫びは綺麗サッパリ無視された。

 新伍は鼻歌交じりに歩き出す。かと思ったらキッチンのドアの前で立ち止まった。肩越しにふり返り、いたずらっぽい表情でジェンティーレを見やる。

「ねえジェンティーレ。紳士は約束を破ったりなんかしないよねえ?」

 にこやかにだめ押しをすると、新伍はパタンと扉を閉めた。

 今日は拷問まがいの料理責め、明日は男同士のネズミ王国カップルツアー。
 ナターレに帰省しない罪はかくも重いものなのか。

「こんなことなら素直に実家に帰りゃよかったぜ……」

 ジェンティーレはテーブルに突っ伏して力なくつぶやいた。




>あとがき
2007年ナターレ記念もの。ジェンチ&葵フェア(太陽王子編)です。
あいかわらずコザルの尻に敷かれていますツンデレ。
コザルのワガママもムチャクチャな行動もみんな愛のせいですよ。……たぶん。


わざわざ王子と銘打ってるからには、もちろん王女編もあるんですよね。
携帯サイトの方に放り込んでます。

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