記念写真 2 2007.12.12

 ジノ・ヘルナンデスはダイニングの椅子に悠然と腰を下ろしたまま、遠慮会釈のない眼差しで部屋の中をざっと見回した。

「へえ。いい加減なお前にしては結構キレイに片付いてるね。意外なことに」

 鋭い指摘にジェンティーレは内心ギクリとした。

 はっきりいってオレは整理整頓が大の苦手。雑然と散らかった部屋の方がかえって落ち着くくらいだ。そのオレの部屋がなぜこれほどまでにこざっぱりと片付いているのかといえば、それはアルバから週に一度の割合でやって来るコザルの仕業に他ならない。

 当初は台所の占拠が目的だったようだが、次第にヤツの関心は他の部屋にまで及び、無邪気な顔であちこち侵略しまくった結果、今では家全体がコザルの植民地と化してしまった。

 そんな裏事情をジノが知ったらどうなることやら。考えるだに恐ろしい。

「お、オレの部屋なんかどうでもいいだろ。それより何の用だ?」
「来客に茶の一杯も出さないのがここんちの礼儀かい?」

 慇懃無礼な物言いにイラっときたがなんとか堪える。
 気を静めるべく頭の中で数を数えながらエスプレッソを淹れ、ジノの前に無造作に置いた。

「――ほらよ!」
「来客にお茶うけのひとつも出さないのがここんちの礼儀かい?」

 ジノは涼しい顔でのたまった。

 この野郎、ケンカ売ってやがんのか?
 思わず怒鳴りつけたくなったがなんとか堪える。
 戸棚から皿に盛ったビスコッティを取り出し、ジノの前に叩きつけるように置いた。

「――ほらよ! これで文句ねえな !?」
「うん。まあこんなもんかな」

 ジノは湯気の立つエスプレッソに口を付け、はんなりとつかみ所のない笑顔を浮かべた。

「別にお前に用なんかないんだけどね。せっかくアルバに行ったのにシンゴいないんだ。それで仕方なくここに来ただけ」
「ん、コザルいないのか。どうりで今日は顔………」

 ジェンティーレはすんでの所で口をぱちんと閉じた。
 危うく「今日は顔見せねえと思ったぜ」とか自分で暴露するところだった。

 ジノはいきなり黙りこくってしまったジェンティーレを訝しげに眺めたが、おもむろにビスコッティを口に運んでやんわりと言った。

「不思議なくらいシンゴの作るビスコッティの味そのまんまだねえ」

 ジェンティーレは口に含んだエスプレッソを吹きそうになった。
 ゲホゴホむせながらやっとのことで声をしぼり出す。

「そ、そーか? そこらの店で買ってきたモンだがよ!」

 実は先週コザルがうんざりするほど作り置きしていったビスコッティなのだ。
 それをよりにもよってジノに出すなんてウカツにもほどがある。
 しかし焼き菓子の微妙な味加減で即座に作り手を言い当てるなんて、コイツ筋金入りのコザルマニアかよ。

 ジェンティーレは得体の知れないモノを見るような目つきでジノを見た。
 驚愕のあまり息が止まりそうになった。

 ジノのすぐ隣の椅子の背に掛けっぱなしのエプロン、あれはもしかしてコザルの――― !?

 ジェンティーレは椅子を蹴って立ち上がった。
 「ん? どうかしたかい?」と首を傾げるジノには目もくれず、一目散にエプロンに駆け寄り、ぐるぐる丸めてそのまま電子レンジの中に投げ入れた。

「い、いやその、たいしたことじゃないんだ、ハハハ……ハ」

 後ろ手にレンジのドアを閉めながら、わざとらしい笑みを浮かべて首を振る。
 なんだこの久しぶりに訪れた実家の母親を前にして、同棲してる彼女の存在を必死に隠そうとするバカ息子みたいな悲喜劇的状況。情けなくて涙が出るぜまったく。

 だがジノはジェンティーレの言い訳なんか少しも聞いていなかった。携帯電話のディスプレイを冷ややかな眼差しで見据えている。

 どうしたんだ、アイツ?
 首を捻っていると、ジェンティーレのポケットから着信音が響いた。
 なにげなく履歴をチェックする。送信元はコザル。本文は……なんだこりゃ。

『チャーオ! いまヴェローナだよっ! やっぱロミオの自己存在証明は免許証で十分だよな! サリナスがコインブラ追っかけてどっか行っちゃったけど、記念写真はバッチリさー!』

 わ、ワケがわからねえ。なんだこの全く繋がりのない文章の羅列は。
 マジ頭痛くなってきたぜ。

 次いで添付された写真に視線を落とす。さらに困惑が深まった。

「なんでこいつらカップルの聖地で男同士のツーショットなんか撮ってんだ?」

 ヴェローナ名所のジュリエッタの像を背景にして、マッティオの左腕にぶら下がって脳天気に笑う新伍の姿をまじまじと見つめる。

 満面の笑みを浮かべるコザルとは対照的な、マッティオのどこか殉教者めいた諦めの表情が印象的な一枚だった。

 この写真だけでは詳細は不明だが、ヤツにとって不本意極まりない状況であることは容易に想像がつく。少なくとも常識のあるニンゲンならば理解するだろう。あいかわらず運のないヤツだぜ、あの赤毛野郎。オレもヒトのことをとやかく言えた義理じゃないが。

 ふいにバキッとなにか硬い物が砕ける音がした。
 とっさにふり向いてげっとなる。

 ジノの黄金の右手によって雑巾を絞るように握りつぶされた携帯電話を唖然と見つめた。
 しまった、コザル限定で常識のぶっ飛んだニンゲンが一匹いやがった……!

「ちょ、おま、なにやってんだ !?」
「ふふふ……いい度胸だ。覚悟はいいな、マッティオ?」

 すでに鉄屑の塊と化した携帯をぽいっとテーブルに投げ捨て、ジノは残酷な笑みを浮かべた。そして静かにジェンティーレを見据えると、右手を差し出してピシリと告げた。

「ジェンティーレ。車のキー!」

 あたかも中世の封建領主が家臣に「馬を引けい!」と命ずるみたいな、完全なる命令口調で。

 いかん。コイツ目が完全に据わってる。
 このまま暴走を許せば、なにをしでかすかわかったもんじゃない。

 ジェンティーレは携帯電話の如くひねり潰されたマッティオの姿と、なかばスクラップと化した愛車を想像してゾッとした。前者はともかく後者だけは勘弁して欲しい。

「あ、あのなお前。少し落ち着け、な?」

 だがしかし。ジノは当然の如くジェンティーレの制止なんか端から無視して席を立った。
 めげずに声を張り上げようとして息を呑む。ヤツの白々とした無表情から放たれる凄まじい怒りのオーラに気圧されて二の句が継げない。

 その隙にジノは壁のキーボックスから鍵を引き抜くと、身を翻して台所を後にした。足早に廊下を歩く足音に続いて、荒々しく玄関ドアを叩きつける音が響き渡る。

 ジェンティーレははっと我に返った。あわててジノの後を追って走り出す。

「ま、待ちやがれこの野郎! オレが運転するからキー返せ……!」

 ジノはガレージの前で肩越しにふり返った。

「そうかい? なら頼む」

 ジェンティーレの手にぽいっと車の鍵を放り投げる。

「なにボケっとしてんだ。可及的速やかにさっさと出発しろ。ああ、最初に言っとくが、ヴェローナまで3時間以内に着くように――以上だ」

 ジノ殿下は「わかったかこの下郎」と後に続くであろう口調で仰せになった。

 てめえ何様だゴラァ !? ついカッとなって叫びそうになったが、刺すような氷の視線に睨み倒されてうっと詰まる。コイツ完全にギアが暴君モードに入ってやがる。

 ジェンティーレは軽くため息を吐くとドアロックを解除した。運転席に腰を下ろしてエンジンスタート。クラッチを踏んでローギア、サイドブレーキに手を掛けながら、

「そんじゃ思いっきり飛ばすぜ」
「ああ、せいぜい気合い入れて頑張ってくれ。お前とシンゴの関係については、後日改めてじっくり尋問してやるから覚悟しとけ」

―――なにィ !? まさかコイツ気づいてやがったのか !?

 衝撃のあまりアクセルを思いきり踏み込みそうになったが、かろうじて踏みとどまる。
 おそるおそる助手席側のジノの様子を窺った。

「でないと運転中にお前の首を絞めたくなってしまうだろ」

 ジノはまっすぐ前方に目を据えたまま、つまらなさそうにつぶやく。
 『運転中でなければサクっとシメてやったのに。』 フロントガラスに映る緑の双眸は確かにそう語っていた。

 どうやらマッティオだけでなく、ジェンティーレの未来もさほど明るいモノではないようだ。




>あとがき
記念写真の続き。というかジノSideの話。
いつもに増してジノが暴走してます。
マッティオも地獄ですがジェンティーレも似たようなもんです。
ていうかそれ、いつものパターンか。


← 戻る