パラレル世界ものです。葵が太陽王女です。つまり女。

それでも全然構わないさ、という剛毅な方はこのまま下にスクロールしてどうぞ。






























  太陽王女 3 2007.10.27

 マッティオはインテル練習場のグラウンドを走っていた。
 後ろにやたら重そうなタイヤを一本ごろんと引きずっている。
 そのタイヤの上には葵がちょこんと座っていた。

 ただでさえ重い大型タイヤに葵の体重が加わって、はっきりいって死ぬほど重い。
 これならタイヤ三本引いて走った方がまだマシだ。
 単純計算でもそっちのがずっと軽い。でも言えない。

 そんなことを指摘しようものなら、怒り狂った葵の肘打ち→膝蹴り→ハイキックの三連続コンボが炸裂するに決まってる。女に体重関連の話題を振るなんてホームで華麗にオウンゴールを決めるも同然。自殺行為に等しい。余計なことは極力口にしないのが身のためだ。

 それはともかく。

「ったく、どれだけ走らせりゃ気がすむんだ?」

 マッティオの記憶違いでなければ、この周回で早くも50周目に突入しているはず。その割にさほど息が乱れていないのは日々の修練のタマモノというかなんというか。

 ほぼ連日のように葵基準のムチャクチャな自主トレを強制されているうちに、いつのまにか体が過酷な状況に適応してしまったようだ。慣れって恐ろしい。

 タイヤに腰かけたまま葵が指折り数える。

「んー、あと10周かなあ」
「……なあお前。さっきも同じこと言わなかったか?」
「やだなーもう、気のせい気のせい。さー気合い入れてがんばろー!」

 いいや、気のせいなんかじゃない。

 あと10周。葵は確かに30周目と40週目もそう言った。
 たぶん60周、70周目も同様に言うだろう。
 そして気がついたらグラウンド100周させられているという寸法だ。

 わかっていながらそれに毎度引っかかるオレもオレだが。
 しかし今日のタイヤ(+葵)はいつもに増して重いような気がしてならない。

「さっきから思ってたんだが、なんかタイヤ重くねえ?」
「マッティオったらやだなーもう、気のせい気のせい」
「……なあお前。もしかして……少し太った?」

 ついうっかりたずねてしまった。
 しまったと思う暇もなく、後頭部をバールのようなもので殴られた。
 比喩でも言葉の綾でもなく、マジ目から火花が散るほど強烈に。

「女の子に『太った?』ですってぇ、失礼ねえ !? キミは羽根のように軽いよ、とかもっと気の利いたこと言いなさいよ!」
「だからっていきなり鈍器でヒトの頭殴るな―― !?」

 ふり返って絶叫した途端、マッティオは一瞬固まった。震える指先で指し示す。

「お、お前、なんてモノ持ってんだ !?」
「ほえ? なんの変哲もないただの鉄アレイだけど。それがどうかした?」

 葵は5キロの鉄アレイを両方の手に一つずつ持ったまま、大きな目をぱちくりさせた。
 見れば足下にもう一つ転がっている。

 マッティオはこめかみに怒りマークを浮かべて詰め寄った。

「やたら重いと思ったらそんなもん積んでやがったのか !?」

 葵はちっちっと人差し指を振って、

「気づかれないように毎日少しずつ増やしてくのがポイントなのよ」
「ちょっと待て、まさかこれ今後もどんどん増やす気か !?」
「当〜然。練習は自分を裏切らないし、努力は才能を凌駕するっていうじゃない」

 ツインテールの頭を誇らしげにそびやかして、呆れるくらい自信たっぷりに言い切った。

 それはなにか、言外にオレに才能が無いと言いたいワケか?
 まあコイツと比べたら実際無きに等しいかもしれないが。

 マッティオは軽く肩をすくめると葵を見下ろした。

 葵は不思議そうに黒目がちな瞳で見つめ返す。
 普段から見慣れているマッティオですら思わずはっとさせられるほどに愛らしい。
 しょせん中身は暴れ山ザルだとわかってはいるのだが。

 一見小柄で華奢で風が吹いたら折れそうな風情だが、実はインテルの女子チームはおろか男子チームの誰よりも体力のパラメーターがずば抜けて高いのだ。たとえるならブラジルナショナルチームのレギュラー並みかそれ以上。

 葵ならグラウンド100周くらい朝飯前だろう。タイヤ3本込みで200周だっていけるかもしれない。なんせミランの監督をして『インテルのツインテールは化け物か !?』と言わしめる規格外の体力妖怪なのだから。

 葵はマッティオの顔を黙ってじっと見つめていたが、

「ま、いっか。じゃあ15分休憩〜! ほら座って座って」

 タイヤをバシバシ叩いてここに座れと促した。
 次いで業務用の洗濯カゴみたいに大きなバスケットから魔法瓶と紙コップを取りだした。中を覗くと葵のこしらえた調理パンが隙間無くぎっしり詰まっている。ゆうに10人分の食事がまかなえそうな勢いだ。

 マッティオは目眩がしてきた。

「アオイ……お前、まさかこれ全部食えと?」
「ほえ? だって腹が減っては戦は出来ぬっていうじゃない」

 けろっとした顔で言うと紙コップにカプチーノを注いでマッティオに手渡す。

「だからって明らかに作りすぎだろ。加減ってもんを知らねえのか」
「ちょっとだけ作るなんて難しいことできないもん」

 軍隊の一個小隊付き炊事当番兵かお前は。

 心の中で呆れたようにつぶやいて、マッティオは葵の横に腰を下ろした。
 カプチーノを一口飲んで葵の横顔を見やる。

 思えば昔からはた迷惑な女だった。
 とにかくよく笑いよく泣きよく怒る。
 空気なんてまるで読めないし読むつもりもない。

 極端に喜怒哀楽が激しくて落ち着きのない性格に、どれだけ振り回されたことだろう。 確か二桁までは数えていたが、三桁の大台に乗ってからは数えるのも嫌になって止めてしまった。

 さっさと見放してしまえばいいんだろうが。
 気がつけば葵の不始末をあれこれフォローしてしまう自分には到底ムリっぽい。

 こんな女がU-17女子ワールドカップとUEFA女子選手権におけるイタリア優勝の立役者であり、ゆくゆくはアズーレを率いてイタリアの女子ワールドカップ初優勝を成し遂げることを期待されているんだから、世も末である。

 気がつけばイタリアの太陽王女になっていたオレの昔なじみ。

 かといって病的に陽気で呑気で自己中で、おまけに筋金入りの楽天家の嘆かわしい行状が今さら改まるわけもなく、あいかわらず古巣のインテルでしたい放題好き勝手な日々を満喫しているのだが。

 マッティオはため息をついた。

「そういやプレミアやブンデスから何度もオファーきてんだろ? なんで行かねえんだ?」

 それだけではない。他の名だたる国々の女子クラブチームからの誘いも葵は一蹴している。

 意外な話だがサッカー大国イタリアに女子リーグは存在しないのだ。
セリエAですら女子チームを抱えるクラブは多くなく、たまに行われる交流試合を除けば国内戦などほとんど無きに等しい。U-20イタリア女子代表の国際試合もそう頻繁にあるものではない。

 葵などあんまりヒマで男子チームに入り浸って一緒に練習する始末。
 これはまあ女子チームのメンバーが葵のペースに全くついてこれず、かつインテル上層部のお歴々がおしなべて葵に甘いという現実があってのことだが。

 こんな状況でイングランド、ドイツ、フランス、スペインなどといった女子リーグを有する各国のオファーを軒並み蹴り飛ばしてまでイタリアに留まる理由がどこにあるというのだ?

 葵の答えはいたって簡潔だった。

「だってあたしはインテルの太陽王女だもん」

 はァ? なに言ってんのお前?
 あからさまに怪訝な顔をするマッティオを横目に、

「アーセナル? FFC? ジノもインテルのみんなも誰もいないじゃない。なんであたしがそんなつまんないトコ行かなきゃなんないのよ」

 葵はいかにも馬鹿馬鹿しいといった表情で切って捨てる。
 あらためてマッティオの目をじっと見据えると、

「それにマッティオ、あんたもいないわ。それになんの意味があるの?」

 水のように透んだまっすぐな瞳に思わずたじろぐ。
 マッティオは妙に気恥ずかしくなってぷいっと視線を逸らしてしまった。

 心の中で嘆息する。
 病的に陽気で呑気で自己中で、おまけに筋金入りの楽天家。
 それでもコイツを見放せない理由がなんとなくわかった気がする。

 かすかに顔を赤らめてそっぽを向いているマッティオを見てくすくす笑うと、葵はなにか思いついたように両手を打った。

「そーだ。あのねあのね、昨日すっごく面白い夢みたのよ」

 嬉々としながら話を続ける。

「あたしが男でインテルの太陽王子なの! ミラノダービーでハットトリック決めるのよ! ジノは正ゴールキーパー、あんたはあたしの相棒やってたわ。狙うはもちろんスクデット! 全勝優勝&無失点記録はお約束ね」

 葵は胸の前で両手を握りしめてうっとりとのたまった。
 ポーズはオトメちっくだが、話の中身はピリオドの向こう側にぶっ飛んでいる。

「あーあ、あたしがホントに男だったら良かったのに」

 冗談めかしているが声が本気だ。

「あのなあ。お前が男だったらいろいろ困るだろ」
「ほえ? 誰が?」
「だ、誰って、えーとその……女子代表とかジノの野郎とかいろいろな」

 否、ジノはちっとも困らないだろう。
 『アオイが男でも構わないさ、俺はキミが大好きなんだ』
 とかなんとか真顔で言いだしかねない。
 そんなガチでホモな展開に巻き込まれるのはまっぴらご免だ。

「と、とにかくオレも困る。却下だ却下! てかそれくらい察しろよ……!」

 葵は珍しく真面目に考え込んだ。ややあって納得したように二、三度うなずいた。

「そだね。男だったらマッティオのお嫁さんになれないもんね」
「そうそう、オレの嫁さんに……って、はぁ?」

 なにげなく相づちを打ってしまってからハッと気づき、目が点になる。
 どうやら脳内OSが一時的にハングアップしたようだ。

 しばらくマッティオは馬鹿みたいにぽっかり口を開けたまま立ちつくしていた。

………………………………… !!?? なにィ !?
いまコイツなんてった――― !?

「ばばばばバカ野郎 !? ちょ、おま、いきなりなに言い出すんだコラ !?」

 あわてて再起動した思考回路が紡ぎ出した言葉はかくもお粗末なものだった。

 これではユーベのツンデレ男を笑えない。
 ていうか落ち着け自分。まさしくこれは一世一代の大チャンス。

 マッティオは意を決して葵に向き直ると、がしっとその両肩に両手を置いた。

「――アオイ!」
「ほえ? なになに?」
「今まで黙ってたけど実はそのオレもお前のこと好――」

 残念ながら肝心な部分を口にする前に言葉が途切れた。突如頭上に降ってきたゴールポストに押し潰されたのだ。それは見事にグシャっと一撃必殺。

 こんな重い物を軽々と投げ飛ばす驚異の腕力と、上手いこと葵を避けてマッティオにだけ命中させる抜群のコントロール。
 犯人なんか考えるまでもない。
 インテルの誇るパーフェクトキーパー、ジノ・ヘルナンデスの仕業に決まってる。

「やあアオイ。遅くなってゴメン。ずいぶん待たせたみたいだね」

 穏やかな声に葵がぱっと顔を輝かせる。

「あ、ジノ。ミーティングもう終わったのー?」
「あんなの適当でいいさ」

 葵のためならトップチームの打ち合わせすらあっさり適当に片づけるジノだった。

 マッティオはようやくゴールポストの下から自力ではい出すと、ものすごい形相でジノに食ってかかった。

「ジノ〜! てめーいきなりなにしやがんだゴラァ !?」
「ああ。風の強いこんな日は、なぜか無性にゴールポストを投げたくなってね」
「あからさまにバレバレのウソつくんじゃねえ、この裏表ありまくり野郎が !!」
「俺を出し抜こうだなんて100万年早いんじゃないか、マッティオ?」

 ジノは春風のように優しげな笑みを浮かべていけしゃあしゃあと言ってのけた。
 ただし目は真冬の雪嵐の如く刺すように冷たい。
 その迫力につい気圧されて二の句を継げないでいると、

「……まあ素直じゃないアイツよりよっぽど手強い相手だがな」

 ジノは誰に言うともなくつぶやいて背を向けた。

「もう日も落ちたし、とりあえずクラブハウスに引き上げよう。……アオイ?」

 遠い空をぼんやり見上げている葵に声を掛ける。

「どうしたんだい。ぼうっとして」
「んー、なんか忘れてる気がしてしょうがないのよねえ。さっきからずうっと」

 葵はゆっくり頭を振った。

「なにかしら。ぜんぜん思い出せない。ああもうイライラするわねえ!」

 ヒステリーの一歩手前といった感じで声を荒らげる。

 だからってうら若い娘がこぶしを震わせて地団駄なんか踏むな。みっともない。
 マッティオは喉元まで出かかった言葉をすんでの所で飲み込んだ。

 そんな葵を落ち着かせるように肩にそっと手を置き、

「大丈夫。忘れてしまうくらいだから、きっとたいしたことじゃないのさ」
「そっかな?」
「うん。絶対そうさ。俺が保証するよ」

 ジノはさも自信ありげにうなずいた。





 同じ頃ミラノ大聖堂前広場では、サルバトーレ・ジェンティーレが虚ろな眼差しで大聖堂(ドゥオモ)の尖塔を数えていた。

「――133、134………135」

 カウントは135で止まった。
 どうやらドゥオモの尖塔は135本あるらしい。
 七回数えた上での結論だからたぶん正しい数字だろう。
 そんなもの別に好きこのんで数えたワケじゃないのだが。

「……っていうか遅い! なにやってんだあの女 !?」

 ジェンティーレがここドゥオモ前に到着してからはや3時間が過ぎようとしていた。

 なのに呼び出した当の本人は一向に姿を現さない。
 向こうの携帯に電話しても繋がらない。というか電源切ってやがる。
 かといってインテルのクラブハウスに直接押しかけるのはさすがに気が引ける。

 かくてこの場所で延々とエンドレス待ちぼうけを食らっているのだ。
 憤懣やるかたないとはこういう時に用いる言葉だったか。

 葵からメールが届いたのは4時間と少し前。

『つべこべ言わずにドゥオモ前に来てよね! 一時間以内よっ!』

 断られることなんか一切頭にない、実に葵らしい一方的な内容だ。

 仕方なくトリノから車の物理的限界ぎりぎりのスピードで高速をぶっ飛ばして来たというのに、この放置っぷりはいったいどういうつもりだ?

 不機嫌顔でぶつぶつ文句を言いつつも、ジェンティーレに帰る気配はさらさらない。

 待たずに帰る、というのがこの場における最良の選択肢であることは承知している。
 だが肝心の足がまるで石畳に根付いたように動かない。
 まあアレだ。いわゆるひとつの惚れた弱みというヤツである。
 我ながら情けないと自覚はしている。

 なんだかんだで3時間も待ったのだ。
 こうなったら腹をくくって最後まで付き合ってやろうじゃねえか。

 諦めというよりもはや悟りの境地に至った表情でため息をつくと、ジェンティーレは再びドゥオモを見上げた。

 いい加減尖塔を数えるのも飽き飽きだ。
 今度はうんざりするほど林立してる彫刻でも数えるか。


 二時間後、マッティオとジノを従えて意気揚々と帰宅途中の葵が偶然通りかかるまで、合計2245体もの彫刻を数えるはめになることをジェンティーレはまだ知らない。




>あとがき
おこめさんに捧げます第三弾。
パラレル世界の太陽王女です。捏造設定しまくりです。
王女の名前が新伍ってのはちょっとアレなので『葵』にしました。アオイちゃん。

サッカー音痴パパの仕事の都合で葵一家揃ってイタリアへ。
マッティオとはご近所さんで昔なじみの腐れ縁。インテル入団時にジノと出会う。
ツンデレとはジノより少し後くらいに遭遇。
まあこんな感じ。

ユース代表入りしてるからには二重国籍持ってるんでしょう。たぶん。←いい加減すぎる
葵のケータイ電源切ったのは無論ジノですよ。ええ。
U-20女子WCでドイツの若き女帝マリー・シュナイダーたんとガチンコ勝負して欲しいです。

マ「強い者が勝つんじゃないわ、勝った者が強いのよっ!」
葵「ほえ? あ、観客席にワカバヤシ」
マ「なっ、どどどどこにいるっていうのよっ……って、あ !!!」(よそ見したスキに葵ゴールゲット)
葵「わーい。これでウチが逆転」
マ「汚いわ !? よ、よくも騙したわねえ〜〜〜」
葵「ほえ? 勝った者が強いんじゃなかったの?」

女子WC決勝。
鼻息荒くリベンジを誓い、史上最強の女子軍団を結成したマリーたん。
しかし葵の放った寿引退カウンターの前に敢えなく敗れ去ることに……。なにィ!?


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