■ キミは特別 | 2007.06.20 |
葵新伍がパスタサーバーを片手に笑顔でふり返った。 「あ、そーだ。パスタの茹で具合だけどリクエストある?」 「…………」 ジェンティーレは食堂の椅子に腰を下ろしたまま、ぷいっとあさっての方向に視線を逸らした。断固、無視するつもりらしい。 新伍はきょとんとした表情でしばらくジェンティーレの横顔を眺めていたが、 「あっそ。無いの。だったら湯を入れて30分放置したカップ麺並みに茹でてやる」 ジェンティーレの表情に動揺が走った。 そんな伸びきったパンツのゴムみたいなパスタ、死んだってご免だ。 「…………あんまり茹ですぎるな」 ジェンティーレは不承不承といった口調でつぶやいた。 「了解、りょーかい!」 新伍は嬉しそうにうなずき、煮立った大鍋に手際よくパスタを放り込んだ。 「アルデンテ、アルデンテ〜」といささか調子の外れた鼻歌まじりにパスタをゆがいている後ろ姿をちらっと見やり、ジェンティーレはため息をついた。 一体全体なんなんだこの状況は。 『こんな立派な台所、遊ばせておく手はないよね』 そういって葵新伍が無神経な笑顔でずかずか上がり込んできてはや数ヶ月。今ではすっかりジェンティーレ宅の台所を牛耳っていた。 風邪で寝込んでいたとはいえ、易々とコザルの家宅侵入を許した己のウカツさが呪わしい。 そもそもこの家を借りたコト自体が間違いの始まりだった。 より正確に言うならば、必要以上にキッチン関連の設備が充実した台所を持つ家なんか借りなきゃ良かった。勝手に気合いの入った大改造を施した挙げ句、一切合切置いて引っ越していった先住者が恨めしい。 プロ仕様システムキッチンなんて、ゴキブリホイホイならぬ料理道楽のコザルホイホイも同然じゃないか。 その上ここの大家は筋金入りのインテリスタ。 ヒトの顔を見れば、『インテルの太陽王子をドアの外で何時間も立ちっぱなしにさせんな』とかなんとかギャーギャーうるさいったらありゃしない。 昼夜を問わず、こっちの都合も考えずに押しかけてくる奴が悪いんだろう? そんなオレ(ユーベDF)の正論がインテルの熱狂的サポーターに通じるはずもなく、なし崩しに新伍に合い鍵を渡さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。 トドメが“太陽王女カノジョ説”だ。 新伍が無責任に作っては放置していく大量の菓子類の処分に困って、チームメイト達に配りまくっていたら、いつのまにかおぞましい噂がクラブ内を席巻していた。 ミラノから毎週通ってくるケナゲなカノジョだと? コザルは男だろう!? とはいえあんまり男だと反論すると今度はホモ説に転じかねない。冗談じゃねえぞまったく。 ジェンティーレは苛立ちもあらわにため息をついた。 「……? なーに辛気くさい顔してんのさ?」 突如降ってわいた脳天気な声に驚いて顔を上げる。 新伍が両手にパスタ皿を持って立っていた。 いきなり現実に引き戻されて、内心焦りまくる。 新伍はなにも気づかぬ様子でジェンティーレの前に皿とエスプレッソのカップを置き、自分も向かいの席に着いた。 なにげに皿に視線を落としてジェンティーレは仰天した。 こ、このプリン山みたいにうず高く盛り上がった大量のポモドーロ(トマトソースパスタ)は一体何事だ。 「八百屋のオバサンがおまけしてくれたもんで、つい作り過ぎちゃった。てへ」 「ばっ、作りすぎったって限度ってモンがあるだろ!?」 「え〜、だってさあ。せっかく気合い入れてこしらえた今期最高のトマトソースの自信作、捨てるなんてもったいないじゃん」 新伍はちっとも悪びれずにそう言った。 トマトソースなんか瓶詰めのやつを開ければ事足りるだろうに。 食事はたいてい外食で済ませ、家では冷凍食品を電子レンジに放り込む程度のジェンティーレからすれば、新伍の料理に対する飽くなき情熱はさっぱり理解できないものだった。 「ったく、お前も物好きな奴だな」 呆れたようにつぶやいた。 「うん。おれ、料理好きだよ。すっごく」 新伍がどう聞き違えたのかニコっと笑顔でうなずいた。 「だってサッカーと違って手っ取り早く結果が現れるだろ」 「はァ? なんだそりゃ」 予想外の言葉にジェンティーレが首を傾げる。 新伍は「んー、なんて言ったらいいかなあ」と言葉を探すように考え込んだ。 「おれサッカー好きだから、ちょっとやそっとのハードな練習なんてちっとも苦じゃないんだけど。なにをやってもうまくいかない日なんか、ふっと不安になるんだよね。練習の成果なんて目に見えてわかるモンじゃないから」 いつも呆れるほど前向きなコザルらしからぬ弱気なセリフである。 ジェンティーレは怪訝そうな顔で新伍を見た。 「そういう時って無性に料理したくなるんだ。料理ってさ、出来はどうあれ短時間で一応の成果が得られるだろ。はっきり目に見える確かなものを手に入れて、ひとまずホッとしたらサッカーの練習に戻る。その繰り返しかな?」 そういって新伍は小さく笑った。 珍しくあれこれ口を差し挟まず、黙って耳を傾けているジェンティーレをまっすぐ見つめて、 「あ、このことジノには内緒だからな」 こんなの知られたら恥ずかしいだろ、と照れた顔でつけ加える。 「マッティオにも言うなよ」 「あのなあ。ミラノくんだりまでンなこと暴露しに行くほどオレは暇じゃねーよ」 ジェンティーレはぶっきらぼうに言った。 「フランコとゴメスとサムエーレとニコーラとオテッロにもだぞ。あとインテルの他の連中にも絶対に言うなよ!」 「たいがいシツコイなお前も。言わねえってんだろ、ったく」 「ええとカリメロにバッシ監督にダリオコーチ、そんでもって下宿のオバサンに……」 「………まだ続くのかそれ?」 延々と思いつく限りの知人友人の名を挙げ連ねていく新伍を呆れたように見やって、ジェンティーレはため息混じりにつぶやいた。 うんざりしたように頭を掻きながら、 「そんな知られたくねえ話なら最初っからオレに喋んな。このバカ」 新伍は虚を衝かれた面もちでジェンティーレを見た。 「そうだよねえ。なんでだろ。ジェンティーレはどう思う?」 「ンなこた自分で考えろ」 「うーん。家の壁や柱とか、そこらの置物に話しかけてるのと大差ないからかなあ」 「……殴るぞてめえ」 ジェンティーレは拳を固めて新伍をにらみつける。 「じゃあジノに訊いてみる」 新伍はポケットから携帯電話を取りだした。 ジェンティーレの顔色が変わった。あわててテーブルの向こう側へ身を乗り出し、新伍の右手首をがしっと掴んで、 「ちょ、待ちやがれ!? 冗談じゃねえ、却下だ却下!」 ヘルナンデスに相談だと!? 悪魔を召喚するのと同じじゃねえか。それも魔神クラスの。思わず想像して、背筋に冷たいものが走った。 「なんでさ。それじゃあマッティオに訊いて……」 「ダメだ! そんでもって、さっきお前がずらずら並べ立てた連中にも訊くんじゃねえ!」 新伍を怒鳴りつけて、悪魔召喚プログラム端末もとい携帯を没収した。 こんな危険物、いっそ鍵付き金庫の中にでも放り込んで封印してやろうかと思ったが、いくらなんでも大人げない気がして、すんでの所で思いとどまる。 「ヒトにばっか訊いてねえで少しは自力で考えろ!」 「えー? ジェンティーレのイジワル〜」 「黙れバカザル」 携帯を頭上高く、新伍の手の届かない位置に掲げてジェンティーレが言った。 新伍はしぶしぶ考え始めた。 心持ちうつむき加減で腕組みをして、いつになく真面目な面もちで沈思黙考している。 やれやれ、やっと静かになった。 ジェンティーレはほっと胸をなで下ろした。緊張がほぐれたせいかにわかに喉の渇きを覚えて、なかば無意識にエスプレッソのカップに手を伸ばした。すっかり冷めていたが構わず口に運ぶ。 ほぼ同時に、新伍がなにか思いついたように顔を上げた。 「ああ、わかった。ジェンティーレは特別なんだ」 ジェンティーレは口に含んだエスプレッソを盛大に吹き出した。 ゲホゴホむせながら息も絶え絶えに問い質す。 「ととと、特別だぁ!? 唐突になにキモいこと言い出しやがんだてめえ!?」 「え? おれたちライバル同士だろ。それって特別な間柄って言わないか?」 思いっきり梯子を外されて、ジェンティーレは椅子からずり落ちそうになった。 「言わねえよ、このバカ野郎!」 「……? ジェンティーレ。顔赤いぞ。なんでそんな焦りまくってんのさ?」 新伍は不思議そうにジェンティーレの瞳をじっとのぞき込んだ。他意などまったく感じられない。空気が読めないにもほどがある。 あまりの鈍さにジェンティーレは目眩がしてきた。 天然もここまでくれば重要文化財クラスのシロモノだ。それどころか法王庁に列聖申請したら、その日のうちに聖人認定されそうな奇跡レベル。 それはともかくとして。 ジェンティーレは露骨に視線を逸らして叫んだ。 「オ、オレはだなっ、断じて焦ってなんかいないんだからなっ!」 明らかに焦りまくりの動揺しまくり状態であるが、そんなこと鈍いコザルが気づくはずもなく。 「そだな〜。ライバルに打ち明け話ってのもヘンか。だったら他に理由あるかなあ。ねえねえ、ジェンティーレはどう思う?」 新伍は小鳥のようにちょこんと首を傾げて、世にも無邪気な顔でたずねた。 ここにきてついにジェンティーレの忍耐がブチ切れた。 「そんなこっぱずかしいことオレに訊くな〜〜〜!? このボケザル!!」 >あとがき 相互記念としておこめさんにさし上げた小説。 コザルですがもはや押しかけ女房と化しています。 ジェンチもさして不満はなさそう(?)なので、なにも問題ありません。 ジノに弱音を吐かない理由? 「だって嫌われるのイヤだもん」 ←恋に恋するオトメかお前は(byジェンチ)。 ← 戻る |