休日は床みがき 2007.05.07

 なんの気なしに居間のドアを開けたとたん、葵新伍の厳しい声が飛んだ。

「ちょっと。そこ無神経にズカズカ歩かないでよね、ワックス掛けしたトコなんだから」

 鼻先にモップを突きつけられてムッとしたジェンティーレが口を開く。

「はァ? 頼んでもねえこと勝手にやってんのはお前だろーが!?」
「はいはい。わかったから、そっちの新聞紙の上でおとなしくしててくれない?」

 ジェンティーレを適当にあしらうと、くるっと背を向けてモップがけを再開した。

 いったいなんなんだこの状況は。ジェンティーレは頭が痛くなってきた。
 たまの休日だというのに早朝いきなり現れた新伍に「今日は大掃除だ!」とたたき起こされ、半分寝ぼけながら言われるままに家具をあちこち移動させられた挙げ句、今は邪魔者扱いされて新聞紙の上で立ち往生しているのだ。

「なあ。いつまでこーしてなきゃなんねえんだ?」
「ん〜、とりあえず触っても跡がつかない程度に乾くまでかな」
「具体的に言え具体的に」
「ま、少なく見積もって一時間弱ってとこ」
「なにィ!? その間ずっとここに突っ立ってろってのか!?」

 つい声を荒らげてしまう。同時に玄関のインターフォンが鳴った。

「おいジェンティーレ。入るぞ…………うわっ!?」

 動転した叫び声に続いて盛大な騒音がこだました。
 ジェンティーレと新伍は思わず顔を見合わせる。

「あれ。誰だろ。お客さん?」
「ったく、そんな悠長なコト言ってる場合じゃねえだろ!?」

 嫌な予感を覚えつつジェンティーレは駆け出した。
 床のあちらこちらに飛び石の如く敷かれた新聞紙を伝って玄関へと急ぐ。
 玄関に続く廊下に足を踏み入れるなりぎょっとした。
 ついさっきワックス掛けしたばかりの床があたり一面水浸しになっているではないか。

 ひっくり返って中身が空になったバケツと一緒に倒れていたのは、ユベントスの正ゴールキーパーのファーレンフォルトだった。普段からボーっと上の空で、自分の足に躓いて転んでばかりいる彼のことだ。たぶん今回も玄関のど真ん中に置かれた床洗浄液のバケツに気づかず、足を引っかけてすっ転んだのだろう。

 ジェンティーレはがっくり肩を落とした。

「ファーレンフォルトさん。お願いだからもう少し前見て歩いてくれませんか」
「すまんすまん。気をつけてはいたんだが、ついうっかり」

 尻餅をついたままファーレンフォルトが人の良い笑顔を浮かべる。
 試合の時は人が変わったように冴えたセービングを披露するクセに、オフ時はたんなる天然入った人畜無害なお人好しにしか見えない。いろんな意味でアンビバレンツかつアンバランスな人だ。
 まあオンオフともに性格の綻びまくった某インテルのキーパーよりマシか。

 不意に背後で世にもとげとげしい声がした。

「ちょっとジェンティーレ。これどーいうことさ」

 ふり返るといつになく険しい表情の新伍が立っている。
 ジェンティーレは現在の廊下の惨状をはっと思いだし、あわてて弁解した。

「わ、わざとじゃねえぞ! 決して悪気があったワケじゃ……」
「言い訳してるヒマあったらさっさと手を動かす!」

 問答無用でジェンティーレとファーレンフォルトの手にそれぞれモップを押しつける。

「そこのワックス掛け終わるまで昼飯抜きだからね!」

 新伍はプンスカ怒りながら叩きつけるように台所のドアを閉めた。
 ややあってジェンティーレが気まずい顔で頭を下げた。

「えーと、すみません。あいつ頭に血が上ってるみたいで」
「構わないさ。俺が悪かったんだし」

 ファーレンフォルトがモップを支柱にしてよっこいしょ、と起き上がる。

「しかしお前のカノジョ、なかなか気が強いな?」
「……………………はい?」

 一瞬なにを言われたか理解できなかった。脳細胞が一気に死滅したような心地になる。
 ようやく我に返ったジェンティーレはふるえる声で問い質した。

「あの……誰からそんな口からデマカセ吹き込まれたんです……?」
「こないだペルッツィから聞いたんだが。違うのか?」
「……そうですか。やっぱり」

 怒りのあまりこぶしを固める。
 おのれペルッツィ。あとで絶対シメてやるから覚えてろ。
 ジェンティーレが内心密かにユベントスユース時代の同僚に対する暗い復讐の炎を燃やしていると、再び台所のドアが開いた。

「なにサボってんのさ。マジメにやんないとこっちにも考えがあるよ」

 新伍があからさまに険のある表情でジェンティーレをにらみつける。

「今日の昼食はボローニャ風ミートパスタなんだけど。ジェンティーレのぶんだけ抹茶キノコチョコあえ粒あんソースパスタにしてやるからな!」
「ちょっと待て――!? なんだその得体の知れないメニューは!?」
「文句あるならワックス掛け、一時間以内に終わらせてよね」

 厳しい口調で言うと再び新伍は台所に引っ込んだ。

 ジェンティーレは唖然として閉じたドアを見つめた。
 ハンドルを手にしたとたん性格が一変する話ならよく耳にするが、新伍はモップを持たせると暴走するタイプなんだろうか。

 隣でファーレンフォルトが苦笑する。

「ははは。すっかり尻にしかれてるようだな」
「………それ以上アホなことほざきやがりますとさすがのオレも礼儀を忘れて殴りますよ」

 ジェンティーレは怒りに肩を震わせながらドスの利いた声でつぶやいた。




>あとがき

あいかわらずジェンティーレ宅に入り浸ってます。新伍。
モップを持つと性格が豹変するみたいです。
オマケにジノとはまた別の意味で始末に負えないファーレンフォルトまでいるし。
ツンデレ紳士の苦労は絶えません。



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