■ トモダチ | 2007.04.25 |
練習場脇にある満開の桜の下。 ジノはひとり腰を下ろしてぼんやりグラウンドを眺めていた。 ちょうど通りかかったカリメロが声をかける。 「どうしたジノ。しけたツラして」 「べつになにも。そんな風に見えます?」 ジノは柔らかな笑みを浮かべてたずねた。 カリメロは無言でジノをじっと見た。軽く肩をすくめて、 「ま、気持ちはわからんでもないがな」 口の中でそっとつぶやくと抱えた用具入れを足下に置き、ジノの隣に座った。 すぐ目の前のグラウンドでは恒例の紅白試合が行われていた。 白のビブスを身につけた新伍がピッチ内を所狭しと元気に駆け回っている。ほんの一時も足を止めない。驚異の運動量はインテルの七不思議のひとつだ。 相手のパスミスから易々とボールを奪い、新伍は一気に中央突破を図った。 流れに乗ったドリブルで紅組のDFを次々と抜き去り、ペナルティエリアに深く切れ込む。そのままキーパーもかわして右足を豪快に振り抜いた。狙い過たず強烈なシュートがゴール左隅に突き刺さる。 先のワールドユース日本大会からまだいくらも経ってないというのに、疲れなど微塵も感じさせない溌剌としたプレイである。 「ハハッ、日本からトンボ帰りしたばかりだってのにシンゴは元気だな」 「そうですね。ホント、楽しそうだ」 「注意力散漫なのはあいかわらずみてえだがな」 新伍が「やったー!」とガッツポーズで飛び上がった弾みにマッティオと衝突してしまい、二人仲良く?地面に転がる様を目にして、カリメロがやれやれとかぶりを振った。 新伍はくるっと一回転して起き上がり、すぐさま走り出した。 ワンテンポ遅れてマッティオがよろよろ立ち上がる。新伍の下敷きにされたぶんダメージが大きかったようだ。「シンゴ〜!? なにしやがんだゴラァ!?」とか叫びながら新伍の後を追いかけていく。 あの様子ならまあ大丈夫だろう。これくらいでへたばっていては、とてもじゃないが新伍の相方なんて務まらない。マッティオもなかなかしぶとくなったもんだ。 新伍を敵視していた頃のマッティオを思い出して吹き出しそうになる。 ジノは改めてフィールド全体を見わたした。 いつも変わらぬ顔ぶれと見慣れた光景がそこにあった。 違いはただひとつ。あのゴールを守る者が自分じゃない。それだけだ。 ジノは軽いため息をついた。 そんなジノを横目でちらっと見やり、カリメロがさりげない調子で切り出す。 「――なあジノ」 「なんです?」 「おめえは今までオレが見てきたなかでも指折りのキーパーだ。あせるこたあねえ。まずはその両手のケガを治すことに専念しな」 ジノは完全に虚を衝かれた面もちでカリメロをじっと見た。 やがてフッと笑って、 「……まいったな。お見通しですか」 「当たり前よ。オレを誰だと思ってんだ?」 カリメロはしたり顔で言ってのけた。 そう。目の前の男はただの用具係ではないのだ。 長年の経験と鋭い観察眼。加えて彼ほどインテル所属の選手すべてを熟知している者はいないだろう。まさにインテルのヌシといっても過言でない。 ジノはワールドユースで負傷した両手首に目を落とした。 あの時負った傷は予想以上に酷く、また無理を押して日本戦に出場したことでさらに悪化させてしまい、帰国と同時に医者から「当分は決して手を使うな」と厳命されてしまった。 こんな状態でゴールキーパーができる練習といえばせいぜい軽いランニング程度。練習試合に参加するなんてもってのほかだ。 つまらないケガで時を無駄に過ごす己の不甲斐なさに歯がみする。もどかしさは日を追うごとに募ってきたけれど、それを極力顔に出さぬよう努めてきた。 仲間に哀れまれるなんてまっぴら御免だ。 「みんなにはバラさないでくださいよ。みっともないから」 「やれやれ。おめえのそういうトコ、昔っから変わらねえよな」 カリメロが大仰に肩をすくめた。 ジノは内心苦笑する。まあそう言われても仕方ないかもしれないが。 決して他人に弱みは見せない。 自分の心の裡を明かすなんて冗談じゃない。 仲間なんか頼る気になれないし親しい友人もいらない。 なのに外面だけは人並み以上に良いから誰も気づく者はいなかったけど。 否、目の前のこの男以外は。 『ガキのクセににこやかに他人行儀なヤツだな、おめえ。トモダチくれえ作れよ』 『知人ならたくさんいますよ。よけいなお世話です』 確かに我ながらカワイクないガキだったという自覚はある。 「けどまあ、あの頃に比べりゃずいぶん性格が丸くなったもんだ」 からかうようなカリメロの声に現実に引き戻される。 「さっきの話だが、オレがどうこう言うまでもないと思うがな」 「――え?」 「あいつらの目も案外フシアナじゃないってことさ」 怪訝そうに首を傾げるジノにニッと笑いかけ、カリメロは両膝を払って立ち上がる。 スパイクシューズが山と積まれたカゴを持ち上げると、背を向けたまま「じゃあな」と軽く手を振って倉庫の方へ歩いていった。 ジノは狐につままれたような面もちでカリメロの背中をぼんやり見送っていた。 ふいに春風が耳元を吹き抜けた。次いで強い風が桜の枝を揺らす。なにげなく顔を上げると視界一面に大量の白い小片が飛び込んできた。 次から次にはらはらと舞い降りる薄紅色の花びらは、いつかスタジアムで見た紙吹雪のストームのようで。知らず伸ばした手のひらに雪のように降り積もっていく。 雲ひとつない晴朗な空に舞う薄紅の雪景色に見とれたまま、どれくらい経った頃だろう。 思いがけなく背中に感じた暖かさに我に返る。 顔だけふり向いて唖然とする。 「――シンゴ!? こんな所でなにしてるんだ?」 「へ? なにって休憩だけど。休憩」 ジノの背中に自分の背をもたせかけたまま、新伍はけろっとした顔で言った。 ジノは絶句した。もしや俺は練習試合が終わるくらい長い間、しかも背後に忍び寄られてもまったく気づかないほど呆けていたのか。 気恥ずかしさのあまり赤面する。あわてて視線をそらした。 お互いの背をもたせかけたまま微妙な沈黙が降りる。 内心あせりまくっているせいだろう。当意即妙な受け答えが得意なジノにしては珍しく、この場にふさわしい言葉が思いつかない。いわゆる脳内コンピューターがフリーズした状態だ。 珍しいといえば新伍も同じで、口にチャックでもしたかのように依然と黙して語らない。普段は息つく暇もなく、思いつくままにあれこれ楽しげに喋りまくっているのに。 今さらながら不審に思って肩越しに問いかけた。 「シンゴ。どうかしたのかい? 具合でも悪いとか……」 なにか変なモノでも食べたのかい、と危うく喉元まで出かかった言葉を引っ込める。 「べつに、どうもしないけど。あ、もしかしておれがここにいるの、迷惑かな?」 新伍がちょっと心配そうにたずねる。 ジノはあわててかぶりを振った。 「え? そ、そんなこと無いよ。うん全然。まったくこれっぽっちも」 「そっか。ならいいんだけど」 そう言って新伍は空を見上げた。座ったまま大きく伸びをする。そのまま完全に日向ぼっこモードに突入してしまった。 またもや沈黙が流れる。 とりあえず気まずいこの状況をなんとかしなければ。 ためらいがちにもう一度声を掛けようとした矢先、新伍が言った。 「おれ、イタリア来るまですっごく仲いいトモダチいなかったんだ。中学のサッカー部でもひとり浮きまくっててさ。空気読めないヤツとか言われてたなー」 さもありなん、ジノとしてはうなずかざるを得なかった。 些細なことにはくよくよ悩まず、呆れるくらい前向きで、喜怒哀楽がやたら激しく、その時々の感情をなんのてらいもなくストレートに表現する。はっきりいってイマドキのイタリア人よりもイタリア人らしい。裏返せばこれほど日本人らしくない性格もないだろう。 こう言ってはなんだがレベルがそう高いとも思えないスクールサッカーの面子の中で一人ずば抜けた才能を持っていて、しかも性格は日本の風土とかけ離れたカラっと明るい地中海性気候ときたもんだ。 さぞやワル目立ちして周囲から浮いた存在だったに違いない。 「おれだって歩み寄る努力はしたんだぞ、一応。でもなぜかいつも空回りしちゃうんだよな。いい加減イヤになって家の裏庭で膝を抱えてぶーたれてるとさ。気がついたら隣にいるんだ、おれの姉ちゃんが」 “姉ちゃん”というのは日本にいる新伍の姉のことだろう。 二人はとても仲の良い姉弟で、新伍のイタリアサッカー留学に関してそれとなく便宜を図ってくれたのも彼女だったらしい。 「姉ちゃんはなんにも聞かないし、おれもそっぽ向いたまま黙って二人で座ってるだけなんだけど。おれの気の済むまで何時間もつき合ってくれてさ。なぜだかわかんないけどちょっとだけ心が軽くなって、さあ明日も頑張るぞ〜って気になれたんだ。だから――」 新伍が少し照れくさそうな声で言った。 「いつかおれにトモダチが出来たら同じことしてあげたいなあって、ずっと思ってたんだ」 「……かなわないな、シンゴには」 ジノは苦笑混じりにつぶやいた。 新伍が心配そうにたずねる。 「って、こんなのおれの自己満足なだけかもしんないけど。だったらゴメン」 「そんなことないよ。ありがとうシンゴ」 「ホント? だったらすっごく嬉しいな〜!」 新伍は声を弾ませ、無邪気に両足をバタつかせながら大喜びしている。 背中合わせなので顔は見えないが、きっと晴れた日の青空のような屈託のない笑顔を浮かべているのだろう。 ジノは小さく笑った。つくづく俺とは正反対の性格だ。でも決して不快じゃない。 それどころか好ましいとすら思えてくる。我ながらいい加減なものだ。 こんなにあけすけに自分の心の裡をさらけ出すなんて、俺には到底ムリだけど。 「ふわぁ……安心したら眠たくなってきた」 新伍があくび混じりの気の抜けた声で言った。 「え?」と聞き返すよりも早く、背後から静かな寝息が聞こえてくる。 「お、おいシンゴ。こんな場所でうたた寝なんかしたらカゼ引くぞ!? ていうか練習、もう始まってるんじゃないのか?」 あわてて背中ごしに叫んだが返事がない。 ジノの背中に体をもたせかけたまま、新伍は完全に爆睡モードに突入していた。 さらに何度も「起きろ」と声を掛けたうえ、遠慮がちに肩を揺さぶってみたが、ムニャムニャと意味不明な寝言を言うだけで一向に目を覚ましてくれない。 「まいったな。どうしようか」 半ば真剣に悩んでいると、呆れたような声が降ってきた。 「なんだ。こいつ、やっぱお前んトコいたのか」 ジノはにんまり笑ってマッティオを見上げた。 「やあマッティオ。実にナイスなタイミングで現れてくれたね」 「お前なあ。飛んで火に入る夏の虫を見るよーな目でこっち見んな!」 「いや、どちらかといえばカモがネギ背負ってやって来た感動で胸が一杯なんだけど」 「よけいタチ悪いじゃねーかこのヤロー!」 マッティオの憤りなど鼻にも引っかけず、ジノが言った。 「というわけでマッティオ。監督にシンゴの不在についてなにか訊かれたら、テキトーに誤魔化しておいてくれないか」 マッティオはちらっと新伍を見た。なんとも無防備かつ気持ちよさそうに熟睡しているその姿に軽く肩をすくめる。 「……ったく、しかたねえな。わかったよ」 「それと、俺のロッカーから荷物を取ってきて欲しいな。毛布は備品室だよ。あと食堂で何か温かい飲み物を調達してきてくれ。大至急で」 矢継ぎ早に繰り出される一方的な要求に、マッティオの堪忍袋の緒がぷっつり切れた。 「だーッ、当たり前の顔してポンポン用事を付け足すんじゃねえ!?」 「やだな。これでも必要最低限に留めたつもりだよ」 「それのどこが最低限だ!」 やんわりとふざけた答えを返すジノをにらみつけて一喝する。 ジノはのんびり穏やかにマッティオを見返した。 その緑の双眸は確かに「グダグダ言ってないでさっさとやれ」と告げていた。 これぞ目は口ほどに物を言うの好例である。 マッティオはがっくり肩を落としてかぶりを振った。 「……わかっちゃいたけどホント傍若無人だよな、お前ってヤツはさ」 ひとしきりぶつぶつ文句を言ってから、ジノをまっすぐ見据えた。意を決したように口を開く。 「えーとその、なんだ。イライラする気持ちもわかるけどよ。当分はオレ達だけでなんとかやってくからチームのことは心配すんな。お前はケガ治すことに専念しろ」 「――マッティオ」 ジノは軽く目を見開いた。 「気づかれてないと思ってたんだろ。残念だったな。バレバレだぜ。なんだかんだいって付き合い長いからな、お互いに」 マッティオの言葉に嫌な予感がした。おそるおそるたずねてみる。 「てことは、まさか……?」 「ああ。オレだけじゃない。フランコやゴメス、サムエーレとかユニオーレスからの古株連中には確実に見抜かれてるぜ。てなワケでムダな努力ご苦労さん」 マッティオはいい気味だと言わんばかりに胸を反らした。 あいつらの目も案外フシアナじゃないってことさ。 カリメロの声が脳裏に蘇る。 ジノは柄にもなく頭を抱えたい気分になった。 どうやら俺は彼らの見識をいささか見くびっていたようだ。ジノは軽くため息をついた。 「まいった。この件に関しては俺の完敗だ」 「へえ。お前にしちゃ薄気味悪いくらい素直だなー」 「自らの非を認められないほど俺もヤキがまわっちゃいないさ」 もっともらしい顔で頷き、静かにマッティオを見据えた。 「ところでマッティオ。急いだ方がよくないか?」 「は、やぶからぼうになに言ってんだお前…って……あ」 ジノの言葉の意味するところに気づいてさっと青ざめた。口ごもりつつ訊いてみる。 「お、おいジノ。いま……何時何分だ?」 「さあ。少なくとも練習再開して30分は経ってるだろうね」 「気づいてたんならもっと早く言えよ――!?」 ジノを怒鳴りつけ、マッティオはきびすを返して走り出した。 ジノはマッティオの背中に淡々と声を掛けた。 「そうそう。俺の荷物と毛布とカプチーノ忘れるなよ」 「ば、バカ野郎〜いまそれどころじゃねーっつーの!」 「大至急でなくてもいいからよろしくな」 そう言い添えてマッティオの後ろ姿に軽く手を振った。 肩越しに新伍を見やる。 目を覚ます気配はない。ひたすら正体無く眠り呆けている。 練習では元気そうに見えたが実は相当疲れていたのだろう。無理もない。 背中に感じる小さな暖かさに知らず笑みが漏れる。 たまにはこんな小休止も悪くはないかな。 イタリアに帰国して以来、初めてそんな風に思えた。 >あとがき ワールドユース終了後まもなく設定です。 桜が咲く季節じゃなかったような気がしますが大目に見て下さい。 ジノと新伍。 互いに問題ありまくりな二人が偶然出会って意気投合したイメージです。 ぶっちゃけ似た者同士っていうかなんてゆーか。 性格は正反対ですが根っこの部分は同じ。 空の青と海の青はどちらも青だけど同じじゃないように。 ← 戻る |