Buon Compleanno 2007.03.12

 ロッカールームで着替えの最中、新伍が能天気に言った。

「あのねマッティオ。今日、誕生日なんだ!」
「……はァ? 誰の?」

 マッティオはわけもわからず聞き返した。冗談抜きでなんのことやら皆目見当もつかない。

 新伍は気を悪くした様子もなくマッティオを見上げると、

「誰って、おれに決まってるじゃん」
「なに言ってんだ、お前の誕生日は3月12………え?」

 マッティオは自分の言葉にぎょっとした。

 今日は3月12日。つまり新伍の誕生日ではないか。いわれてみればつい先日、新伍の誕生祝いをなんにするか悩んだ記憶が蘇る。なぜオレは今の今まで綺麗サッパリ忘れ去っていたのだろう。

 ここまで思いだしたところで、マッティオはハッとわれに返った。新伍が期待に満ちたマナザシでじーっとこちらを見つめている。マズい。とりあえずなにか言わねば。背中に嫌な汗をかきながらマッティオが口を開こうとしたその時、ジノが横から割り込んできた。

 ジノは穏やかな笑みとともにプレゼントを差し出した。

「誕生日おめでとう、シンゴ」
「ありがとうジノ! えへへ〜プレゼントもだけど、おれの誕生日を覚えててくれたってコトがすっごく嬉しいや」
「それくらい当然さ。……どこかの若年性健忘症な誰かさんはともかくね」

 そう言ってジノはちらりとマッティオに視線をやる。

 はっきりいって非常にムカついたが、思いきりど忘れしていたのは事実なので、マッティオには返す言葉もない。いや、インテルユースメンバーの中には、オレ以外にも新伍の誕生日を忘れてるヤツの一人や二人、絶対いるはずだ。いないはずがない。

 根拠のない確信――俗に言うところの期待感に裏打ちされた勝手な妄想――を胸に、マッティオは顔を上げた。ほぼ同時に背後からフランコがひょっこり顔を出した。

「おい、シンゴ。お前の誕生日だったよな。たいしたモンじゃないが取っとけ」

 そう言って綺麗にラッピングされた包みを新伍にぽいっと手渡す。それを合図に、他のチームメイトたちもぞろぞろと集まってくるではないか。

「おめでとうシンゴ。はいこれ。気に入ってもらえたら嬉しいんだけど」
「こっちはおれからの。今月ピンチなんでこんなんで悪いな」
「Buon Compleanno(誕生日おめでとう)! ま、今後もヨロシク」

 サムエーレ、ゴメス、ニコーラが口々に祝いの言葉を述べて、プレゼントを差し出した。

「わーい、ありがとう、みんな!」

 両手一杯にプレゼントを抱えて、ホクホクと世にも幸せそうな表情で新伍が言った。眼前の光景にマッティオは愕然となった。ムンクの叫びの如き形相で、

「なっ……忘れてるのオレだけ!? オレってマジ健忘症!?」
「――覚えてないのか。マッティオ」

 フランコが哀れむような視線をマッティオに向けた。大きなため息をつくとためらいがちに、

「記憶が飛んじまうなんてな。ま、あれじゃ仕方ねえか」
「おい、ちょっと待て。どういう意味だそりゃ!?」
「いやその、なんだ。お前の後頭部にゴールキックのボールがぶち当たってよ……」

 フランコの話によれば遡ること数日前、紅白戦でジノの蹴ったゴールキックが狙い過たず(?)見事にマッティオの後頭部に炸裂したらしい。

 フランコはやれやれと肩をすくめて言葉を続けた。

「ぶっ倒れてしばらくピクリとも動かねえから、あん時はマジ死んだかと思ったぜ」
「ジノ〜〜〜!? お前とゆーヤツは!?」

 マッティオが怒りに拳を震わせてジノに詰め寄ろうとしたその時、背後でぽつりと寂しげなつぶやきが聞こえた。

「そっかあ、忘れちゃったんだ」
「――!? シ…シンゴ」

 ふり返ると新伍がしょんぼりとうつむいている。はっきりいってムチャクチャ気まずい。そうストレートに傷ついた顔を見せられると、良心がちくちく痛んでしかたないではないか。

「えーと、そのだな……オレも悪気があったんじゃ……」

 マッティオの歯切れの悪い物言いと対照的に、新伍は一転して元気よく顔を上げた。初夏の日差しのような明るい笑顔を見せて、

「でも良かったよな、マッティオ」
「はァ? なに言ってんだお前?」

 マッティオは呆れたように聞き返した。この状況下のどこら辺に「良かった」と思えるような好材料が存在するというのだ。

「だって死んだマッティオからプレゼントが届いてもちっとも嬉しくないよ。おれの誕生日忘れちゃっても生きててくれるほうがずっといい」

 新伍はマッティオをまっすぐ見つめて、なんのてらいもなく言ってのけた。

 正直いってマッティオは少なからず感動した。感に堪えない面もちで、

「シンゴ……お前……」
「それに明日試合なのに前置きもなく急に相方が死んじゃったら、すっごい大迷惑」
「……ちょっと感動しちまったオレがバカだったぜ」

 マッティオはそう言ってがっくり肩を落とした。冬のマッターホルン山頂から、不意打ちローキックでたたき落とされたような気持ちになる。

 新伍に悪気はないのだろう。たぶん。ただ、少しばかり物言いがストレートすぎるだけなのだ。……そう信じたい。

 目下、失意のどん底にあるマッティオにさらなる追撃をかけるように、ジノが言った。

「シンゴ。良かったついでにマッティオが夕飯奢ってくれるそうだよ」
「おいコラちょっと待てジノ、ンなことオレは一言も……!?」
「まあまあ。俺も半分出すからさ。……というワケでシンゴ、君の好きな店を選んでいいよ」

 ジノの言葉に新伍はパッと顔を輝かせて叫んだ。

「ホント!? やったあ! じゃあおれ、こないだ出来たばっかりのトスカーナ料理の店がいいなあ〜!」

 そこへフランコとサムエーレが首を突っこんできた。

「そりゃいいな! おれも参加させてもらうぜ」
「あ、おれも。いいよね、シンゴ?」
「うん。みんなで行ったほうがずっと楽しいもんな!」

 新伍は無邪気にうなずいた。マッティオの懐具合なんかまったく気にならない様子で。残りのメンバーもその言葉に便乗して、次々と参加の名乗りを上げていく。ジノと折半するとはいえインテルユース全員分となると、考えただけでオソロシイ額になること請け合いである。

 マッティオは顔色を変えて叫んだ。

「お前らはついて来るな〜〜〜!?」
「そうだね。マッティオも大賛成ということで、じゃあ行こうか」

 ジノがしれっとのたまったところで、用具係のカリメロが大きな段ボール箱を抱えて入ってきた。

「おいシンゴ。お前宛になんか届いてるぞ」
「え? おれに? なんだろ」

 新伍は少し首を傾げて、さっそく荷ほどきを始める。

 しっかり梱包された段ボールの中から現れたのは、イタリアだけでなく世界的にも有名な某老舗家電メーカーのコンベクションオーブンだった。それも最上位モデル。性能も優秀だが値段も相応に高額なことで知られている。

「なんだこりゃ。ていうか誰だ、こんなモン送ってきたヤツ?」

 マッティオはオーブンを見下ろして呆れたようにつぶやいた。段ボール上部に貼られた伝票には、差出人を特定できそうな情報はいっさい記載されていない。

 ジノは黙って伝票にさっと視線を走らせ、すっと目を細めた。

 気になってマッティオものぞき込んだ。ちょうど宅配便の取次店舗名が目に入る。所在地はトリノ。「まさか……な」心の中でひそかにつぶやいた。

 ジノは壁掛け電話に静かに歩み寄り、スピーカーホンのボタンを押して番号をプッシュした。それから新伍を手招きして、

「ほらシンゴ。受話器は取らないでいいよ」

 スピーカーから流れてきたその声は、マッティオも聞き覚えのある人物のものだった。

『―――はい?』

 新伍は嬉しそうに応えた。

「あ、ジェンティーレ? 誕生日のプレゼントありがとうなー!」
『―――!? なっ、なんのことだかサッパリわかんねーな!』
「嬉しいなあ。おれ、前からずーっと欲しかったんだよな〜コレ」
『かかか、カンチガイすんじゃねえ!? べ、別にお前が欲しがってたからやったワケじゃなくって……! 余りまくって何個も台所に転がってんのが邪魔で仕方ねえから、その……!』

 ジェンティーレの悲鳴にも似た怒声がスピーカーの最大音量で室内にこだました。

 フランコはあっけにとられた表情でオーブンの箱を眺めた。開閉部の右側の蓋に『工場直送』と印字されたシールがぺったり貼られている。少なくともジェンティーレ宅の台所経由で送られたものでないことは確かだ。

 ややあってフランコはサムエーレに向き直った。

「なあ。こんなもの台所に二つも三つも転がってるモンか? しかも工場直送だぜ」
「……ツンデレってホントにこの世に存在するんだなあ」

サムエーレの率直な感想に引き続いて、以前、ユベントスユースとの試合でジェンティーレと接触して足を捻挫したゴメスまで痛ましげな面もちでしみじみつぶやいた。

「なんつーか、おれはヤツに哀れみすら覚えてきたぜ……」

 一方、ミラノ―トリノ間の遠距離電話はまだ続いていた。

「じゃあ来週そっち行くからまたね〜!」
『ばっ、バカ野郎。もう来んな〜〜〜!?』
「はいはい。じゃあまた来週!」

 ジェンティーレの怒鳴り声なんか端から無視して、新伍は機嫌良く電話を切った。

 ふと気づいたようにマッティオがたずねた。

「ってか、なんでお前、差出人があいつだってわかったんだ?」
「だっておれ、こないだジェンティーレんちに行った時、目に入るトコ全部にオーブンのカタログ貼り付けてきたんだもーん」

 新伍は悪びれもせず、むしろ自慢げに胸を張って答えてくれた。

「お前は悪魔かなにかか……?」

 さすがにジェンティーレが気の毒になってきた。マイペースに傍若無人な小猿に振り回されたあげく、ジノの陰謀によってインテルユース全員の前でツンデレ属性を暴露されるなんてもはや公開処刑に等しい。

 日頃より新伍やジノから似たり寄ったりの仕打ちを受けているマッティオには、とても他人事とは思えなかった。

 新伍はスポーツバッグを肩にかけ、

「よーし、それじゃあトスカーナ料理店に出発〜!」

 元気のよいかけ声と同時に、勢いよくロッカールームを飛び出した。マッティオの制止の声よりも早く、後ろも見ずに駆け出していく。ノンストップ青信号の二つ名はダテじゃあない。

「おい、ちょっと待てって……まあいっか。店の場所はわかってるしな」

 マッティオがため息混じりにつぶやいたところで、ジノに軽く肩を叩かれた。

「ひとつ聞いていいかな、マッティオ」

 不自然におだやかなその表情になにやら嫌な予感を感じつつも、マッティオは努めてさりげない風を装って聞き返してみた。

「な、なんだジノ?」
「シンゴがあいつの家に入り浸ってるってどういうことなんだい?」
「そっ、それはその……だな。ハハハ………ハ………」

 オレはただ、新伍に内緒にしてくれと頼まれてしかたなく口裏を合わせていただけだ。……なんて口が裂けても言えない。

 そう。今まで新伍はマッティオの家に行くと称してトリノに足を運んでいたのだ。

 ジノは思考がすっかりフリーズした状態のマッティオを眺めやると、いっけん優しげな笑みをたたえて言った。

「まあそれは後からじっくり聞かせてもらうとして。そろそろ行こうか。シンゴが待ってる」

 その声の響きに、新伍だけでなく、地獄の三丁目も待ちかまえていることを半ば確信した。




>あとがき

葵新伍の誕生日記念小説。
あいかわらずマッティオが不幸です。ジェンティーレも負けず劣らずですが。


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