ウワサの彼女 2007.03.03

 ジェンティーレは両手に大きな紙袋を下げて、クラブハウスの廊下を歩いていた。

 ふいに背後から呼び止められる。

「よぉジェンティーレ。久しぶり!」

 声の主はペルッツィ。ユベントスプリマヴェーラに所属する元チームメイトである。

「カゼはもういいのか?」
「……まあな」

 ジェンティーレは言葉少なにうなずいた。風邪の方はほぼ全快している。ただし治りかけの時期に食べた言語道断なシロモノのせいで、腹具合は未だ最悪なのだが。

 ペルッツィが思いだしたように言った。

「あ、そーだ。こないだのチョコ、メチャクチャ美味かったぞ」
「……そうか、そりゃ良かったな」

 ジェンティーレは疲れたように答えた。

 2月14日付けの消印でインテルの葵新伍が送りつけてきた何十本ものサラミチョコレートを思い出し、ため息を吐く。サラミといっても無論ソーセージ入りチョコではない。棒状のナッツ入りチョコを銀紙で包んで糸で縛ったもので、一見してサラミのように見えることからこのような名で呼ばれている。

 そもそもジェンティーレは甘いモノが苦手だった。テーブルに積み上がったサラミチョコの山を前に、どうしたものかと真剣に悩んだ末、ユベントスユースの元仲間たちに配りまくったのだ。

 それからまもなくジェンティーレはタチの悪い流行性感冒にかかり、しばらく寝込むはめになったので、サラミチョコのその後について耳にする機会もなかった。

「そんなに気に入ったんならまだあるぞ。ほら」

 両手に提げた特大サイズの紙袋をペルッツィに押しつける。

「全員に配ってもまだ余るだろうがな。……ったくあいつ、どんだけ作りゃ気が済むんだか」
「え、おれたちがまた貰っちゃっていいのか?」
「今度のは本人曰く “ リンゴとヘーゼルナッツのトルティエーラ・ピエモンテ風味 ” だとさ。どこがどういうワケでそーなのかとかオレに聞くなよ。頭痛くなってくるから」
「すごいな。こんな上手に作れるなんてさ」

 ペルッツィは袋の中を覗いて感嘆の声を上げた。

 あのな、それ(トルティエーラ)作ったヤツは、こないだの試合でお前らから軽々4点もぎ取ってったコザルだぞ? ジェンティーレは思わずそう指摘してやりたい気持ちに駆られたが、信じてもらえそうにないのでやめた。

「あ〜あ。おれもこんな料理上手な彼女欲しいな」
「―――はぁ?」

 なんのことやら見当もつかず、ジェンティーレは怪訝そうに聞き返した。

 次の瞬間ペルッツィの言葉の意味するところに気づいて、頭が真っ白になる。衝撃のあまり正面に立ちはだかる柱に気づかず、思いきり頭をぶつけてしまった。目の前が真っ暗になり、東洋の寺の鐘に似た重低音のノイズが脳内にこだまする。

 こらえきれず頭を抑えてその場にしゃがみ込んでいると、ペルッツィの呆れたような声が降ってきた。

「おいおい、なにやってんだお前?」
「……ペ、ペルッツィ……いまなんて……言いやがった………!?」
「え? ああ。お前の彼女、料理上手でいいなーって」
「ばっ、バカ言うんじゃねえっ!? あんなもん彼女でもなんでもねえよ!?」

 ジェンティーレは頭の痛みも忘れて猛然と立ち上がった。

 彼女とかそれ以前に、コザルの性別は男だ。断じてプリンチペッサ・デル・ソーレ(太陽王女)ではない。男の彼女なんかいてたまるか。

「ホント、素直じゃないよなお前。はるばるミラノからせっせと通ってきてくれるケナゲな子に対して、そんな言い方はないだろ」

 顔を茹でダコのように真っ赤にして詰め寄ってくるジェンティーレを一瞥して、ペルッツィは「またか」といった感じに肩をすくめた。ジェンティーレのツンデレ過剰反応なんて、今に始まったことではない。

「そうそう、ユースのみんなで賭けやってんだけどさ。その子、カワイイ系? それとも美人系?」

 ペルッツィの唐突な質問に虚を突かれ、思わず考え込む。

「む……敢えていうなら可愛いの範疇に入るようなそーでないよーな……じゃねぇ!? ヒトをネタにして変な賭けなんかすんな!?」
「よっしゃカワイイ系か。おれの勝ちだぜ!」

 喜色満面のペルッツィをにらみつけて、ジェンティーレは声の限りに絶叫した。

「だーかーら、彼女とか違うんだって!? あいつはな―――!」
「あーはいはい。わかったわかった。ひとまず落ち着け。――っと、もうこんな時間か」

 ペルッツィは携帯を引っ張り出して時間を確認してから、ジェンティーレに手を振った。

「じゃあな、遠距離恋愛もイロイロ大変だろうが、まあ頑張れよ!」

 爽やかに言い残すと、急ぎ足でロッカールームに向かって走って行った。

 ここにきてついにジェンティーレの忍耐力の糸がぷつんと切れた。

「バカ野郎、ぜんぜんわかってねえじゃねーか!? あいつは男なんだぞ―――!?」

 残念ながらこの叫びはペルッツィの耳に届かなかった。





 よろよろと帰宅したジェンティーレを出迎えたのは、コザルの形をしたさらなる試練だった。

「あ、おかえり〜ジェンティーレ」

 脳天気な声に、思わずドアに取りすがってがっくり脱力してしまう。

「ま、またこのバカザルは……! ヒトんちの台所、勝手に荒らすんじゃねえ!?」

 新伍は泡立て器を手にしたまま、しれっと応えた。

「でもさー、やっぱマズイと思うんだよね。下宿のオバサン宛のプレゼントを下宿のオバサンの台所借りて作るなんてさ。本人にバレバレでサプライズ感だいなし」
「だったらヘルナンデスの家で作れ!」
「ジノの自宅じゃ迷惑かかるじゃん。マッティオんちは大家族だしなおさらだよな」

 どうやらジェンティーレにはいくら迷惑かけても平気らしい。ヒドい話だ。

 新伍は屈託のない笑顔で言った。

「ジェンティーレは一人暮らしだし、台所ぜんぜん使ってないし問題ないよな」
「問題ありまくりだ、このボケザル! おかげでこっちは世にもおぞましいウワサ流されて大迷惑してんだ! ったく、なにが悲しくてお前がオレのカノ……」

 ジェンティーレは言いかけた言葉をすんでの所で飲み込んだ。お前がオレの彼女って勘違いされてるんだぞ、なんて口が裂けても言えるものか。

 新伍は不思議そうにジェンティーレを見上げた。

「カノ…ってなんだ?」
「なんでもないなんでもない、いいからさっさと忘れろ!」
「カノ? ……カノッサの屈辱? カノーキョースケ?」
「んなワケねーだろ、このバカザル!?」

 頭ごなしにバカにされてさすがに頭に来たのか、新伍はふてくされた表情でジェンティーレに詰め寄った。

「じゃあなんなのさー、それくらい教えてくれたっていいじゃないか」
「えーい、しつこい! 忘れろってんだろ!」

 一喝して断固拒否するとばかりに背を向ける。だが甘かった。

 新伍はぴょんとジャンプして、ジェンティーレの背中に覆い被さるようにしがみついた。両腕を回してがっちり首周りをホールドしながら、

「そんなこと言わないで教えろよ〜」
「だ〜ッ、暑苦しい! 放せこのバカ!?」
「だったら早く教えろよ〜! カノ…ってもしかしてカノジ…」
「―――!!?? ばばば、バカ野郎!? そ、そんなワケねえだろ!?」

 断崖絶壁の一歩手前まで追いつめられ、進退窮まったジェンティーレを救ったのはオーブンのタイマー音だった。

 真相の追求はひとまず棚上げにして、新伍はオーブンから天板を引っ張り出した。湯を張ったトレイの上には、蒸し焼き状態の小さなプリン型がずらっと並んでいる。

 新伍は竹串を刺し、少し味見して、よし、と軽くうなずくと、

「やったあ! これでカンペキなパンナコッタのカラメルソースがけ完成!」
「そーか、よかったな。じゃあそれ持ってさっさと帰れ」

 なにげなくテーブルに目をやって、ジェンティーレは絶句した。

「お、おい。こっちの大量のパンナコッタ型はなんなんだ……!?」
「あ、それ試作品。いらないから好きにしていいよ」

 新伍はさも当然のように答えた。ジェンティーレの不吉な予想通りに。

 こんなもの奴らに配ったら、ますます太陽王女カノジョ説が強固になってしまうではないか。

「冗談じゃねえ、責任もって全部持って帰れ!」

 新伍はそ知らぬ顔で、会心の出来のパンナコッタをせっせと箱に移し替えている。ふとなにかを思いだしたように顔を上げた。

「あ、そーだ。カノ…ってなんのことさ?」
「よ、よけいなこと思い出すんじゃねえ――!? さっさとミラノに帰れ! そんでもってもう二度と来るな!!」

 新伍は晴れた日の青空のようにほがらかな笑顔でうなずいた。

「うん。じゃあまた来週な!」
「こ、このバカザルは〜!? もう来るなって言ってんだろ―――!?」
「うん。わかった。また来週な!」

 ジェンティーレの怒りなどやんわり受け流し、ふてぶてしく繰り返し言ってのけた。葵新伍は一度こうと決めたら頑として譲らない。マイペースかつ強引に我が道を突っ走るのだ。ヒトの迷惑も顧みずに。

 どうやらジェンティーレの彼女疑惑が晴れるのはまだまだ先のことらしい。




>あとがき

キャプテン翼WY編・太陽王女の章です。
Azzurre(イタリア女子サッカー代表)を率いてワールドカップ優勝を目指します。

というのは冗談です。
つーかマジ太陽王女だったらとっくにジノの嫁になってるだろ。

エドウィン・ペルッツィ君はC翼Jゲームのユベリーネ・プリマヴェーラのDFです。
名前からしてGKかと思いきや、ジェンティーレ本来のポジションを守ってます。
あのゲーム、なぜかリベロな紳士がFWに転向させられておりますので。

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