Festa di San Valentino 2007.02.15

 ジノ・ヘルナンデスはいつものように穏やかに愛想の良い笑みを浮かべて言った。

「マッティオだって興味あるだろ?」
「いーや、ぜんぜん、これっぽっちも無いね」

 マッティオはきっぱりと言い切った。

 なんでも昨日、新伍が大量の製菓用板チョコレートを抱えてスーパーから出てくる姿が目撃されたそうだ。折しも時は2月。14日のヴァレンティーノ祭を目前に控えた今日この頃。灰色の脳細胞の持ち主ならずとも、その用途くらいピンとくるだろう。

 マッティオの非協力的・拒絶的態度もなんのその。ジノは満足げにうなずいて、マッティオの腕をがっしりつかんだ。

「それじゃあ新伍の下宿に様子見に行こうか」
「ゴラァ!? てめぇ、ヒトの話聞いてんのか!?」

 マッティオはずるずる引っ張られながら叫んだ。

 ジノの腕をふりほどこうにも一分の隙なくホールドされていて、満身の力をこめてもびくともしない。まさに驚異の握力&腕力だ。さすが黄金の右腕はダテじゃない。

「だって気になるじゃないか。いったい誰に贈るんだろう、とかその他いろいろ」

 ジノの言うように、イタリアのヴァレンティーノは男女カップルが互いにチョコレートを贈り合うイベントだ。男からも渡すというあたり、女性からの一方通行の日本のバレンタインとはいささか趣が異なる。

 はたして新伍はどんな女性にチョコを贈るつもりなのか。確かに興味深いテーマではあるが、マッティオとしては二度とあの恐怖の厨房に足を踏み入れる気はなかった。好奇心はネコをも殺すと言うではないか。日本風に言えばヤブヘビ。

 という訳でマッティオは敢然と主張した。

「オレは全然気にならねーよ! そんなに知りたきゃ一人で直接聞いてこい!」

 ジノはやれやれといった風にかぶりを振って、いけしゃあしゃあとのたまった。

「マッティオじゃあるまいし、そんな無粋な真似、出来るわけないじゃないか」
「こ、この野郎〜どのツラ下げて言いやがる!? 厚顔無恥はお前だお前!!」

 マッティオの怒声が当然のように黙殺されたのは言うまでもない。





 新伍の下宿の厨房はもぬけのからだった。

「変だね。シンゴはどこに行ったんだろう?」

 調理器具の散乱する厨房内をざっと見わたして、ジノは首を傾げた。

 マッティオも渋々視線を走らせる。テーブルには大きな調理用ボウルがいくつも所狭しと並べられていた。数からして近所中のボウルをかき集めてきたに違いない。

 それだけではない。足りないボウルの代わりとばかりに、大きな陶器の鉢から洗面器、果ては洗濯用金ダライに至るありとあらゆる容器が床の上に雑然と置かれていた。
これらすべての器に、作りかけのチョコレート生地がぎっしり詰まっているのだ。

 マッティオはぞっとした様子で顔をしかめた。

「うわ……今度もまた盛大にやらかしてんな〜」

 つい先日マッティオ自身が味わったクリスマスプディングの悲劇を思い出す。どうしてこう新伍というヤツは加減というモノを知らないのだろう。そもそも新伍本人はどこに雲隠れしたのだ?

 マッティオがそう思ったとたん、足下がぐらりと揺れた。そのままバランスを崩して一気に後方にひっくり返り、後頭部をしたたか強打する。

 床のはね上げ戸がパカっと開いて、新伍が顔を出した。

「あー重かった。ってあれ? マッティオ? なんで変なポーズで床に転がってんの?」
「………シンゴ。言いたいことはそれだけか?」

 マッティオはオットセイがムーンサルトに失敗したような体勢で静かにたずねた。うっかり地下貯蔵庫の真上に立っていた自分も悪いのだが、それにしても新伍の言い草はあんまりではないか?

 マッティオの憤りなんか気に留めず、ジノがにこやかに言った。

「やあシンゴ。なかなか大変そうだね」
「あ、ジノもいたんだ。なにかあったの?」
「いや、たいしたことじゃないんだけどね。そこに転がってるマッティオが気になって仕方ないそうだから、ひとつふたつ訊いてもいいかい?」
「――ちょっ、おまえなにデタラメ言って……!?」

 ジノはさりげなく後ろ蹴りでマッティオの頭を蹴っ飛ばして黙らせると、

「これってやっぱりヴァレンティーノ用なのかな?」
「うん、そうだよ。姉ちゃんに頼まれちゃってさぁ。ギリギリになって“義理チョコ用に50個、大至急送って頂戴”なんて言われても困るんだよね〜」

 そう言って新伍は肩をすくめた。

 ジノは聞き慣れないフレーズに少し首を傾げ、不思議そうにたずねた。

「義理チョコ? なんだいそれは?」
「あ、イタリアではそーいう習慣ないんだっけ。女の子が本命以外のその他どーでもいい連中にお義理にばらまくチョコレートのことなんだけど」

 じつに新伍らしいアバウトな説明ではあるが、おおむね事実である。さらに男性側に科せられるホワイトデーの三倍返し伝説を事細かに語り出すに至って、マッティオは眉をひそめて訊いた。

「おいおい、日本の男はそんなオソロシイもん貰って嬉しいのか?」
「さあ? ひとつも貰えなくて後ろ指さされるよりマシなんじゃない?」

 新伍はひょいっと肩をすくめた。そしていかにもイイこと思いついた! とばかりにポンと手を打ち、

「そうだ、二人とも。ヒマなんだったら手伝ってよ!」

 マッティオにはチョコ生地入り洗面器、ジノにはアルミ箔とタコ糸をそれぞれ手渡した。

「マッティオはアルミ箔の上に生地を置いて。ジノはタコ糸で縛ってね」
「ああ、これサラミチョコか」

 ジノが納得したようにうなずいた。

 サラミチョコというのは北イタリアでよく知られたチョコレート菓子である。ヘーゼルナッツやアーモンドを混ぜたチョコレート生地を銀紙で包み、タコ糸で縛って冷やせば完成。いっけんサラミのように見えるので Salame di Cioccolato (サラメ ディ チョッコラート)と呼ばれている。

 マッティオはしばらく懐疑的なマナザシでボウルの中身を凝視していたが、意を決したように計量スプーンを握りしめ、ひと匙分すくい取る。おそるおそる味見したとたん、驚きのあまり背後にベタフラッシュを背負って叫んだ。

「ど、どういうことだ!? フツーに美味いじゃないか!?」
「マッティオ、それ一体どーいう意味だよー?」
「そういやお前、イタリア料理ならマトモに作れるんだっけ」

 マッティオは頬袋にエサをため込んだハムスターのようにぶーたれている新伍を見やった。このコザルはイタリア料理に関してはオールマイティにこなすくせに、たまに悪ノリして奇妙なモノを作りたがるから始末に負えないのだ。

 銀紙で包んだ生地をタコ糸で縛る作業を器用にこなしながら、ジノが言った。

「それにしてもたくさん作ったもんだね」
「うん。余ったらクラブのみんなに配るんだ」
「……またかよ」

 マッティオがため息混じりに呟いた。まあ今度のブツは味に関しては問題ないが。

「それでも二、三本あまっちゃいそうなんだよな。ん〜いっそジェンティーレんトコに送りつけてやろうかな?」
「そうだね。ついでに例の年代物プディングを添えたらいいんじゃないか?」

 ジノの世にも凶悪な提案を聞いたとたん、新伍はぱっと顔を輝かせて、

「そうだね。白カビ1年ものと青カビ2年もの、どっちがいいと思う?」
「やめとけ。どーしてもってなら、素直にこないだオレと作ったやつ持ってけ」

 どっちみちジェンティーレのヤツが生と死の崖っぷちに立ってるのは変わりないけどな。おとなしく新伍が新しいプディングを持っていくなんて到底考えられない。

 そう心の中でつぶやくと、マッティオは長い長いため息をついた。




>あとがき

バレンタイン小説です。一日遅れの。
もとい恐怖のお料理ナビ第二弾ともいいます。
イタリアのお菓子はどれもこれも美味しそうでたまりません。
サラミのアレは北・中部イタリアのご家庭でフツーに食されてるそーです。

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