■ サプライズな年代物 | 2007.02.12 |
ここは新伍の下宿の1階、大家のオバサンの厨房の一角。 がっしりとしたオーク材のテーブルに所狭しと並べられた調理器具を前に、マッティオは途方にくれた顔で新伍をにらんだ。 「だーかーら、なんで今ごろクリスマスプディング作んなきゃなんねえんだよ!?」 クリスマスプディングはイギリスの伝統菓子。噂によればイギリス人以外には理解不能な奇妙キテレツ風味の蒸し菓子らしい。実際マッティオは口にしたことがないので、真偽のほどは定かではないが。 それはともかくここはイタリアで、季節は2月だ。そんな不味そうなものを食べる必要性がどこにあるというのか。いやない。 「え〜? いろいろとサプライズな感じでいーじゃん」 「あのなあ、今は2月だ。聖ヴァレンティーノでチョコレートな季節だぞ!?」 マッティオの指摘を受けて新伍はちょっと考えた。すぐに嬉しげに顔を上げて、 「そっかな? じゃあ外側にチョコレート塗っていい?」 「じょ、冗談じゃねえ、却下だ却下!」 ただでさえねっとり甘そうなドライフルーツ満載の蒸し菓子に、さらに激甘チョコを塗りたくるなんてもはや犯罪行為だ。マッティオはテーブルにうずたかく積み上げられた乾燥果物の山を見てため息をついた。 少しばかり古びたパンを適当にちぎってボウルに投げ込みながら、新伍が言った。 「じゃあね、マッティオ。そこにあるの全部入れて混ぜてよ」 「お、おいシンゴ。マジ全部入れるのか!?」 「うん。ひとつ残らずぜーんぶ!」 新伍はさも当然といった表情でうなずいた。 マッティオは干しプラムが載ったままの料理用はかりを指さして怒鳴った。 「お前なあ、500グラムはいくらなんでも多すぎだろ!」 針はちょうど表示板の真下を指している。このはかりの最大計量値は1キログラム。つまり干しプラムの総重量は500グラムという訳だ。 だがしかし。マッティオの指摘に少しも動じることなく、新伍はさらりと切り返した。 「大丈夫。他のフルーツはきっかり250グラムずつだから。ね?」 「なにが“ね?”だ! 無邪気な顔してバカ言ってんじゃねえよ!」 たかが250グラム。されど250グラム。 テーブル上にはレーズン、レーズン(緑)、レーズン(種なし)、カラント、オレンジピール、アプリコット、クランベリー、ブルーベリー、洋ナシ、リンゴがそれぞれ250グラムずつきっちりセットされているのだ。プラムの500グラム+250グラム×その他10種類として、単純計算で3キロの大台に達するではないか。 それだけではない。干し果物の奥にはさらに手強い乾燥ナッツ軍団が控えていた。アーモンド、ヘーゼルナッツ、ピスタチオ、クルミ、マカデミアナッツ、天津甘栗、南瓜の種、ひまわりの種、松の実、乾燥納豆が各200グラムで計2キロ。 これらすべてを混ぜ合わせたあかつきには、一体どんな凄まじいシロモノが完成するのやら。マッティオはその甘さを想像しただけで胸が悪くなってきた。いかにクリスマスプディングが世に類を見ない珍妙な菓子とはいえ、このレシピはあきらかに異常だ。 「なあシンゴ。お前これどこで覚えたんだ?」 「基本は小学校の家庭科だけど。あとはおれのアレンジ」 「やっぱりそうか〜!? 普通に奇妙なモンをさらに改悪してんじゃねえよっ!?」 「改悪じゃないぞ。カイゼン、カイゼン」 鼻歌交じりに言い切って、新伍はボウルに大量のドライフルーツとナッツ類をリズミカルにどんどん放り込んでいく。次に大量の砂糖(プラムとほぼ同量)と牛脂のかたまりをドカっと落とし入れ、マッティオの前にどすんと置いた。 「はい、手早く軽く混ぜてね」 「……お前いまなんか変なモン入れなかった? でっかい脂の塊とか……」 「気のせい気のせい」 とどめに新伍は大量の小麦粉(砂糖とほぼ同量)とビッグバードが産んだみたいな巨大卵を割り入れる。今やボウルの中は、ビッグバン直後の原初の宇宙めいたカオス状態と化していた。 「じゃあおれ、他に準備するモノあるからあとはヨロシク」 そう言い残して新伍はすたすたと厨房から出て行ってしまった。 マッティオはしばらく呆然と立ちつくしていたが、諦めたように軽くかぶりを振ると、混沌極まりないボウルの中身を混ぜ合わせる作業を開始した。 水分を含んだドライフルーツのヌルヌル感もたいがいだが、手にやたらベタベタひっつく牛脂が気持ち悪いことこの上ない。全体的に茶色いところがますますキモチワルイ。これじゃまるで水にふやけてぐちゃぐちゃのキャットフードだ。もしくは腐りかかったオートミール。 「まったく新伍のやつ、なに考えてんだ?」 生地自体がネバネバと重いせいか、全体重をかけて押してもなかなかうまく混ざらない。 マッティオはしばらくの間、水っぽい猫用ドライフード、もといプディング生地攻略に専念していたが、ふとなにか思いついたように顔を上げた。 「ちょっと待てよ―――2月?」 さっきからずっと引っかかりを覚えていたのだ。2月は聖ヴァレンティーノの日だけでなく、もうひとつなにかイベントがあったような気がしてならない。それもとりわけ厄介な。 少し手を止めて考え込む。今日は2月3日。ということは明日は4日であって………。 世にも恐ろしいビジョンが暗い空を貫く一条の稲妻のように閃いた。 「2月4日!? まさかこれ、ジノの誕生祝いなのか―――!?」 「違うよ。誕生日プレゼントは別の物」 いつのまに戻ってきたのやら、新伍が両手いっぱいに酒瓶やスパイスその他ラッピング用品を抱えて、ケロっとした顔で言った。 「日本にいるおれの姉ちゃんがニンテ○ドーDSとニンテン犬ソフト送りつけてきてさ。『代わりに選んどいてあげたわよ。新伍は根本的にセンスないから』って失礼しちゃうよな。クリスマスプディングのどこがいけないっていうんだよ?」 「いいや、オレはお前の姉ちゃんの意見が100%正しいと思う」 マッティオはきっぱりはっきり断言した。思わず新伍の姉にグッジョブとメールしたくなるほど、その意見には全面的に賛成である。少なくともイタリアで2月にトンデモ臭あふれるクリスマスプディングを誕生祝いにしようとする珍センスに比べたら、なんだってマトモに見えてくるから不思議だ。 たとえジノが仔チワワに「シンゴ」と名付けて可愛がろうが、迷惑にも長々とウチの子自慢をしてこようが、そんなことは些細な問題である……と思いたい。 やや強引に自分を納得させると、マッティオはふと気づいたように首を傾げた。 「てことはお前、こっちはどうするつもりなんだ?」 「明日の練習終わってからみんなで食べる予定」 「な、なんだってぇぇぇ〜〜〜!?」 驚愕のあまりつい我を忘れて、不覚にもどこぞのミステリー調査班メンバーのような間の抜けた悲鳴を上げてしまった。 一昔前のMS社のOSみたいにすっかり思考がフリーズしたマッティオの横から、新伍は生地をのぞき込んだ。持参したビールとブランデー、そしてマッティオには見当もつかない怪しげな香辛料をどぼどぼ注いで味見する。「ん? こんなもんかな」と満足げにうなずいた。 「あとは一晩寝かせて12時間蒸せば完成!」 「はァ? どんだけ時間かけるつもりだお前。それじゃぜんぜん間に合わないぜ?」 「え? 明日持ってくのはコレじゃないよ」 そう言って新伍は床に設置された食料貯蔵庫の戸を開けた。ぐらつく梯子をバランス良く下りていき、あっという間に姿を消したかと思えば、なにやら奇妙なものを両脇に抱えて、再び意気揚々と現れた。 新伍がテーブルに置いた“なにか”を目にするなり、マッティオはゲッと息をのんだ。 この最高級ブリーチーズめいた、白カビ衣に一面びっしり覆われた謎の物体はなんなのだ? 「そ、それは一体……!?」 「えーと、こっちが1年前作ったヤツ。そっちの青いのが2年前」 新伍はブリーチーズに青カビの生えた、いわゆるゴルゴンゾーラっぽいプリン山を指さした。 マッティオは愕然とした。この激しく常軌を逸した謎の物体はチーズなんかではなく、クリスマスプディングだというのか!? 「どう見ても賞味期限過ぎてんだろ!?」 「1年や2年なんてたいしたことないよ。だってクリスマスプディングだもん」 新伍は得意げに胸を張った。 「いっつも普通に食べてるけど、お腹壊したことないし」 「理由になってねえ! もっと新しいのはないのか!?」 「んー、あんまり熟成されてないけど、去年のクリスマスに作ったのならあるよ」 そう言って貯蔵庫に飛び込むと、今度は茶色いクリスマスプディングを運び出した。 マッティオはそれをまじまじと凝視した。2ヶ月前に作られたとはいえ、妙な匂いもしないし、まだカビも生えていない。先ほどの筋金入りの年代物に比べたら十分許容範囲内といえるだろう。 「なあシンゴ。頼むからこっちの新しいやつにしないか?」 「なんでだよ? クリスマスプディングは2年超えてからが本番なんだぞ」 マッティオの提案には取り合わず、新伍はクリスマスプディング改め青カビプディングの上に、赤い実を付けたヒイラギの枝飾りをひょいっと載せた。そのまま特大サイズのケーキ箱に入れて蓋をする。 「あ、包み紙忘れた。ちょっくら二階に行って取ってくる!」 言うが早いか新伍は厨房から飛び出した。 マッティオは背中に嫌な汗が伝うのを感じた。 ――やるなら今しかない。 階段を駆け上がる新伍の足音が遠ざかるのを確認するや、マッティオは即座に行動に出た。 箱の蓋を開け、2年ものの青カビプディングと2ヶ月前のプディングに置き換えた。もちろん飾りのヒイラギの枝を付け替える作業も忘れちゃいけない。そして砲丸投げよろしく青カビプディングを地下貯蔵庫の奥に投げ込み、パタンと戸を閉めた。その間わずか5秒。 極度の緊張から解放され、マッティオが安堵のため息をついたところで、手に色とりどりの包装紙を抱えた新伍が戻ってきた。 新伍はマッティオの顔を不思議そうに見つめて、 「どーしたんだマッティオ? なんか顔色悪いぞ?」 「いや、まあその……なんだ。シンゴ。それ早いトコ包んじまいな」 マッティオとしてはむりに笑顔を作ってそう答えるのが精一杯だった。 翌日、クラブハウスはミーティングルームのテーブルに置かれたクリスマスプディングを前に、新伍はひたすら首をひねって考え込んでいた。 「うーん、おっかしいな〜?」 マッティオはそ知らぬ顔で部屋の片隅に退避し、フォークの先で大きなプディングの一切れをもて余し気味につついている。 新伍の様子に気づいて、ジノがたずねた。 「どうしたんだい、シンゴ」 「え? ああ、2年前に作ったクリスマスプディングのことなんだけど」 「2年前!?」 2年前という想定外の年数に、さすがのジノも二の句が継げず目をみはる。 新伍はため息をついた。 「昨日たしかにマッティオと梱包したのに、いつのまにか中身が入れ替わってたんだ」 ジノはマッティオのほうにちらりと目をやった。マッティオはあわてて視線をそらす。まさに酢を飲んだような表情で。 ジノは納得した風に軽くうなずいた。ほんのわずかな視線のやりとりで、今までの経緯をカンペキに把握したらしい。新伍に向き直るとさわやかな笑顔で言った。 「このプディングもすごく美味しいよ」 「ホント? よかった。これはたった2ヶ月しか熟成してないから心配だったんだけど」 「いや、2ヶ月前でもう十分。だから今からわざわざ家に取りに帰ったりしちゃダメだよ?」 二人のやりとりを耳にしながら、マッティオが肩をすくめた。 ジノの言うように、2ヶ月前のクリスマスプディングの味は意外にもなかなかのものであった。 より正確に表現するなら、お世辞にも美味とは言い難いが、まあそれなりに食べられないこともないといったところ。腹にずっしり響くねっとりした甘さには閉口するが、ごく薄く切った一切れならなんとか食べきることも可能かもしれない。 生来の器用でマメな性格に加えて、イタリアに来て以来ずっと自炊しているせいか、新伍の料理の腕前は想像以上にレベルが高いのだ。ただし今回やらかしたような悪ノリさえなければの話だが。 マッティオが苦虫を噛みつぶしたような顔でプディングをほじくっていると、後ろから声がした。 「おい、マッティオ。なんで眉間にシワ寄せてケーキ皿とにらみ合ってんだ?」 「……フランコ。世の中には知らない方が幸せなことがたくさんあるんだぜ」 たとえば地下貯蔵庫でじっくり熟成された、ゴルゴンゾーラの香りあふれる青カビプディング2年ものとかな、とマッティオは声には出さずに続けた。 次いでフランコの皿を見て眉根を寄せる。 「ったく、そんな甘ったるいモン大量に食ってよく正気でいられるな」 「そうか? これ結構ウマイぜ」 「うわごとまで言って……すでに一過性蛋白質過多症で意識朦朧状態なのか。気の毒に」 「さっきからなに言ってんだお前。不幸にも昔、オレがイギリスで食ったヤツのがよっぽどヒドい味だったぜ」 「なにィ、本場モノ食ったことあんのか!? で、カビ生えてたかカビ!? 味は!?」 マッティオのものすごい剣幕に驚きつつ、フランコは肩をすくめて答えた。 「は? カビ? 別にそんなもん生えてなかったけど。脳神経が一発で焼き切れそうな甘さと、松ヤニ食ってるみたいなネバネバした粘着感は今でも忘れられないな。それと口の中にほのかに広がる正体不明のカビ臭さ。あんときゃマジで頭がどうにかなりそうだった……あの恐怖に比べりゃシンゴのプディングなんて上等なもんさ」 フランコはフッと自嘲的な笑みを浮かべると、死線をかいくぐって生還した者しか持ち得ない目つきで皿の上のプディングを見やった。 「ま、アレも作るヤツによって十人十色らしいし。たまたまオレの食ったのが凄まじい規格外のシロモノだったのかもしれねーけどな」 「そ、そうなのか……」 クリスマスプディングというモノはマッティオの想像以上に奥深いものらしい。 とはいえ新伍特製の青カビプディングだけは、死んでも手をつける気にはなれなかったが。 >あとがき ジノ・ヘルナンデスの誕生記念話です。八日遅れの。 いつのまにか新伍とマッティオのトンデモお料理ナビと化してますが。 クリスマスプディングは日本の雑煮と同じで十人十色、多種多様な製法があるそうで。 さすがに青カビ生えたのは存在しないでしょうけど。そう願ってます。 ← 戻る |