トラのパンツ 2006.08.15

 夕日がレッジアーナ練習場を茜色に染め、ゴールポストがフィールドに長い影を落とす頃、新伍は選手寮前で予想外の人物に遭遇して驚きの声を上げた。

「あー! ジェンティーレ!? なんでお前がここに――!?」
「そりゃあこっちのセリフだ、小猿!」
「おれ今日オフでヒマだから、日向さんに会いに来たんだけど」

 新伍は納得したようにポンと手を打つ。

「ああ、ジェンティーレも日向さんが心配で見に来たのかー! そっかそっかー、見かけによらず意外とイイとこあんだなーお前」
「な、なんだとぉ!? 勝手な憶測でモノ言うんじゃねえ!」

 どうやら図星を突かれたようで、ジェンティーレはものすごい剣幕でまくし立てた。

 新伍はそんなジェンティーレを不思議そうに見上げると、

「ふーん、じゃあ何しに来たんだ?」
「え……っと、そりゃあ…そのなんだ……」

 ジェンティーレは焦る心を極力抑えてうまい言い訳を探しつつ、苦しまぎれにナップサックから大判のノートを引っ張り出した。

「そう、うちのフィジカルコーチからの頼まれもん持ってきただけだ!」

 どうだ、参ったかといわんばかりの態度で胸を張る。だがしかしノートを突きつけた先に新伍の姿はすでになかった。新伍はジェンティーレの答えなんか待つつもりはさらさらなく、さっさと一人で選手寮玄関に移動していたのだ。

「もしもーし日向さーん! 葵でーす! 開けて下さーい!」

 ドアをドンドン叩き、大声を張り上げる。あいにくレッジアーナ選手寮玄関扉には当然あるはずのインターホンが設置されていなかった。

 しばらく待ったが返事がないのでさらに力任せに連打する。それも夜討ち朝駆けのヤクザな借金取りたての如き叩きっぷりで。よくドアが壊れないもんだとジェンティーレがひそかに感心していると、

「いないんですか日向さーん? ってうわっ!?」

 いきなりドアがぱかっと開き、新伍はつんのめって倒れた。不用心にも扉にカギがかかっていなかったらしい。まったくもってカティナチオの国の選手寮らしからぬザルな守備といえよう。

 ジェンティーレが呆れたように見下ろす。

「おいおい、なにやってんだお前」
「あいたたた……だって急に開いたんだから、しかたないだろ!」

 したたか打ちつけた向こうずねをさすりながら新伍が顔を上げた。薄暗い室内には人の気配が全くない。

「あれー、誰もいないのかなあ?」

 新伍に続いてジェンティーレも選手寮に侵入し、怪訝そうに周囲を見回す。二、三歩進んでバランスボールに蹴つまづいた。危うくすっ転びそうになったが、とっさにつかんだロープのおかげで事なきを得る。

 それはともかくジェンティーレは首を傾げずにはいられなかった。なぜ一階フロア全体に無数のロープが張り巡らされているのだろう。

「ったく、なんなんだこのロープは」
「洗濯物を干すためのもの……じゃあないよな?」

 新伍がロープを引っ張って小首をひねる。

「うーん、綱渡り練習用?」
「猿回しのサルだったらあり得るかもな」

 ジェンティーレはさもバカにしたように鼻を鳴らした。

 当然のようにブチ切れた新伍は足下に転がるバランスボールをひっつかみ、ジェンティーレの顔面目がけて思いきりぶつけた。

「誰がサルだ、このバカゴリラ!」
「んだとぉ!? よくもやりやがったなこのチビザル!!」

 大小サル二匹の仁義なき戦いの火ぶたが切って落とされたその矢先、地の底からわき上がってくるような不気味な軋みがフロア中に響き渡った。ホラー映画の幽霊屋敷でおなじみのあの効果音だ。

 新伍とジェンティーレは思わず互いの顔を見合わせた。

「い、いますっごくホラーな音、聞こえたよな……?」
「な、なに言ってやがる。ただの軋みだろ?」

 それだけではない。不吉な軋み音に混じってジャラジャラと耳障りな金属音が響いてくる。耳を澄ますと、どうやらそれは突き当たりの扉の奥から聞こえてくるようだ。

 ジェンティーレは激しく嫌な予感に襲われた。はたしてこのドアを開けるべきか否か。

 ジェンティーレの内心の葛藤をよそに、新伍はケロっとした顔ですたすたと扉に歩み寄り、ドアノブに手を掛けた。

「よーし、いちにのさん、で開けるぞ!」
「待て待て待て――!? まだ心の準備ってもんが!!」

 ジェンティーレの制止の声もむなしく、扉は勢いよく開かれた。

 恐るべき光景に心ならず目が釘付けになる。心の許容量の限界を超える衝撃に、ジェンティーレの思考は完全にストップした。

 なぜヒューガは白ブリーフ一丁の素っ裸で鎖を身体に巻き付けた挙げ句、バランスボールに腹這いになってパンダのように玉乗りなんかしているのだろう。

 一秒、二秒、三秒………新伍の脳天気な声にジェンティーレはわれに返った。

「日向さーん! お久しぶりで………もがっ!?」

 ジェンティーレは即座に右手で新伍の口をふさぐと素早く後ずさり、叩きつけるようにドアを閉めた。そのまま新伍をずるずる引っ張ったまま選手寮を脱出し、練習場にたどり着いた途端、手荷物かなにかのようにポイっと芝生に放り出した。

「いきなりなにすんだよジェンティーレ〜!」

 ジェンティーレは尻餅をついたままギャーギャーわめく新伍を睨め付けた。

「てめえ、見てなかったのか!? ヒューガの格好!」
「え? ああ、それに関してはおれもびっくりしたよ。白ブリーフ」

 そう言って新伍は大きくうなずいた。

「日向さんってトラ縞のパンツはいてるもんだとばっかり思ってたもんなー!」
「問題はそこじゃねえ! 鎖だ鎖!!」

 新伍は不思議そうに目を見開いてジェンティーレを見上げた。

「鎖? あれってユーベ秘伝のフィジカル訓練じゃないの?」
「んな訳ねーだろ、このバカ猿!」
「だってジノが言ってたぞ。ユーベのトップチームは山ごもりして、体中にセリエAジョカトーレ養成ギプス巻いて修行してるって。当然ジェンティーレもやってるんだろ?」
「やってねえ! ていうかジノの野郎ー!? なんつーデタラメ吹きやがんだ!!」
「デタラメ? でも日向さん鎖ギプス巻いて修行してたじゃん」

 新伍はしれっと返すと、うって変わって憧れの眼差しで選手寮を見やった。

「すごいなあ。鎖巻いてパンツ一丁で玉乗りパンダなんて、おれには到底マネできないよ!」
「今後も絶対マネすんな。頼むから」

 ジェンティーレはがっくり肩を落として力なくつぶやいた。




>あとがき

トラのパンツはよく伸びるそうです。ではなくて、レッジアーナの笑劇。
いまだにROAD to 2002最終巻のあのシーンを見るたびに笑いがこみ上げてしまいます。
「これが俺のバランス矯正ギプス」 見開きでバァ〜〜〜ン!じゃねえよ、まったく。
私的に無印Jrユース編でカルツがようじを吐き捨てたシーン以来のスマッシュヒットです。

新伍とジェンティーレはいわゆるトム&ジェリーな間柄ですね。仲良くケンカするってあれ。
本人たちは全力で否定するけど、ハタから見るとそうとしか思えない。


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