■ 友情のカタチ | 2006.08.15 |
4-0の圧勝で終わったインテル対ローマ戦終了後のロッカールーム。葵新伍はロッカーの扉を勢いよく閉めるとマッティオに上機嫌で言った。 「へっへーん。今日はおれの勝ちだよな!」 雲ひとつ無い空に浮かぶ太陽のような笑顔で胸を張る。 「ハットトリック決めたら今日の夕飯、奢ってくれるんだっけ?」 「チッ、しかたねえな。約束は約束だ」 マッティオは「我ながらいらん賭けに乗っちまったもんだぜ」と内心思いつつかぶりを振る。ここで約束を守らないと男がすたるってものだ。 「ま、いいさ。ミラノで一番美味いメシを食わせる穴場に連れてってやるぜ」 「じゃあ僕も仲間に加えてもらおうかな」 ふいに背後から声がした。マッティオがあわててふり向いた先に立っていたのは、 「ジ、ジノ!? お前はカンケーないだろ!」 「だってねえ。今日の試合、僕も無失点だったし」 インテル・プリマヴェーラの誇るイタリアナンバーワンGKジノ・ヘルナンデスは、さも当然といったふうにまったりと微笑んだ。 「お前の無失点なんて珍しくもなんもねえだろーが」 「後半終了間際、マッティオが相手DFにボールカットされたせいでカウンター喰らったときなんか、それはもうスリリングな気分を味わわせてもらったねえ」 マッティオの指摘などまったく気にせず、ジノは善良そうな顔でさらりと毒を吐く。 こういうときのジノになにを言ってもムダだ。なんの因果かインテルの生え抜き同士ということもあって、マッティオはジノの性格を嫌になるほど把握していた。 「なにしてんだよ〜早く行こうぜ!」 顔を上げると、いつのまにかチョコマカと素早く着替えた新伍が、戸口から顔を覗かせて脳天気に手を振っていた。 「ほら、シンゴも待ちくたびれてるようだし。行こうか、マッティオ」 「だからお前が当然のように仕切るなっつーの」 あからさまにうんざりした様子で肩をすくめると、マッティオはスポーツバッグを背負ってジノの後に続いた。 30分後、三人は日本食専門店のカウンター席に陣取っていた。 「マッティオ。常に新鮮な情報を入手しておくことが勝利の秘訣なんだよ」 白みそ仕立ての味噌スープを品よく啜りながらジノが言った。その箸さばきはなぜか日本人顔負けの鮮やかさ。 「でも、隣の店が開いててよかったよなー!」 その横で新伍が頬に飯粒をくっつけたまま嬉しそうにうなずく。 そう、あいにく目当てのレストランは臨時休業日だった。しかたなく運良く営業中だった隣の日本料理店に飛び込んだ次第。 ジノが店員を呼び止めてニッコリ笑った。 「すいません。ウナギ丼の追加お願いします」 「あ、おれカツ丼〜! あとたいやきアイスと抹茶プリンパフェもヨロシク〜!」 罪のない笑顔ですかさず新伍もオーダー追加。 「……お前ら。ちょっとはおれの懐具合に配慮してくれ」 最近の日本食ブームでミラノにも日本食レストランが増えてきたとはいえ、通常の店よりはるかに値が張るのはまごうことなき事実。なんせ和風サラダ一品だけで2万リラは下らないのだから。 「え〜? おれまだそんなに食べてないぞ」 新伍は心外だというような顔つきで口をとがらせる。マッティオは冷ややかなマナザシで、新伍とその前に積み上がった空のドンブリ鉢を交互に見やって、 「じゃあお前が平らげた天丼と山芋ラーメンと特大お好み焼き風ピッツアはおれの幻覚か?」 「うん。これで腹八分目すこし手前ってとこかなあ」 「なにィ!? これ以上まだ食う気かよっ!?」 驚きのあまりマッティオはつい声を荒らげてしまった。しかし新伍は少しも気にせず、運ばれてきたカツ丼を嬉しそうにほおばっている。不思議に慣れた手つきでウナギに山椒をふりかけながらジノが言った。 「まあ、シンゴもおれも育ち盛りの青少年なんだし当然だろ」 「ジ〜ノ〜! お前はお前でバカ高価いモンばっか頼みやがって〜!」 「そうかな? おれは京懐石と天ぷら盛り合わせとウナギ丼しか注文してないよ」 「……お前それ絶対わざとだろ」 マッティオの猜疑に満ちた視線を軽く受け流すと、ジノはうさんくさいほど爽やかに微笑んだ。 「ははは。なんのことだかサッパリわからないな」 まさしく「穏やかに油断ならない老獪さ」である。これに対抗できるものといえば新伍の「無邪気に相手の心をグッサリえぐる晴れやかに無神経な言葉」ぐらいしか思いつかない。 なんでおれ、こんな奴らとトモダチなんかやってんだろう。マッティオはすっかりのびきったソバをフォークの先でこねくり回しながら、今まで被ってきた迷惑行為の数々を思い返す。 FWの自分よりMFの新伍のほうが得点数が多いとか、そういえばジノからゴールを奪えたことがただの一度も無いとか、よせばいいのについ余計なことまで思いだして、さらに気が滅入ってきた。憂鬱な表情で深々とため息をつく。 そんなマッティオのナーバスな心の空模様なんて気にも留めず、新伍は抹茶プリンパフェの最後のひと匙を口に放り込んで威勢よく立ち上がった。 「あー食った食った! じゃあ、また明日〜!」 「そうだね。おれもこれで失礼するよ」 膳の上に箸を丁寧に揃えて置き、ジノも席を立つ。薄情にも二人とも、そのままさっさと店を出て行ってしまった。 マッティオはカウンター上に残された料金明細書を手に取った。当初の予想を遥かに上回るすさまじい合計金額だ。手持ちの現金では到底支払い不可能なのは言うまでもない。 「この店、VISA使えるよな?」とつぶやいて暗い面もちで立ち上がろうとした時、明細書の間からなにかがひらりと床に落ちた。 「? なんだこりゃ」 なんとはなしに拾い上げて絶句する。10万リラ紙幣の上にクリップで留められたメモ用紙の内容は、 『やっぱ全額払わせんの悪いから。これおれの分な。by.シンゴ』 「シンゴのヤツ……あじなマネしやがって」 なんてことないささやかな文章に込められた確かな思いやりに、不覚にもほろりとさせられた。いろいろ欠点もあるけれど、シンゴは意外なところで気の回るいいヤツなのだ。 だがしかし。マッティオの感動を台無しにしたのは二枚目のメモだった。10万リラ紙幣×3枚の上に留められたメモの内容は、 『とりあえずこれだけあれば足りるだろ。無期限・無利子だから安心して返済に励んでくれたまえ。by.ヘルナンデス』 「ジ〜ノ〜! お前ってヤツは〜〜〜!!」 マッティオの怒りの絶叫が閑散とした店内にこだました。 >あとがき プリマヴェーラ時代のインテル仲良し?三人組。 友情があるからこそ無期限・無利子なんですよ、たぶん。 ジェンティーレになら十日で一割のトイチで貸すに違いない。 この時点では通貨がリラだということに後で気づいて、あわててユーロ→リラに換算し直したのもよい思い出です。いや、よくない。 ← 戻る |