年賀状はお早めに 2011.02.24

正月三が日はとっくに過ぎ去り、公現祭も松の内も終わったとある1月の昼下がり。
オレンジ寮の掛け時計が静かに時を刻むなか、叶恭介は年賀状の返事を書いていた。
その隣でクリスマンが完成した年賀状に切手を貼っている。
二人とも無言かつ真剣に手を動かしているが、書いても書いても貼っても貼っても終わらない。

「年賀状なんか来たヤツにだけ返せばいーだろ」

そんなことを言って年末ぐーたら過ごしていた恭介だが、不義理の天罰はてきめん元日の朝にあらわれた。働き者のミケネコ海外別送便が年賀状の束をどっさり運んできたのだ。
そして年賀状の返信地獄が始まった。なんの関係もないクリスマンもろとも巻き込んで。

クライフォートは二人の真向かいのソファに腰を下ろし、分厚い古書を広げている。
目の前の修羅場を手伝うつもりなどさらさらないようだ。

「だーッ、あと何枚書きゃいいんだよ」

ついにネタと忍耐力が尽きたのか、恭介は真っ白の葉書にペンを投げつけて叫んだ。

「なーに、あとちょっとだ。ガンバレ、カノー!」
「ちょっとってどんくらいだ?」
「だからあとちょっとだ。そう……あと100枚ちょっと」

クリスマンは切手シートを数えながら沈鬱な表情で答えた。

「なにィ、まだそんなあんのかウソだろおい―― !?」

恭介はオレンジ頭をがりがりかきむしって絶叫すると、クライフォートに血走った目を向け、

「おいブライアン、お前もちったぁ手伝え!」
「断る。無い知恵しぼって自分で書け。それと――」

クライフォートは古書に視線を落としたまま、どうでもよさげに付け加える。

「出し遅れた言い訳をダラダラ書くな。今日は元日だ、遅延の事実などない――そうイメージしながら相手の反論など一切許さない勢いで賀詞を繰り出せ。それが年賀状のマナーだ」

いや、それはないだろ。クリスマンは即座に心のなかでツッコミを入れた。
恭介も大いに同感だったとみえる。クライフォートをにらみつけ、

「そんなの傍若無人が服着て歩いてるみてえなおめーだけだ」
「70%の水分と30%のバカ成分で構成されたお前にだけは言われたくないな」

恭介の皮肉など涼しい顔で受け流し、そっけない態度で倍返しする。

クライフォートの言動が辛辣で不穏当なのはいつものことだが、今日はそれに加えて妙なとげとげしさが感じられる。こいつなんでこんな苛ついてんだろう。クリスマンが首を捻っていると、恭介の怒りが爆発した。

「ンだとゴラァ、てめーケンカ売ってんのか」
「そんなに欲しいなら売ってやらんこともないぞ。いくら出す?」
「ちくしょーバカにすんじゃねえ。もー怒った! 表に出やがれブライアン!」
「この吹雪のなか奇特なヤツだな。出たけりゃ勝手に出ろ。ひとりでな」
「あーもーさっきからワケわかんねえ御託並べてんじゃねーよ !?」

よっぽど悔しいのだろう。恭介は顔を真っ赤にして地団駄踏み始めた。
その気持ちはクリスマンにもわからないでもない。ていうかよーくわかる。
だが、このクソ寒い時期に居間の床が抜けると修理が大変なのでやめて欲しい。

その時突然、背後のドアが開いた。エプロン姿の葵がぴょこんと顔を出す。

「ちょっと〜なに騒いでんの?」

もっともらしい顔でクライフォートが言う。

「なんでもない。恭介が地団駄ダンスを全力で踊ってるだけだ」
「待てやゴラァ、んなもん踊ってねーよ!」

クライフォートと恭介のしょうもない応酬はさておき、クリスマンは葵にたずねた。

「そういやアオイ。玄関に転がってるお前のケータイ、鳴りっぱなしだけどいいのか」
「あーあれ。どーせジェンティーレからだし放っといていいよ」

右手をひらひらさせてばっさり切り捨てる。

「今どこいるんだとか、早く帰って来いとかうるさいんだよねー。そのくせヒトの話はぜんぜん聞かないしー。ホント頭に来る。当分アイツの顔なんか見たくないよ」

そういってつんと鼻を上にそらす。
陽気で物事にこだわらない葵にここまで言わせるとは、ジェンティーレのヤツいったい何をやらかしたんだか。まあ葵が年末ふらりと現れた時から、おおかたの予測は付いていたが。なんか最近この寮、葵の駆け込み寺になってないか。クリスマンは肩をすくめた。

その横で恭介が何か思いついたように手を打った。

「なあ葵。ヒマなら年賀状書くの手伝ってくれねえか?」
「いいよーオレがんばる〜」
「そーか悪ィな。マジ手が足りなくて困ってたんだ」

こいつ宛名書きすら満足にできねえんだよ、とクリスマンを指さす。
この言いぐさにはさすがにカチンときた。
いきなり日本語でアドレス書けったってムリに決まってんだろ。漢字とか絶対ムリだ。

返信用の住所録を打ち出した紙を受け取るや、さっそく書き始めた葵を横目にため息をつく。テーブルに身を乗り出し、クリスマンの目には摩訶不思議な暗号にしか思えない文字を、実に楽しげにさらさら綴っている。

「これを使え。いくらお前でも文例を筆写するくらいできるだろう」

クライフォートが投げて寄越した本をあわててキャッチする。ペラペラめくって一通り眺めてみたが皆目わからない。どれを写せばいいんだ。

「そんなもの目をつぶって適当に本を開き、目に留まった文例をいい加減に写せばいい」

おそろしくアバウトで思いやりのないアドバイスをありがとよ。

舌打ちしながらページをめくる。漢字抜きの文例はないものか。それ以外の文字だってアラビア文字の親戚にしか見えないが、ヒエログリフ並に難解な象形文字に比べればまだマシだろう。
ページを繰る手をつと止める。
見つけた。字数も少ないしこれでいこう。

クリスマンはおもむろにペンを取ると無地の年賀状と向き合った。
手と指先に全神経を集中させ、お手本の文例と首っ引きで文字のトレースを開始する。
書き損じは許されない。息を殺し、ペンを運ぶ。あたかも中世の写本を筆写する修道士めいた気分で、慎重に一字一句のろのろと書き写していく。
PK戦の最終キッカーに劣らない緊張感に打ち勝ち、なんとか一枚目を書き終えた。額の汗をぬぐい、クリスマンは長く深く息を吐いた。

「お、出来たかーどれどれ」

恭介は年賀状をのぞき込むなり眉をひそめた。

「“めけまレておめでとウごさいまゐ ごさいまゐ”? なんだこのガイジンが書きまつがえたみてぇな妙ちきりんな日本語。てか最後の字読めねー」

恭介から手渡された年賀状を一瞥し、クライフォートが鼻で笑った。

「日本語非ネイティヴのバカが“ゐ”と“す”を書きまつがえるのはよくあることだ。ネイティヴのくせにゐが読めないバカもな。それよりなぜ“ございます”を二度言う。韻でも踏んだつもりか」

へーへーそーですよ。オレが書きまつがえました。サーセン。
すっかりやさぐれた気分で愚痴っていると、葵と目が合った。
葵はクリスマンを元気づけるように力強くうなずいた。

「大事なことだから二回言いまつがったんだよね! ございますございます!」

逆に全力で擁護されるのもかえって居たたまれないものだと知ったクリスマンだった。
恭介やクライフォートの罵倒は奴らの優しさなのか。いやそれは無いな。

「オレも書けたよ。ほらほら。見て見て〜?」

年賀状を鼻先に突きつけられて、うっと詰まる。

「えーっと、その、なんて書いてあんだ?」
「そっか。ゴメンゴメン。じゃ読むね〜」

葵はコホンと咳払いをした。そして元気に声を張り上げた。

「チャーオ! あけおめ今年もヨロシク!
 かがみん元気してる〜? オレはいっつも元気だよっ!
 じゃ、またね〜! アッリヴェデールチ!」

身振り手振りも交えてにぎやかに読み上げる。

「どう? イイでしょ。グッとくるでしょ。でしょでしょ?」

大はしゃぎする葵は、ほめて貰えると確信して尻尾を振ってる子犬のようだ。
ちょっと待て。そりゃ叶恭介の年賀状じゃなく葵新伍の年賀状だろう。一目で代筆とバレるぞ。

「そんなことないって。大丈夫大丈夫! ね?」

葵はなんの根拠も無いのに自信満々に断言した。
いや、これっぽっちも全然大丈夫には思えないんだが。

「え…と、そうだな。かがみんって誰?」

そんなことを訊いたのは、むろん話題をそらすためだ。
クリスマン的には“かがみん”が誰であるか――もしかしたら人間ですらなく単なる形容詞・副詞のたぐいかもしれない――なんてとりたてて興味はなかった。

「背番号は10。ポジションは司令塔。だが成介兄さんがいればボランチだろう。能力値は全般に高いが、やや自信過剰。ふてぶてしい割に想定外の事態に弱い。趣味は猫グッズ収集」

なんとクライフォートが“かがみん”の説明を始めた。
どうやら人間だったようだ。かがみん。ってか猫?
クリスマンと葵が首を傾げている間にも、クライフォートの言葉は淡々と続く。

「月刊の猫雑誌を愛読。クラブハウスでノートPCを前に戦術を練っている風を装って、実は猫の動画投稿サイトに見入っている。引退後の夢は猫専門の猫医者だ」

かがみんは無類の猫スキーらしい。
ていうかクライフォート。オレらがわからないと思ってデタラメ吹いてんじゃねえのか。そう問いただそうとしたら、恭介に先を越された。

「おい、おい。もしかしてかがみんって加賀美のことなのか―― !?」
「やっと気づいたのか。まったく鈍い奴だな」
「でもなんでお前、そんな詳しく知ってんだ。アイツに会ったことでもあんのか」
「年賀状の一枚もあればこの程度の推理くらい造作もない」

どこぞの安楽椅子探偵のような物言いで、一枚の年賀状を恭介に差し出した。

白い大福餅、ではなく平べったい顔の白猫が画面一杯に印刷されている。
向かって右の耳に赤いリボン。顔はウサギのメッフィーと同じく無表情。だが口がない。

「あ。キテーちゃんだ。かわいー」

葵の言葉通り、年賀状に描かれているのは日本原産のキャラクター猫、ハローキテーだった。
しかし。キテー年賀である、ただそれだけの事実からかがみん…加賀美の人となりをああも事細かに推理できるのもだろうか。
疑惑のまなざしを向けてもクライフォートは涼しい顔だ。

「恭介。ここは期待に応えて、お前もメッフィー年賀を送ってやれ」
「じょーだんじゃねえ、お断りだ!」
「じゃあ葵の力作を送るか。かがみんに」
「うっ、そ、それもダメだ……っ!」

クライフォートと恭介のくだらない言い合いなど無視して、窓の外に目をやる。
いつのまにか吹雪がやんでいた。数日ぶりに見る青空が目に眩しい。
葵も気づいてぴょこんと立ち上がった。

「あー雪やんだね! よーし急いで買い出しに行かなくっちゃ!」

いそいそとポケットから四つ折りにしたメモを取り出し、熱心に確認しはじめた。
パスタ3kg、小麦粉5kg、砂糖2kg、卵10ケースなど何十項目に渡って多種多様な食材がリストアップされている。
量といい種類といい、今日の夕食の献立用の食材にしては少々多すぎやしないか。

葵はきょとんとした顔になった。

「え? だって今日クライフォートの誕生日でしょ」

雷に打たれたような衝撃が体中に走った。
おそるおそる壁に掛けられたカレンダーを見る。
――1月9日。
葵の言うとおり、それは確かにクライフォートの誕生日だった。

クリスマンは恭介と顔を見合わせた。申し訳なさそうにかぶりを振る。

「すまんカノー。コロっと忘れてた」

毎年のようにクライフォートの誕生日を忘れる恭介に、来年こそはヤツに気づかれる前にこっそり思い出させてくれ、と頼まれていたというのに。
年賀状返信地獄に巻き込まれて意識が朦朧としていたせいだろう。

「ばっ、バカ野郎、そんな大事なことコロっと忘れんじゃねえ!」
「そんな“大事なこと”を、お前もコロっと忘れていたんだろう?」

クライフォートの声は冷ややかにとげとげしい。
漫画でいえば吹き出しにイガグリのトゲトゲがびっしりくっついてるような、そんな感じ。
恭介の方も負けじと開き直った様子で主張する。

「いいや、たった今思い出したんだからぎりぎりセーフだぜ!」
「まったく、盗人猛々しいとはこのことだな」

二人の口論をじっと見ていた葵が不思議そうに首を傾げた。

「そうなの。忘れてたの」

――どうして? たずねるように恭介を見上げる。
自分がやってもいない罪ですらうっかり懺悔したくなりそうな純真無垢なまなざしで。
ましてや内心後ろめたさを覚えているであろう恭介には効果てきめんだ。

「……スマン。オレが…悪かった」

がっくり肩を落とした恭介に、クライフォートがまた余計なことを言う。

「ようやく己の罪を認めたか。痴れ者が」
「てめーにゃ言ってねえんだよ! ブライアン!」

じゃあ誰に謝ってるんだ。ああ葵にか。

「葵。お前に全面降伏の白旗あげたバカをせいぜいこき使ってやれ。こんなバカでも雪かきと荷物持ちくらいはこなせるだろう」

クライフォートの言葉に葵がぱっと顔を明るくする。

「え、いいの? じゃあ手始めに買い出しつきあってよ!」

人懐っこい笑顔で迫られて、恭介は不承不承うなずいた。

「あーあ。また荷物持ちかよ。やれやれだぜまったく」

口ではそう言ってるが、これでクライフォートの執拗な非難攻撃から逃れられると、内心ほくそ笑んでる様子。

「その前にスーパーまでの道ぜーんぶ埋まっちゃってるから、がんばって雪漕いで道つくってね〜! 帰ったら薪オーブンの薪割りね! それが終わったら鍋磨きと床磨きでしょ。えーとそれからそれから――」

楽しげに指折り数える葵にクリスマンは戦慄した。
ここに小悪魔がいる。それもやけに可愛らしいのが一匹。
さすがの恭介も顔色が変わった。

「なっ、ちょっと待て。それオレが一人でやんのか !?」
「大丈夫、大丈夫〜叶ならできるって! そんじゃスーパー目指してがんばろー!」

脳天気な掛け声を放つと恭介の腕を引っ張って、そのまま居間から出て行った。
思いついたら即行動、走り出したら止まらない暴走車もとい葵のことだ。財布を掴んで3分後には、市内のスーパーマーケットへの雪中行軍を開始するだろう。恭介を除雪車代わりにして。

まあクライフォートにこき使われるよりは葵のほうがまだマシだろう。たぶん。
クリスマンの胸の内を見透かすようにクライフォートが鼻で笑った。

「はたしてそうかな」

皮肉な物言いで、葵の書いたかがみん宛の年賀状にぺたりと切手を貼り付ける。
なんでこいつメッフィー50周年記念切手シートなんか持ってんだろう。

クライフォートはかがみん年賀状を書き上がった年賀状の束の中程に差し込んだ。
投函前に恭介が中身をチェックすることなどまずないので、確実にかがみんのもとに届くだろう。メッフィーと葵の脳天気がコラボしたテンション激高で頭の悪そうな年賀状が。

「バカが。素直に謝っていればよいものを」

伏し目がちに低く笑うその姿に背筋が寒くなった。
でもあんなネチネチ嫌味を聞かされてちゃ、カノーも素直に謝れねえだろ。
こっそりつぶやいていたら、氷の刃みたいな視線が飛んできて、ひいっと首をすくめた。

「なにボサっとしている。さっさと残りの年賀状を書いてしまえ」

恭介が帰ってくる前にな。

「お前はただ“めけまレておめでとウ”と綴ればいい。切手とイラストは俺に任せろ」

メッフィー切手シートの束とメッフィー柄のスタンプを取り出す。
どうやら“書きまつがい”年賀をメッフィー仕様にしようと企んでるらしい。
恭介の友人・知人・親戚・恩師がこの書きまつがいメッフィー年賀を受け取った時の情景を思い浮かべ、クリスマンはため息をついた。

「お前ら一応幼なじみなんだろ。そこまで容赦ない仕打ちはないんじゃないか」
「長いつきあいだからこそ、許せないこともある」

きっぱりと言い切ったクライフォートの眼差しは暗い決意に満ちていた。
クリスマンはこれはもう何を言ってもムダだと悟った。

許せカノー。オレは無力だ。せめて来年こそは誕生日のことを忘れずに教えてやるから、どうか恨まないでくれよ。
クリスマンは心の中で謝るとペンを取り、真っ白な年賀状に向き合った。
――めけまレておめでとウ。
あと99枚。まだまだ先は長そうだ。




>あとがき

2011年クライフォート誕生日の話。例によって私も日付忘れてた。
期待するから裏切られると腹立たしい。てこたぁ毎年うっすら期待してるんだな司令塔は。
でも恭介は毎年きっちり忘れる。どうせ来年も忘れるんでしょう。
そして司令塔の報復はエスカレートしていく……。
恭介よりむしろクリスマンの被害が甚大なのはなぜだろう。

しかしまたなにバカなことしたんでしょうね、ジェンティーレのヤツは。


← 戻る