■ カシワモチ試食会 | 2008.05.12 |
クリスマンは食堂に入るなりうんざりした顔で言った。 「おいクライフォート。いきなり呼びつけんなよなーったく」 こちとら昨日カノーがぶち抜いた塀の穴の修復作業で忙しいってのに。 オレが目を離したらあの野郎、絶対逃げるに決まってる。 「別に。たいしたことじゃない」 たいしたことじゃなきゃ呼ぶなバカ。 オレは心の中で毒づいた。 クライフォートは無言でテーブル中央に視線を投げた。 「ちょっと試食してもらおうと思ってな」 「はぁ、試食……?」 オレは眉をひそめた。 試食という言葉によって思い起こされるのは先日の猫の試食会。 朝食用シリアルの代わりにキャットフードをばりばり食わされた辛い記憶が蘇る。 「ちょ、おま、また猫のカリカリ食わす気かよ !?」 「いや、今度は猫用ドライフードじゃない。人間用だ。一応はな」 クライフォートは淡々と答えた。 そーか。一応、人間用なのか。そりゃ安心した……わきゃねえだろ。 クライフォートの視線の先、テーブル中央の皿の上に疑惑の眼差しを向ける。 得体の知れない物体が全部で6個。 外観は渋茶色の縁がぎざぎざした葉っぱ(見たところオークの葉に酷似している)で二つ折りにくるまれている。 中身に至っては皆目見当もつかない。のっぺりと白い。半円分度器みたいな形状だ。 「なんだこれ?」 「試作品、だそうだ」 その言葉にそのまま回れ右して逃げだそうとした途端、 「おっ、柏餅じゃねーか。オランダでお目にかかるとは思わなかったぜ」 背後からひょっこり顔を出したのはキョースケ・カノー。この寮で唯一の日本人だ。 「ていうかなんでお前ここにいるんだ! 塀はどうなった塀は!」 「まーまーいいじゃねーか。気にすんな、そんなつまんねえコトはさあ!」 「気にしないでいられるか―― !? このバカ野郎――― !!」 オレとこいつの二人ともいなくなった後の外塀の様子が手に取るように想像できる。 きっと今頃ふらっと迷い込んできた近所の水牛の頭突きで、穴どころか塀が倒壊しているだろう。まったくどうにかならんものか。近所の牛もカノーも。 それはともかくとして。 オレは聞き慣れない単語に首を傾げた。 「カシワモチ? モノ知らずでおバカなお前が知ってるってことは、これ日本の食い物?」 「おう。そうだぜ! ……て誰がモノ知らずのおバカだってんだ !?」 「お前に決まってるだろう、このバカが」 クライフォートは表情も変えずに言った。 「まあバカでも試食くらいできるだろう。わかったらとっとと食え」 「ブライアン〜! てめぇケンカ売ってんのか !?」 「お前が嫌なら構わない。代役はいくらでもいるしな」 ちょっと待てクライフォート。代役ってまさかオレのことじゃないだろうな。 心の中でツッコミを入れる。 「〜〜〜し、仕方ねえなッ、今回だけ大目に見てやんよ!」 カノーは悔しげに歯ぎしりしながら皿の上に盛られたカシワモチを一つ手に取り、葉っぱも剥かずにかぶりついた。 ちょ、お前食物繊維が不足してんのか。ってその葉っぱ食えんの? オレが呆れ顔で眺めていると、突然カノーの表情がピキっと固まった。 「……? どーしたのお前?」 訝しげに訊いてみたが返事がない。 30秒後、ようやく息を吹き返したカノーが激しくむせながら絶叫した。 「ななななんだこりゃ !? 剣道部の部室の使い込んだ小手みてえな味してんぞ !?」 「ほう。そんなものを食べたことがあるのか。変態かお前は」 「ちげーよっ! なんつーかそーゆー年季の入った汗臭いイメージの味なんだって! そんくらい察しろよ!」 クライフォートを怒鳴りつけた途端、こみ上げる吐き気に口元を押さえる。カノーはもの凄い形相で台所の流しに駆け寄り、急性食中毒事件の患者さながら壮絶に吐き戻し始めた。 カシワモチって大の男が吐き気をもよおすほど汗臭い食べ物なのか? オレの困惑を見透かすようにクライフォートがかぶりを振った。 「いや。ここにある柏餅は全部味が異なる。電話で葵がそう言っていた」 「え……まさかこれアオイの手作り?」 「ま、そういうことになるな」 クライフォートはどうでもよさそうにうなずいた。 「ちなみにカノーが食べたのは“梅雨時のロッカールーム味”だ」 なるほど。確かにそれは耐え難く絶望的に汗臭い。 万感を込めてうなずきかけてはっとする。 インテルのシンゴ・アオイといえば言わずとしれた料理のファンタジスタ。 彼の作る料理は最高に美味いか最低に不味いかの二択のみ。 カノーの反応からして今回のケースが後者に属するとなると……。 オレは震える声でたずねた。 「他のカシワモチも似たようなイロモノ風ゲテモノ味付けなのか?」 「いや。ひとつだけ普通の柏餅が混じっている。さすがの葵もネタ切れらしい」 オレは皿の上を凝視した。残り5個。さっきカノーが食ったのと合わせて合計6個か。 6分の5の確率でジ・エンド。 地獄への片道切符もとい恐怖のカシワモチ5個を前にしてオレが眉間にしわを寄せていると、カイザーとレンセンブリンクが食堂に入ってきた。 カイザーがカシワモチの皿を興味深げにのぞき込み、 「ん、なんだこれ。食いモンか?」 「皿に盛ってあるからたぶんそうだろ。な?」 レンセンブリンクにそう訊かれてオレはこくりとうなずいた。 「えーと、その……だな。お前らはこれを食品と思ってもいいし、思わなくてもいい」 「はァ? 何言ってんだお前」 「ま、まあ好きにしろってこった、ハハハ…ハ……」 オレは苦しい笑みを浮かべて適当に言いつくろった。 横でクライフォートが無言のプレッシャーをかけてきてんだ。滅多なことなど言えやしない。 「そうか? じゃあひとつ貰うな」 そうとは知らずにレンセンブリンクがカシワモチを一口食べた。 どうしたのだろう。ふいに奴の身動きが止まった。 最初は真っ赤になった顔色がみるみるうち真っ青に変化していく。酸性からアルカリ性に変わっていくリトマス試験紙を見ているようだ。 「ど、どうした? 大丈夫か? やっぱ汗臭い味なのか?」 「き……黄色い………青……」 レンセンブリンクは息も絶え絶えにつぶやいた。もはや顔色は紙のように真っ白だ。 「はぁ? 黄色い青ってなんだそりゃ。宇宙の果てから毒電波でも受信したのか?」 「……いや、だから……七の月に空から恐怖のラップ巻き牧草がオレンジの香りを……」 「レンセンブリンク? あ、アタマ大丈夫か? もしかして酸欠状態?」 オレは明らかに常軌を逸したレンセンブリンクの言葉に青ざめる。 逆にクライフォートはちっとも気にせず、ゆったり口を開いた。 「なるほど。“フィールドの芝生味”だな」 「なんだってえぇぇぇ――― !?」 七月に黄色い青の恐怖の牧草はラップで巻くとオレンジの香りのフィールド味になるのか! だから人間の体内時計は25時間周期で朝が辛いんだな! ……ンなワケねーだろ。ったく。 ノストラダムスの詩篇じゃあるまいしなんだよその強引解釈は。 クライフォートに目をやると、ヤツは涼しい顔でカイザーを眺めていた。 カイザーは床にしゃがみ込み、胃の辺りを押さえて苦しげに呻いている。意識はしっかりしているようだが、レンセンブリンクに負けず劣らずヤバい状況と見た。 激しく気が進まないがおそるおそる訊いてみる。 「えっとその……お前のはロッカールーム味? それとも芝生味?」 「ご……ゴムの木の樹液にドリアン混ぜて生ゴミで割ったみてえな……味……」 生ゴム(ゴムの樹液)と生ゴミ(ドリアン)のコラボ味? それってわざわざ生ゴミで割るまでもなく生ゴミそのものなんじゃねえの? クライフォートは得たりとばかりにうなずいた。 「それはきっと“使い古しのサッカーボール味”だろう」 ちょっと待て。サッカーボールは明らかに食べ物じゃないだろ。 ツバサ・オオゾラも言ってるじゃないか。ボールはトモダチだって。トモダチは蹴ってもいいけど食べちゃダメだろ。 ではなくて。現実があまりに辛すぎて無意識に現実逃避していたようだ。 オレは血走った目でカシワモチの皿を見た。残り3個。 この中のひとつがまともなカシワモチらしいが、日本の菓子に関しては全くのど素人のオレが見たってどれだかさっぱりわからない。見れば見るほど全てが怪しく思えてくる。 カシワモチAを選ぶべきか、それともB、あるいはCか。それが問題だ。 どこぞの四大悲劇の主人公みたいなセリフをブツブツつぶやいていると、ディックが戸口から顔を覗かせた。 「おい、お前らそこでなに騒いでんだ?」 オレはのろのろと顔を上げた。 ディックのすぐ横にドールマンも佇んでいた。 二人ともスウェットスーツを着込んで首からタオルを提げている。いかにもランニング帰りにふらっと立ち寄ったといういでたちだ。 「……やあ、二人とも。いいところに来たな」 心から思った。 毒味役のカモがネギ背負ってノコノコやってきた、と。 「ちょうどお前らの分が残っているぞ」 オレはうつろな笑みを浮かべてカシワモチの皿を彼らの前に差し出した。 それくらい精神的に追いつめられていたのだ。 言い換えるなら自己防衛本能が極限まで肥大化した状態。 30秒後、恐怖のカシワモチに一発KOされ、魚河岸のマグロみたいに床に転がったディックとドールマンのなれの果てを見下ろして、なかばヤケクソ気味にフッと笑う。 勝った。最後の一つが無害のカシワモチだ。 倒れた二人のそばにしゃがみ込み、彼らのうわごとにひとしきり耳を傾けていたクライフォートが考え深げにつぶやいた。 「ほう。どうやらディックが“胸騒ぎのテーピング味”、ドールマンが“鉄分補給ゴールポスト味”だったようだな」 「なんじゃそら―― !? って詳しい味の説明なんかすんなよ、頼むから!」 図体がデカくて胃袋の丈夫なこいつらを一撃…いや一口で床に沈めるほどのシロモノだ。きっと身の毛がよだつ恐ろしい味わいのカシワモチに違いない。 そんなもの食べずに済んで助かったぜ。 オレがほっと胸をなで下ろした途端、腹の虫が盛大に鳴いた。 クライフォートの冷ややかな視線にあわてて目をそらす。 だーッ、腹が減ってなんか悪いってかよ? ふと皿の上に目を留める。6分の1の奇跡。最後のカシワモチ(通常版)だ。 気づいたら手を伸ばしていた。 空腹は判断力を鈍らせる。 「ま、こんなんでも無いよりマシか」 一口食べるなり後頭部に激しい衝撃が走る。そのまま床にくずおれた。 あたかも不意に後ろからビール瓶で思い切り殴られたような、観客席から降ってきたばかでかい看板が頭に直撃したみたいなバイオレンスでデンジャラスなこの味わいは……! 味覚が痛覚を刺激する。それくらい不味かった。心が折れそうだ。 「――さて。“熱狂的サポーターのブーイング味”の感想を聞かせてもらおうか」 両手を床についてイタ不味い激痛に耐えているオレの心をえぐるように、クライフォートの淡々とした声が降ってきた。 ちょっと待てお前今なんと。 「柏餅は合計7つあった。俺が最初に食った普通の柏餅を含めてな」 オレは呆然とクライフォートを見上げた。 てことはあの6個全部トンデモ味じゃねーか !? 「てめー !? よくも引っかけやがったな〜〜〜 !?」 「なんの根拠もなく6つだと事実誤認したのはお前だろう?」 クライフォートはいけしゃあしゃあと言ってのけた。 オレは確信した。これはヤツの計画的犯行だと。 ここでオレが「なんで最初から7つと言わないんだ」と問い質しても、クライフォートは平然と返すだろう。「訊かれなかったからな」 たとえ訊かれたって言うつもりなんか端から無いクセに。 追い打ちをかけるようにクライフォートが言い放つ。 「いいからさっさと味について具体的かつ簡潔にコメントしろ。50字以内でな」 「〜ッ !? この人でなし野郎! あんまり不味くてもう血管切れそうだぜバーロー!」 オレはそう怒鳴り返してへなへなと床にへたり込んだ。 >あとがき 柏餅食いながら短絡的に思いついた話。 猫といい柏餅といいアヤックスの試食会はろくな結果にならないようです。 きっとイタリアではジェンティーレとマッティオが揃ってぶっ倒れてることでしょう。 ジノ? 柏餅をオランダに送れと新伍に入れ知恵した張本人ですが何か? そうそう。乳酸発酵した良い牧草(グラスサイレージ)はオレンジの匂いがするそーで。 ← 戻る |