■ 頂き物その5 『個人授業』 | 2007.07.27 |
「ねぇ、愛してるって……、此処(イタリア)ではどう伝えたらいいの?」 背後から聞こえた言葉に、机に向かい書き物をしていたヘルナンデスは、持っていたペンを思わず落とす。 「あ、落ちたよ?」 ヘルナンデスは一時固まってしまった己に、新鮮な酸素を取り入れる。そして静かに、鼻から二酸化炭素を吐き出した。屈みこんだ葵に悟られないように。 そんな彼の様子に気づかず、葵は、ヘルナンデスの落としたペンを拾い上げて手渡した。 最近同室になったヘルナンデスと日本人の葵。日本贔屓のヘルナンデスは、元々葵を気に入ってはいたのだが、同室になった事でなおのこと、その天真爛漫な笑顔に、日々癒されているのだ。 可愛い俺の友人。 それなのに、その葵の口から、愛なんて単語が飛び出てくるとは。 思いがけない出来事に、ヘルナンデスは呆然とした。ただ、背を向けているから、葵には窺い知れない事である。 一度コホンと咳払いをし、ヘルナンデスは椅子をクルリと反転させ、傍に立つ葵を見上げた。 「今度の試合ででも使うのかい?」 努めて冷静に、ヘルナンデスは笑み交じりに問いかける。すると葵は、首を横に振った。 「えっと……伝えたい人がいて。」 「……え?」 ヘルナンデスの頭で、その言葉が何度もリフレインする。 伝えたい人、伝えたい人、伝えたい人…… それは誰か、とヘルナンデスは聞きたい気持ち半分、知りたくない気持ち半分。そんなヘルナンデスの複雑な心境など知る由もない葵。 「あ、ジノ、何か誤解してる?俺じゃないよ?俺じゃなくって、ツヨシだよ。んと、ほら、前に話しただろ?靴磨きしてる時に知り合った同じ日本人で留学生の。」 ヘヘッと悪戯な笑みを零す葵に、何だ、とヘルナンデスは深く息をついた。 自分より一つしか違わないが、ほんの子供だと思っていた葵が、知らないうちに一足飛びに自分から遠く離れていってしまったような。そんな意識に一時囚われていたのだ。 (シンゴってば、童顔なだけで、実は案外大人だったりするのかな……。) ヘルナンデスは葵の顔を眺めながら、いつもとは違う、別の興味が沸いてきた。 そんなヘルナンデスの思考とは全く混じらず、葵の話は続く。 「何か好きな子がクラスにいるんだって。しかもイタリア人。って、まぁ、それは当たり前か。で、デートの約束まではこぎ付けたんだけど、その先をどうしたらいいのかって、完璧テンパッちゃっててさ。」 一気に話し終えた葵だが、暫しの沈黙の後、ハァと短く息を吐いた。その様子に、ヘルナンデスは目を幾らか見開き、首を僅かに前へと出す。 「それで、シンゴは何て言ったの?」 「え?あ……。まだ3日くらい先らしいから、明日までの宿題って!俺が添削してやるからってね?」 葵の偉そうな物言いに、ヘルナンデスはフフッと小さく笑った。 確かその留学生は大学生だったはずで。いくら自分よりも此処の生活が長いとはいえ、まさか葵に相談を持ちかけるとは。葵の言ったとおり相当テンパッている様子なのかと、場景が目に浮かんでヘルナンデスは目を細める。その場に居合わせたらもっと面白かったのにと、それが残念でならなかった。 「でもさ、俺に相談してくるのは嬉しかったけど。……んと、何ていうか、その……土俵が違うだろ?日本ならバッチリなのになぁ。」 「土俵……ねぇ。」 それ以前に経験値では?と、言いたい気持ちはグッと堪え、ヘルナンデスはその面白そうな話の続きをさらに聞き出そうと口を開く。 「シンゴはどうなの?添削ってことは、自分も考えなきゃなんだろ?もう考えたの?」 「いや、全然。」 お手上げと、言う様に両手でいっぱいに伸びをする葵。 「それでさっきの、か。愛を伝えるってやつ。普通に思ったとおりにすればいいんじゃない?それでダメならダメでしょう。」 「えー?そんな突き放したら可哀想じゃん。だって、日本からはるばる着てさ、そんな辛い想い出作って帰ったら、俺ならヤだな。」 そこまで面倒を見なくても良さそうなものだが、そういうところが葵らしいのかと、ヘルナンデスは頬を緩めた。 「でね、俺、考えたんだけど。」 「うん。」 「ジノ、ちょっとお手本見せてよ。」 「お、お手本?」 何やら、おかしな方向に話が逸れている気がしたが、ヘルナンデスは仕方なく、ソファーにいる葵の隣に座り、そしてとりあえずその肩を抱き寄せた。 「……。最初はこうで。次はこう、か。うんうん。」 男同士。しかも一々確認されては全くムードも何もない。ヘルナンデスは、未だ初めの方だというのに、既にこのシミュレーションが馬鹿らしくなっていた。当の本人が同席していないコレに果たして何の意味があるのか。 「もういいんじゃない?結局はその時のふたり次第だし。」 「えー?だって、それじゃぁ、宿題にした意味がないじゃないか。」 「シンゴの問題じゃないだろう?ツヨシが自分でやるしかないよ。」 ヘルナンデスは、いつも通りやんわりとした口調で断りの言葉を吐く。すると隣にいる葵の肩がピクリと動いた。 「シンゴ?」 葵の眼差しは、明らかに不満の色を見せている。 「……ジノはさ、もしも俺が困ってても、そんな冷たいの?」 先程までの勢いは何処へやら、葵の肩がシュンと落ちた。しょ気返る葵に、ヘルナンデスは短く息を吐いて、諭すように肩をポンと何度か軽く叩く。 「そんなことないよ。もしもシンゴが困ってたら、その時はちゃんと力になるよ。」 そして肩に触れていた手を葵の頭へと移動させ、幾度か撫でた。 「……ジノはさ、いつも俺のこと、子ども扱い。」 ヘルナンデスが葵の顔を覗き込むと、その唇はムゥッと尖がったまま。 「そんなことないさ。シンゴは恋愛の相談されたんだろう?凄い……じゃなくて、大人じゃないか。」 「本当はそんなこと思ってないくせに。」 そう言って、プイと横を向く葵に、ヘルナンデスは不謹慎ながら、こういうのも可愛い、とか思ってしまうのだった。 「うーん。どうしたらシンゴのご機嫌が直るかな?」 ヘルナンデスはヒョイと身を乗り出し、膨れっ面の葵の顔色を眺めた。 そして数秒後――…。葵がポツリと言葉を漏らした。 「……やっぱちゃんと教えて欲しいんだ。だって……。だって、俺だってイタリア人に恋するかもしれないじゃん。」 ああ、そう言う事かと、ヘルナンデスはやっと葵の真意を理解することが出来た。 後学のために。友人のためだけでなく、葵自身も知りたいという事を。 葵の頬に朱がさす。 「やっぱ可愛いな、シンゴは。」 「ん?何か言った?」 いや、と、緩く頭を振り、ヘルナンデスは発した言葉を誤魔化した。 「じゃぁ、少しだけ、こんなのはどう?って言うのをやってみようか。」 そのヘルナンデスの言葉に、葵の顔色がパッと明るくなる。 「でもね、本当に、少しだけだよ?」 「ありがとうジノ。ジノ大好き。」 葵は嬉しくて、ヘルナンデスにしっかと抱きついた。 ――…本当に、少しだけじゃないと。ダメだよ? 変わらずに可愛いと思う気持ちに微妙な変化が生じ始めていることを、自分が以前経験した感情に似ていると、ヘルナンデスは気づいた。 くっ付いてきた葵の体を、ヘルナンデスはいつもより少しだけ――…、 ほんの少しだけ、強く抱きしめ返した。 (完) 深海ミチルさんから頂いたキリリク小説です。 タイトルからしてモエモエです。 新伍が言語を絶するくらいカワイイです。 こんなカワイイ生き物、誰が さりげにジノと同室なところも私のツボにクリティカルヒットなシチュエーション。 彼がいつまで理性を保っていられるか、ある意味見物ですね! ←? ← 戻る |