頂き物その2 2007.06.08

そいつの涙を見たのはその時が初めてだった。
きっともう二度と見ることはないだろうし、二度と見せてほしくはないのだけれど―――


《太陽の涙》


ピンポーン。
夜だ。その静寂を破るのは玄関から響いた来客を告げる機械音。
今夜は誰とも会う約束などしていない。こんな時間に一体どこのどいつだ?

不審に思いながら玄関扉を開くと、そこには誰もいない―――わけではなかった。目線を遥か下に下げると、そいつは視界に入り込み俺の寿命を5年は縮めた。

「おっス、ジェンティーレ!!」
「うおわぁっ!?て、ててててめぇ!!何しに来やがった!?」
なんと現れたのは日本からやって来たサル回しのサル…もとい、シンゴ・アオイだった。ありえない。何で今ここでコイツなんだ!?

「んじゃ、一晩泊めてもらうから!!」
「は!?」
満面の笑みで発せられたその台詞は、さらに俺の頭を混乱させる。
その言葉を理解するのに、数秒かかった。

「泊まる!?いきなり来て何言い出すんだお前は!?」
「まあまあ、いいじゃんどうせ一人暮らしなんだし。ほら、お菓子とかいっぱい持ってきたから!!」
こっちの了解も待たずに、そいつはずかずかと遠慮なしに上がり込む。

両手には何やら大量に買い込まれた買い物袋を抱えている。

「おいこら何勝手に上がってんだ!?人の話を聞け!!」
すでに廊下の奥にある居間のドアまで辿り着いたコザルを慌てて追った。

「ほい、ワインもあるぞ」
「…って散らかすな!!なんなんだその大量の食糧は!!」

ようやく追い付いたコザルは、速攻持っていた買い物の品をそこら中にぶちまけて、その手にはワインボトルを握っていた。

「せっかくのお泊まりだし、楽しくやりたいなって」
「俺はまだ何も了承してねえ!!」
「そんなこと言ったって…もう列車も終わったし、帰れないんだよね」
「知るかこのバカザル!!勝手にやって来たのはお前だろうが!!」
「冷たいなあ…目の前の困ってる人間を無情に見捨てるなんて、紳士のする事?」

コザルはそう言いながら悲しげな瞳で俺を見つめた。思わずうっと言葉に詰まる。そんな目で見つめられたら困るのはこっちだ。

「……一晩だけだからな」
渋々そう答えてやると、途端にコザルはぱっと表情を明るく変えた。
……その笑顔が、俺は嫌いではなかった。

しかしわからないのはコイツの事だ。
何でいきなりうちに来たのか、しかも泊まりがけ。

こっちの「事情」なんかまるでお構いなしだ。

それから数時間、グラス片手に『シンゴ・アオイの一人トークショー』が開催された。しかも段々と酒がまわってきて、その喋りはさらにヒートアップしていく。よくもまあそこまで動き続けられるもんだなその口は…いっそ俺の口で塞いでやろうか、なんてできもしない言葉が脳裏に浮かぶ。…我ながら少し呆れた。

やがてワインも空になり、食糧も尽きかけた頃、ようやくコザルの口はその活動を停止し、今度は静かな寝息をたて始めた。

「ったく…ようやく静かになりやがったか…」
床の上、無防備に転がったそいつの赤ら顔を眺めた。…何で、今夜お前はここに来た。何で…俺の所に来た…?
聞きたい事は山とある、が、今夜はもう聞けそうにない。
とりあえず、ベッドに寝かせるぐらいしてやらないといけない。

見た目と違わずそいつは本当に軽かった。改めて自分との体格差を思い知らされる。こんなチビが俺様に何度も勝負を挑んでいたのか。
あの日、初めて対決した時から、すでに俺は惹かれ始めていたのかもしれない――認めたくはなかった事だけども。

そんな事をぼんやり考えていた、ちょうどその時、ぴくりと動いたコザルが小さく声を漏らし、そしてその言葉が俺の思考を停止させてしまった。

「……つ、ばさ…さん…」
呟いたコザルの頬を、ひとつ、ふたつと滴が流れ落ちる。―――それは俺が初めて見た、そいつの涙だった。


俺はその時、初めてコイツの心内を知った。コイツの中で絶対的なステータスを築いている存在を。

そいつは神にも近かった。


遠く離れて尚、心を惹かれてやまないというのか。そしてそれがこの涙を、流させているというのか。
とても…悔しかった。まるで俺の入る隙などないではないか。
…今、こんなにも胸が苦しいというのに、それを伝える事すら、俺には許されないのだろうか…!?


止めてしまいたい。アイツの為に流す涙など。止めてしまえたらいい。

ゆっくりと、近付いた。唇を、目尻に、押し付けた。
涙を、止めたかった。アイツの為に流す涙を―――


その日の俺は一睡もできなかった。


コザルが目を覚ましたのはとっくに朝日が昇り高くなった頃。俺が風呂場から出ると、ベッドの上でぼーっとしているそいつと目が合う。
「あ、おはよ…」
「………」
「?……どうしたの?あっ!ベッド使っちゃったから怒ってる!?」
ごめんね、と、笑いながらコザルはベッドから立ち上がった。俺は何も言わずに距離を縮めた。


一睡もしていない頭の中では、夕べのコイツの涙とか、コイツが名前を口にしたヤツの顔とか、いろんなものがぐるぐる回っている。

「…ジェンティーレ?」
「……お前、何でうちに来たんだ?」
ようやくその疑問を口にした。…でも、答えはなんとなくわかっている。
コザルの方はと言えば、驚いたように呆けた顔をして、俺を見ていた。

「……俺はアイツの代わりかよ?」
「え…!?」
「会いたくても会えないから、寂しさ紛れに俺を使ったって?」
「な…!?何言って…」
その台詞が終わらない内に、腕を掴んだ。そしてそのまま、ベッドの上に押し倒す。
信じられない――視線の合わさった双眸はそう語っていた。

「どうせ抱いてやれば満足すんだろ?だったらとっとと始めてやる」
「ちょっ…!!何す…んっ…!!」
強引に耳たぶに口付け、腕を押さえるのとは逆の手をシャツの下に忍ばせる。徹夜明けの脳細胞は、一気に高揚していた。
「や…めろってえ!!」

ガン!!
その時、突然顔面に激痛が走って、一瞬頭が真っ白になった。―――見事なまでのコザルからのヘディングを喰らったのだ。コイツ…なんて石頭してやがる…!!
ずきずきする鼻を押さえてうずくまる俺に向かってコザルがわめいた。
「俺がいつジェンティーレを身代わりにしたんだよ!!そんな事誰も言ってないだろ!?」

「……だったら…何の為にうちに来たって言うんだ!?」
「そんなのお前に会いたくなったからに決まってるじゃんか!!」
半ば叫ぶようにコザルが言った。その台詞が、しばらく信じられなかった。

それからコザルの告白が始まる。
「確かに…俺好きな人いたよ?今でも完全には断ち切れてないと思う……俺の部屋で一人ぼーっとしてたら、なんか急に寂しくなって……あの人の事ちょっと思い出したりもした……」
うつむいたままのコザルは、今にもまた泣き出しそうで……胸が締め付けられた、気がした。

「でも…それからすぐにお前の顔が浮かんだ。何でかわかんないけど…お前に会わなきゃって思ったんだ…」
ようやく顔を上げたコザルは、どこか寂しそうに、笑った。

「会いたくなったんだ……それじゃ、駄目…かな?」

その目は、反らす事を許さなかった。ただただ視線を重ね続け、やがて吸い込まれるように、腕を伸ばす。
そしてもう一度、コザルの腕を掴んだ。今度は、引き寄せた。
「……すまん。俺が悪かった…」
それだけ言って、抱き締めた。

「うん……」
コザルの表情はこちらから見えない。ただ俺のシャツを掴むその手が、ぐっと力強くなった気がした。
俺の腕の中で、一体どんな顔をしてるんだろう。お前は今笑ってくれてるか?―――シンゴ。


少しだけ体を離す。その顔が見たかったから。
俺を見上げたコザルは、俺が知ってるいつもの、太陽みたいな笑顔だった。
俺は、その笑顔が――
「……好きだ」
「え…?」
ほぼ無意識に、想いが言葉になる。ほとんど呟きに似たそれは、はっきりとは届かなかったみたいだけれど。

「今何て言ったの?ジェンティーレ?」
「……お前、もう一晩泊まってけよ」
「はあ?何なの急に!?」
「うるせーチビザル。……いいから俺の側にいろ」

とりあえず今は眠りたい。このぬくもりを離さないままで。





おこめさんから頂いた相互記念ジェンティーレ葵小説です。
コザルがカワイ子ちゃんなのは言うまでもありませんが、ジェンチがステキ。
やったね!ついに報われたね!ハッピーエンドだね!ってな感じです。
ツンデレもやるときゃーやりますね。

本当にありがとうございました!


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