■ レッツEnglish! | 2010.09.12 |
シェスターは真剣な顔でたずねた。流暢なスペイン語で。 「――で、君、ドイツ語どうしても無理なの?」 「ムリムリ。何から何までサッパリわかんねーや、あっはっは!」 南米ウルグアイからドイツへ遠路はるばるやってきた期待の新人ビクトリーノは、なんの悩みもなさそうな顔で大笑いしてくれた。 はっきりいってそれ、笑いごとじゃないんだけど。 ブンデスリーガに在籍していてドイツ語が話せないっていうのは、試合中の指示がまるで通らないし、選手間のコミュニケーションにも支障が出るってことなんだぞ。わかってるのか。 ……わかってないんだろうな。その反省のかけらもない顔つきからすると。 こみ上げる苛立ちをぐっと抑え、第二の選択肢を提示してみる。 「じゃあ英語はどうかな」 「英語? ンだよ英語でいいなら早く言えよ、ったく」 ビクトリーノは軽く肩をすくめると、キメポーズと共にすごいイイ顔でのたまった。 「シーユーアゲイン ハバナイスデイ!」 ダメだこいつ、早くなんとかしないと。 脱力感に苛まれながら、シェスターは心の底から思った。 三日後、ブレーメンのクラブハウス内の物置部屋は、駅前留学めいた英会話塾と化していた。 講師役はスペイン語・英語を難なく解するシェスターで、落第生コンビのビクトリーノとマーガスの不出来っぷりに頭を痛めている。 なぜこの場にマーガスがいるのかといえば、ぶっちゃけ特に意味はない。 ムカつくほどヒマそうにしていたので、どうせ英語を教えるなら一人も二人も同じだろうと、数合わせ的に強制参加させただけである。枯れ木も山のにぎわいともいう。 シェスターは二人の目の前に大きなカードを掲げた。 真ん中にボールペンのイラストが描かれている。 「“ What is this ? ”」 おもむろに英語で問うと、すかさずマーガスが手を挙げた。 「はいはいはーい! クーゲルシュライバー(Kugelschreiber)!」 「ドイツ語で言うな。英語では?」 指示棒がわりの金属製ものさしでマーガスの頭をぴしりと叩き、再度たずねる。 そこへビクトリーノがいたく興奮した様子で首を突っ込んできた。 「クーゲルシュライバー!? なにそれカッケー! なんかすっげー必殺技みたいじゃね? オレんとこなんかただのボリーグラフォ(boligrafo)だぜ。つまんねー!」 「え、オレ的には“必殺!ボリーグラフォ!”って方がイケてると思うけど」 いやそれ、どっちもただのボールペンだから。 ついでにお前ら、スペイン語とドイツ語で語り合ってるのにうっすら意思疎通してないか? バカ二人をこれでもかといわんばかりに冷ややかに眺めていたら、なんとボールペンをコンピューターゲームの伝説の武器かなにかに見立てておちゃらけバトルを始めた。 「食らえ、秘奥義クーゲルシュライバーーー!!」 「なんのこれしき! 貫け!必殺ボリーグラフォォォォーーー!」 それぞれ右手にボールペンを構え、世に言う“荒ぶる鷹”のポーズを決めている。 いい加減にしろ。 シェスターは二人の前の長机をものさしで強く叩いた。というよりむしろ刀を振るうように、ものさしの側面で斬りつけた。 ものさしの刃は長机の天板にざっくりと切れ込んだ。 たかが鉄のものさしとはいえ、さすがゾーリンゲン鋼の業物だ。 辺りに不気味な静けさが降りる。 「そこのバカども。ボクの忍耐がインク切れする前に席についてくれないか」 すごすごと席に戻った二人を見下ろして、シェスターは猫のカードを掲げた。 「“私は猫を飼っています”を英語で言ってみよう」 ビクトリーノは自信ありげに胸を反らした。 「I am a cat!」 いつから猫になったんだ、ビクトリーノ。 「I am CATS!」 マーガス、お前もか。猫ならブロードウェイのロングラン公演で踊ってろ。 “ Mary had a little lamb, little lamb, little lamb〜 ” こいつらの脳ミソに所有の状態をたたき込むには、いっそメリーさんの羊を100回ほど唄わせる方が効果的なんだろうか。 「はいはいシェスターせんせー、オレ質問〜!」 メリーの羊計画をなかば真剣に考えていると、マーガスが元気に手を挙げた。 「猫の名詞の性って何だ? 男性・中性ってのもヘンだし、やっぱ女性名詞でDie Cat?」 正直言って軽くイラっときた。 それは10分ほど前に説明しただろう。英語の名詞に性の区別はないと。 「バカだなーそんなの考えるまでもないぜ」 ビクトリーノがお気楽そうにパタパタ手を振った。 「猫はヒゲ生えてるから男性名詞に決まってんだろ!」 それじゃメス猫の立場はどうなるんだ。ラテン系の思考回路はつくづく理解不能だ。 どっと疲れがこみ上げて、いっそすべてを投げ出したくなったが、すんでの所で踏みとどまる。 頑張れ自分、と己を励ましてシェスターは顔を上げた。スペイン語で、 「英語ってホント簡単な言葉だと思わないか。なんせ英国じゃ赤ん坊だって喋ってる。そのうえ犬も英語で吠えるんだ。スペイン語の方がよっぽど難解だ。当然ビクトリーノなら楽勝だよな」 英語が簡単だなんて大嘘だが、そこはそれ、嘘も方便というじゃないか。 単純バカはおだててその気にさせるのが一番だ。 予想通り、ビクトリーノはまんざらでもない顔でうなずいた。 「へ? オレそんな賢い? ……そーだな、オレにかかりゃ英語なんか朝飯前だぜ!」 「それは結構。マーガスに先越されないよう、せいぜい頑張れよ」 「おう、大船に乗った気分で待ってろ!」 その大船とやらは、きっと泥船のタイタニックだろうなと思いつつ、マーガスにドイツ語で、 「なあマーガス。ビクトリーノより先に英語を習得できたら、どこでもお前の好きな店で食い放題ってのはどうかな? もちろん費用はビクトリーノ持ちで」 「え、マジ? よっしゃあオレはやるぜ!」 こちらもあっさり引っかかってくれた。 とりあえず二人の鼻先にニンジンをぶら下げてみたものの、はたしてどれくらいこいつらのやる気がもつのやら。 ダメ学生を指導する教官の苦労をしみじみと実感するシェスターだった。 >あとがき kikiさんちの3周年記念のお祝いに差し上げたもの。 シェスター先生の忍耐力がどれだけ持つか心配。 徹夜でお手製テキスト作ったり、英語学をマジメに研究したり情熱が空回りするタイプだ。 でもビクトリーノのヤツ、なんか気づいたら片言のドイツ語堂々と喋ってそうな予感。 それも「あのアニメの続きが気になって気になって〜」とかくだらん理由で。 ドイツじゃあの超次元サッカーアニメが放映中なんだよきっと、うん。 ← 戻る |