■ 作戦会議 | 2008.08.19 |
ワールドユース欧州予選を間近に控えた合宿中のこと。 ドイツユースの司令塔ことフランツ・シェスターは、ミーティングルームの座り心地の悪いパイプ椅子にうんざりしつつ、ひたすらあくびをかみ殺していた。 イタリアユースとのテストマッチに向けてのミーティングだというのに、イタリアに関する話し合いは一切なされていない。 ではいったい何を話し合っているのか。 それは目の前のホワイトボードを見ればすぐにわかる。 “ゲンゾー・ワカバヤシのドイツ帰化計画” 悪い冗談にしか思えないだろうが事実である。 事実は小説より奇なりとはまさにこのことか。 「さて。お前たちの意見を聞かせて貰おうか」 ホワイトボードの前に立つシュナイダーがとことんマジな顔で言った。 居並ぶチームメイトをぐるりと見渡し、 「よし。そこの選手A、B、C! 持論を迅速かつ忌憚無く述べろ!」 選手A、B、Cとは元東ドイツ出身で、ユース世代になって新たに加わったメンバーである。以下D、E、F、G……とアルファベット順に続く。 いつまでいるかわからん奴らの名前などいちいち覚えていられるか、というシュナイダーの正直すぎるお言葉に全米、ではなく新顔全員が泣いたかどうかは知らない。 おずおずと選手Aが手を挙げた。 「どう考えても無理だと思うぜ。あいつ頑固だし」 「いいトコのボンボンだから金で動かないしなー」 選手Bが肩をすくめた。 「それより明日のイタリアユースとのテストマッチについて考えるべきかと……」 生真面目な選手Cが言い終えないうちに、三人の頭めがけてファイヤーショットが放たれた。 ボールはAとBを連続でなぎ倒したあと、Cの顔面にぶち当たって跳ね返り、まさに計算し尽くされた正確さでシュナイダーの足下に戻ってくる。 シュナイダーはボールを右足でがっちり踏み押さて一喝した。 「はッ、バカが! オレはそんなありきたりな意見なんか求めちゃいない!」 「お、落ち着けってシュナイダー !?」 「マーガス。お前ならどうする?」 氷の如き冷たい瞳に見据えられ、さすがのお気楽マーガスの背筋も瞬時に凍り付いた。 そのまましばらくヘビに睨まれたカエルみたいに固まっていたが、ふとなにやら妙案を思いついた表情でぽんと膝を打ち、 「え、えーとそのぉ……そーだ! シュナイダーの妹とワカバヤシ結婚させちまえばオッケーなんじゃね? これでお手軽にドイツ化完了〜」 光の速さでマーガスの脳天にシュナイダーの拳がみしりと入った。 「却下だ! あんな妹におれの可愛い若林をまかせられるか !?」 「ちょ、シュナイダー! それ3格と4格が逆じゃね―― !?」 「オレの合理的思考に間違いなどありはしない!」 シュナイダーは胸を張って高らかに宣言した。 いやマーガス、それ文法的なミスじゃない。人として間違ってるから。 ついでにシュナイダーの合理的思考は完全に崩壊している。 だがシェスターはそんなことおくびにも出さず、シュナイダーに両頬をトルコのアイスみたいにぎゅうぎゅう引っ張られているマーガスを冷めた眼差しで眺めていた。 「ワカバヤシねえ。面白いんじゃないか」 どことなく楽しげなミューラーの声に、カルツがにんまり笑った。 「ミューラー。お前、ワカバヤシとガチでポジション争いする気なんかい?」 「ああ。同じチームで切磋琢磨しあえば互いに良い刺激になるだろ。まあドイツユース正GKのポジションはそう簡単に明け渡すつもりはないがな」 「そうだね。ミューラー意外とケガ多いし、代わりがいれば何かと便利かな」 ミューラーの向上心に満ちた意見はさておき、シェスターはもしもの時のスタメン確保という極めて合理主義的な考えから賛同した。 「ワシらのチームの第二キーパーときたら酷いもんだしな」 カルツの言うところの第二キーパーとは東ドイツ出身の選手Gである。 真っ赤に腫れた両の頬を押さえながら、マーガスが深々とうなずいた。 「Jrユースん時のキーパーもヒドかったよなー。第二キーパーがヘボいのドイツの伝統?」 「ヤな伝統だぜまったく」 事実ではあるが、本人の目の前でするにはいささか率直すぎる物言いである。 話題の第二キーパーは部屋の隅でくずおれてシクシク泣いているが、むろん誰も気にしない。 腕組みをしながらマーガスが首を傾げた。 「あーでもワカバヤシもケガ多いじゃん。二人揃って故障とかありそうじゃね?」 「ゲンさんはここ一番の大舞台じゃ包帯巻いて元気に戻ってくるぜ」 「そーなの? じゃ心配ないかー」 そう言ってマーガスはミューラーをちらっと見やった。 「だってミューラーはここ一番って時に大ケガして確実に戻ってこないもんな。ガラスの巨人? 繊細なキングコング? なにそれ超ウケる〜アハハハ……ぐえ !?」 「マーガス〜! てめえいい度胸だな――!」 「ちょ、よせってミューラー! マーガスの首、なんかヤバい方向に曲がってんぞ?」 怒り狂うミューラーに絞め落とされる寸前のマーガス、それを必死に止めるカルツを横目に、シェスターはうんざりを越えてもはや絶望に近いため息をついた。 ああもう。いつになったらこのアリスのお茶会めいた狂気のミーティングは終わるんだ。 いつになくシェスターが焦っている理由、それは彼の足下に置かれたトートバッグにあった。 中には妙齢の女性が好むような魅惑のランジェリー、肌着その他の下着が詰まっている。 もちろんシェスターに女装癖などない。これは年の近い妹のものだ。どうやら玄関先で取り違えて持ってきてしまったらしい。そしてシェスターの下着は妹のフランツィスカが持っていったというワケだ。それに関しては既に電話で確認済みだから間違いない。 正直あの時は妹の怒鳴り声で鼓膜が破れるかと思った。 アンダーシャツを探してブラジャーを引っ張り出してしまった兄の衝撃も少しは考えてみろと主張したくなったが、さらに逆ギレされそうなので黙っていた。 幸い妹が所属するドイツ女子ユースもこの近辺で合宿しているとのこと。今夜イタリア女子ユースとの親善試合が行われるらしい。 『試合開始までに持ってこなきゃ承知しないわよ兄さん!!』 もの凄い剣幕でまくし立てる妹に、危うく『先に持って出たのはお前じゃないか』と言い返しそうになってすんでの所でこらえた。ヒステリー状態の女に何を言ってもムダというもの。 俺だって女物の下着を身にまとって試合に出るのだけはなんとしても避けたい。 そのためにはもはや手段を選んでいる余裕などないのだ。 俺はこの馬鹿げたミーティングを終わらせる。そのためにはどんな犠牲をも辞さない。 シェスターは決意を胸にすっと手を挙げた。 「シュナイダー。ひとつ提案していい?」 「なんだ、言ってみろ」 「帰化うんぬんはさておき、ホントはワカバヤシと一緒のチームでプレイしたいだけなんだろ。ならうちの正GKと第二GKが揃って出場不能な事態に陥ればいい。突然のことで困ってるんだって泣きつけば、さすがのワカバヤシも代役を断れないんじゃないか?」 ミーティングルームは水を打ったように静まりかえった。 シェスターの極悪非道な提案に、誰も彼もが「なにィ」と驚愕の面持ち(たとえるなら大空翼のドリブルで華麗にゴボウ抜きされた時のような顔)でフリーズするなか、ただひとりシュナイダーだけが勝ち誇ったようにガッツポーズで叫んだ。 「そうか! その手があったか!」 それはもう水を得た魚のように生き生きとしたイイ顔で。 翌日のテストマッチは1-0でイタリアユースが勝利した。 といってもイタリアの美学ウノゼロの勝利とかそういう類のものではない。ドイツの敗因はたんに二名もの負傷退場者を出してしまったことに尽きる。それも正キーパーと第二キーパーというのだから運が悪いにも程がある。 ピッチから担ぎ出される二人の体からは、なぜか繊維の焼け焦げたような匂いが漂っていた。 「今日の試合? ヒマすぎてホントどうしようかと思ったよ」 イタリアユースのキャプテンで正GKのジノ・ヘルナンデスは、試合後のインタビューで苦笑混じりにそう語ったという。 >あとがき 本文でシェスターも言ってますけど、シュナイダーは若林と同じチームでプレイしたい一心で錯乱してるんです。ただ自分に正直すぎるだけで悪気はないんです。ええホント。 この話のマリーたんはうちの捏造設定版なんで、若林を巡って兄貴と火花を散らす17才のオトメで、ドイツ女子ユース主将です。本家バージョンの年の離れた可愛いマリーたんには、いくらなんでも「あんな妹」呼ばわりしないですよシュナイダーは。 “ねんがんの ワカバヤシ をてにいれた!”ドイツの次なる対戦相手はオランダユース。 あとは皆さんもご存じの展開に。 ← 戻る |