白詰草 2009.07.07


「ねえねえ、ぶらいあん。これなあに?」

クライフォートは顔を上げ、葵が差し出したものをじっと見た。
小さな緑の三枚葉。オランダでは見慣れたものだが、この国にあるはずのないもの。

「クローバーだ。どこで見つけたんだ?」
「えーとねえ、向こうの木の下〜」

葵は庭の一角を指さした。
見ると松の大木の根元を中心に、地面が緑の絨毯に覆われている。
クライフォートは読んでいた本を閉じて立ち上がり、縁側から庭に降りた。

松の木の下に立ち地面を見下ろす。大地からわき上がるような緑の洪水。
なるほど見事なクローバー畑だ。クローバーの緑の葉と白い小さな花が傍若無人な勢いでそこら一面にはびこっている。

なぜこんな所に突如クローバー畑が出現したのだろう。

種など蒔いた覚えはないし、蒔く理由もない。
八代洲の仕業でもないだろう。ずいぶん昔の話だが、ヤツがアムステルダム郊外のクローバー畑で昼寝していたら、通りすがりの洗い熊に頭を囓られたそうだ。それ以来クローバーも洗い熊も苦手と聞く。

本国からガラス製品を輸出する際、緩衝剤として箱の中にクローバーを詰めているのだが、もしやそれが漏れたのだろうか。

あれこれ考えを巡らせていると、葵が後ろからひょいと顔を出した。

「ほえ。白くてちっちゃいお花カワイイね〜」
「煎じて飲めば通風の薬になるぞ」
「なにそれ。ぜんぜんカワイくない。もっと他にないの?」
「便秘にも効くらしい」
「ウキー! あんたに期待したあたしがバカだったわっ」

葵は真っ赤な顔で両のこぶしを固めて怒鳴った。

仮にも一国の姫が暴れザルみたいに地団駄踏むな。みっともない。
そんなことを内心ひそかに呟いていたら、敵もサルもの、野生の勘で悪口を察したらしい。

「ちょっと! あんたまたなんかヒドいこと考えてるわね〜 ! キーッ!?」

ブチ切れたサル、もとい葵はその場にどすんと座り込んだ。
「あーもう悔しい〜!」とかキーキー叫びながら、怒りにまかせてクローバーを手当たり次第ぶちぶち引き抜いている。まったく気の荒い女だ。

クライフォートはため息をついて腰を下ろした。
葵が引き抜いたクローバーの花を三本まとめて手に取り、その茎を軸にしてもう三本重ねて巻き付ける。あとは単純作業の繰り返し。葵がクローバーを引き抜いて捨てる端から拾い上げ、三本ずつまとめて手際よく編み込んでいく。

葵はクローバーをむしる手を止めてクライフォートをじっと見た。
きょとんとした顔で目を瞬く。

「ほえ。なにしてんの?」
「ほら次。さっさと寄越せ」

葵の問いには答えず右手を突き出す。

「え、ええっと。ほい」

なんだかよくわからないが、とりあえずクライフォートに促されるまま、葵はクローバーを引き抜いて手渡した。

クライフォートは長く編んだクローバーの両端を合わせて輪を作り、受け取ったクローバーの茎をくくりつけてしっかり留めた。完成した花輪を葵の頭にポンと載せる。

葵は頭上の花輪に手をやり、不思議そうに首を傾げた。

「これなあに?」
「クローバーの花輪とも花冠とも呼ばれているな」
「ほえ〜はなかんむり〜?」

葵は懐から手鏡を取り出して、自分の姿をいろんな方向からためつすがめつ眺めている。
しばらくしてクライフォートに向き直り、上目遣いにたずねた。

「ねえねえカワイイ?」
「まあそれなりに似合ってる」

葵はぱっと顔を輝かせた。春の日の花のように。

「わーい、ぶらいあん、だーいすき!」

大はしゃぎで首に飛びついてくる。
いつものことだが随分と気分の切り替えの早い女だ。

「ねえねえ。ぶらいあんもあたしのこと好きよね?」
「まあそれなりに気に入ってる」
「む〜なによそれ、ケンカ売ってんの?」
「俺がそれなりに気に入る人間なんかこの世にそうはいないぞ」

不満げに頬をふくらませる葵を見下ろして小さく笑う。

笑って泣いて怒って拗ねて、また笑う。
葵の心の空模様は猫の目のように目まぐるしく変化する。だから見ていて飽きない。

クライフォートは葵のほっそりとした身体を抱いて、耳元でささやいた。

「まあそれなりに愛してる。これでいいか」





数日後の昼下がり、低く尾を引く猫の鳴き声が八代洲屋敷にこだました。

「三毛子、うるさい」

文机に本を置き振り返る。
世にもばかでかい三毛猫と目が合った。葵の飼い猫で名を三毛子という。
三毛子は自分の首にはめられたクローバーの花輪にちらっと目をやり、次いでクライフォートを見据えた。金色の双眸は怒りに満ちている。

「その件に関しては悪かったと思っている、一応」

クライフォートの誠意のない言葉に三毛子は短くニャァと鳴いた。低くドスのきいた声で。
新しい首輪がよっぽど気に入らないらしい。

「俺だっていろいろ被害を被っているんだぞ」

憂鬱そうに床の間の違棚を見た。
自慢の赤松の盆栽の枝には、小ぶりのクローバーの花輪がクリスマスツリーの飾りみたいにいくつもぶら下がっている。嘆かわしいにも程がある。

三毛子は盆栽には目もくれず、ふんと鼻を鳴らした。
それはお前の自業自得。そんな声が聞こえてきそうだ。
いちいち生意気な猫だが事実なので仕方ない。
戯れに花輪など作るんじゃなかった。心からそう思う。

あの日から葵は花輪作りに熱中するようになった。毎日クローバー畑に座り込み、飽きもせず大小とり混ぜてせっせと編んでいる。
おかげで屋敷内が無数の花輪に占拠されてしまった。

前述の三毛子の首輪と盆栽に加え、庭のタヌキの置物にはたすき掛けにクローバーの花輪、玄関先の招き猫の頭にはやや小ぶりの花冠、各部屋の障子はクリスマスリースの如くクローバーの花輪で飾り付け、台所の神棚には注連縄がわりに花輪掛け。

他にもまだまだたくさんあるが、いい加減きりがないのでこの辺で止めておく。

「まあ葵もそろそろ飽きる頃だろう」
「あいにく姫様は今日もお庭でご機嫌うるわしく花輪を編んでおられますよ」

文机に湯飲みと茶菓子を置いて築山が言った。
この葵付き奥女中は、いつも足音ひとつたてず、まるで降ってわいたかのように現れる。その神出鬼没ぶりは忍びの者も顔負けだろう。

「ひとたび調子に乗った姫様はそう易々と止まりませぬ」

築山の言葉に同調するように三毛子がニャーと鳴いた。

「……だろうな」

クライフォートがうんざりした顔でため息をついたその時、八代洲が障子を突き破らんばかりの勢いで転がり込んできた。

「おいクライフォート! 頼むから姫様をなんとかしてくれ!」

クライフォートと築山、そして三毛子は冷ややかに見据えた。

「八代洲、うるさい」
「八代洲殿。廊下はお静かに」
「ニャー!」

この屋敷の主人である八代洲の立場がよくわかる、二人と一匹の反応だった。

「こ、これはまことに申し訳な……ってギャー !? もう来た―― !?」

八代洲の叫びとほぼ同時に、袖にクローバーの花輪を何本も提げた葵が駆け込んできた。
不敵な笑みを浮かべて八代洲ににじり寄る。

「ふふふ〜もう逃げらんないわよ〜! 観念なさい八代洲――!」
「葵、うるさい」
「あ、ぶらいあん!」

クライフォートの存在に気づいて嬉しそうにぴょんと跳ねる。
足取り軽くいそいそと近づいてきてた。

「ねえねえ見て見て、スゴイでしょ! こーんなに編めたよ!」

クライフォートの面前で見せびらかすように両腕を広げる。
少しいびつなクローバーの花輪を肩から腕にかけてずらっとぶら下げている様は、九十六文つなぎの銭さしを何本も肩に掛けた両替商に似ていなくもない。

「葵。まずは座れ。話はそれからだ」
「ほえ? わかった。で、話ってなあに?」

その場にちょこんと座って首を傾げる葵を真っ直ぐ見据える。おもむろに口を開いた。

「実は八代洲はクローバーの花輪がないと生きられない特異体質でな」
「ちょ、クライフォート、お前なに言って―― !?」

八代洲の抗議なんかもちろん黙殺して平然と続ける。

「そこでだ。俺と三毛子の花輪をまとめて八代洲に譲ってやろうと思う。なんといっても人の命に関わることだ。俺たちとしては残念だが仕方ない。涙をのんで耐えるから、代わりにお前はヤツの襟巻きでも腹巻きでも思う存分編んでやれ」
「ニャー」

クライフォートの棒読みもいいところな大ボラに、もっともらしい顔で三毛子がうなずく。
愛する夫と愛猫のうさんくさい説得に、葵はコロリと騙された。

「ほえ〜それは大変。わかった、あたし頑張る!」
「ちょ、待ってください姫様〜 !? 実はこの私、クローバーと洗い熊が大の苦手で……!」

情けない声を張り上げる八代洲など鼻にも引っかけず、葵は軽やかに庭に飛び降りた。
クローバーの群生地に座り込み、まずは材料確保とばかりに生い茂ったクローバーをばりばり引っこ抜き始める。こうなったらもう誰にも彼女を止められない。

失意のあまりがっくり膝をついてうなだれる八代洲の頭を、三毛子が前足でぽこぽこ叩く傍ら、クライフォートはどうでもよさげに言った。

「八代洲。苦手なものを克服するいい機会だ。せいぜい頑張れ」



>あとがき

プチプチ(気泡緩衝材)や発泡スチロールなんぞ無かった江戸時代、オランダ人は割れ物注意の箱に緩衝材としてクローバーを詰めたんだそーで。白い花の詰め草だからシロツメクサ。



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