アズーリの20番 2007.09.13

 イタリア代表練習場のロッカールームは今日も甘ったるい匂いに満ちていた。
 元凶はテーブルにこんもり積まれた焼き菓子の山。
 葵新伍の仕業に他ならない。

 大量の焼き菓子を前に、マッティオはやれやれといった風に肩をすくめた。

 今さら言うまでもないが新伍の趣味は料理。最近はドルチェ作りにハマってるらしく、せっせと新作をこしらえてはチームメイトに試食を強要するのだ。

 今日のメニューはビスコッティ。やたらめったら固いトスカーナの焼き菓子だ。

 マッティオはバスケットの中のビスコッティを一切れ手に取った。
 アーモンドの香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。色つや形ともに出来映えは完璧だ。

 なにげなく二つ折りしようとしてぎょっとする。折れない。満身の力を込めてたたき割ろうとしたがびくともしない。試しに突き刺したフォークの先がぐんにゃりとへしゃげてしまった。尋常でない固さである。

 セラミック加工でも施されているのか? これなら鉄釘だってラクに打てそうだ。さすが新伍の自信作(?)なだけはある。

 うんざりした顔で超堅焼きビスコッティをにらんでいると、

「なあ。なんでお前10番つけねえんだ?」

 ストラットが新伍にたずねた。

 もっともな質問である。
 なんせ新伍ときたら、代表招集されたその日に受け取った10番ユニフォームをロッカーに放り込み、なに食わぬ顔で20番を着続けているのだから。

 新伍はエスプレッソの入った保温ポットを抱えたまま、少し首を傾げた。

「へ? だっておれ20番だもん」
「ったく話のわからねえ小動物だな。代表に10番いねえと、なんつーかこう据わりが悪いだろ」
「じゃあストラットが10番つけなよ。よっしゃこれで問題解決! あ、そーだ。ねえねえコンティ。そのビスコッティの味、どうかな?」

 新伍につられて向かいのテーブルに目をやって、マッティオは思わず息を呑んだ。
 コ、コンティ―― !? なにアイツ、セラミック煎餅を平然とガリボリ食ってやがんだ !?

 驚愕に満ちたマッティオの視線などてんで気づかぬ様子で、コンティはさらに恐るべき言葉を口にした。

「んー、もちっと固い方がイイんじゃね?」
「そっかー了解了解」

 新伍は真剣な表情でうなずいて、なにやらメモに書き込んでいる。

 マッティオは手にしたビスコッティを改めてまじまじと見つめた。
 現状でも全く歯が立たないのに、これ以上固くしてどうするんだ。ガンダニウム合金でも精製するつもりか?
 それよかコンティ。アイツの正体もしかして齧歯類―― !?

 思わずコンティに疑惑の眼差しを向けてしまった。
 一方ストラットは苛立ち隠そうともせず新伍をにらみつけた。

「おいコラ。テキトーに話を終わらせんじゃねえ」
「くだらねえコト気にしてんじゃねーよ。背番号がプレイするワケじゃねえだろ」

 ジェンティーレがあからさまに小馬鹿にした風に肩をすくめる。

「じゃあジェンティーレ。お前が10番つける?」

 ジノはからかうような口調で言うと、エスプレッソのカップからビスコッティを取りだした。

 さしものセラミック煎餅も適度にふやけて柔らかくなっている。これならカナヅチを持ち出す必要もなく、齧歯類でなくとも十分かみ砕けるレベルの固さ。
 まさにパーフェクトキーパーの名に恥じないソツのない仕事と言えよう。

「なッ、オレはCBだぜ。2番に決まってんだろ!」

 やや焦った面もちで言い返すジェンティーレを横目に、ストラットが鼻で笑った。

「くだらねえコト気にしてんのはお前も同じじゃねーか」
「ンだと、てめえ!」

 二人はほぼ同時に椅子を蹴って立ち上がった。
 テーブルを挟んで真っ向から鋭い眼光でにらみ合う。放っておけば確実に場外乱闘まっしぐらな状況だ。

 マッティオはあわてて新伍の脇腹を肘でつついた。

「おいシンゴ。早いトコあの二人引き離せ」
「へ? なんでさ?」
「だーッ、お前の目はフシアナか !? ていうかコトの元凶はお前だろーが !!」

 ところがドッコイ。一触即発の危うい均衡を破ったのは脳天気な齧歯類、もといコンティの呑気な声だった。

「えーっとさあ。Jrユースじゃトリノが10番だったぜ」

 その場の空気が水を打ったように静まりかえる。数十秒後、

「え…えええぇぇ !? ちょっと待ってよコンティ!?」

 勝手に引き合いに出されたトリノが真っ青になって叫んだ。
 昔馴染みのチームメイトにいともあっさり裏切られたんだから無理もない。

 ストラットがニタリと笑ってジェンティーレを見やった。

「ほぉ。DFで10番だったそうだぜ?」
「はァ? なんかの間違いだろ」

 ジェンティーレはバカバカしいとばかりに一笑に付す。
 だがしかし。胡散臭いくらいおだやかな笑みを湛えてジノが言った。

「いいや。俺の記憶でも確かにトリノは10番だったよ」
「なにィ !?」

 ストラットとジェンティーレの驚きの声が同時にハモる。
 怯えきったトリノを取り囲み、値踏みするような眼差しでじっと見据えた。

「ちょ、ボクには無理だってば! ぜったいに絶対無理ですっ!」

 トリノはほとんど半泣きになって訴えた。

 たとえるなら凶暴な大型肉食動物二匹に両脇を囲まれて「カミサマ、なんでボクこんな恐ろしい場所にいるんですか !?」と言わんばかりの顔つきで、その場に小さくなってガクガク震える小型草食動物のよう。

 ストラットが呆れ顔で天を仰いだ。

「マジかよ。ったく、なんでこんなんが10番背負ってたんだ?」
「そーだな。明らかに役者不足っていうかなんてゆーか」

 ジェンティーレも同感とばかりに肩をすくめる。

「そんなことないよ。トリノはどっかの国のすっかり背景と一体化したDF陣よりずっとマシなんだよ。ドングリの背比べっていうか誤差の範囲内だけど」

 ジノはそう言ってニッコリ笑うとエスプレッソのカップを口元に運んだ。
 はっきり言ってこいつの物言いが一番ヒドい。

 マッティオはため息をつくと新伍に向き直った。

「なあシンゴ。お前が素直に10番つけりゃ話は丸く収まるんだけど」
「ヤだよ。だっておれ20番だもん」
「だーかーら、なんでそこまで20番にこだわるんだよ?」
「だって20番はおれが初めてインテルで貰った番号だから」

 そう言って新伍はニコっと笑った。
 マッティオは思わず言葉に詰まる。

「あの頃はホント楽しかったよなー。ジノは優しいし、マッティオはおれのこと目の敵にしてイビりまくってくれてさあ」
「……おかげで今はお前にイビり倒されてんだけどな」

 マッティオは疲れた表情でつぶやいた。
 長年に渡って当時の仕返し十倍返しを喰らっているこっちの身にもなってくれ。
 新伍は悪気がないぶん、実はジノ以上にタチが悪いんじゃないだろうか。

「イタリアでも日本代表でもずっとこの番号つけてやってきたし、今さら換えろって言われてもなんか調子狂っちゃうんだよね」

 新伍はちょっと困った顔で考え込んだ。

「大丈夫。それなら心配ないよ、シンゴ」

 突然背後から響いた声に心臓が跳ね上がる。

「ジノ !? お、お前いつの間に…… !?」

 ジノはマッティオの問いなどやんわり無視して、新伍の肩に軽く手を置いた。

「トモダチ思いのマッティオが10番引き受けてくれるってさ」
「ちょ、待てやゴラァ !? ジノ! てめえなに勝手なことほざいてやがんだ !?」
「謙遜するなって。なんたって昔取った杵柄だろ?」

 マッティオの動きが一瞬止まる。
 ヤバい。ジノが余計なコトをしゃべり出す前になんとか話を逸らさないと……!
 だがしかし。焦っているせいかうまい言い訳が思いつかない。

 背中に嫌な汗を流しつつ目を泳がせていると、コンティが思い出したように手を打って、

「んー、そういえばさあ。マッティオ。確かユニオーレスの……」
「うぉわッ !? いらん時に余計なコト思い出すなコンティ―― !?」
「そうそう。インテルユニオーレスの10番だったよな、お前」
「ばばばバカ野郎 !? それ以上ペラペラ喋んなこの齧歯類――!」

 コンティを締め上げようと一歩足を踏み出した途端、後ろから新伍が飛びついてきた。

「ホント? やったぁ! ありがとうマッティオ! だーいすき !!」
「だーッ、キモいこと言うなこのバカ! ベタベタ引っ付くんじゃねえ、うっとおしい !!」

 新伍に早く離れてもらわないとこっちの身が危ないのだ。
 穏やかな笑顔のなかに絶対零度の冷ややかな怒りを滲ませたジノと目が合い、マッティオは背筋が寒くなった。そのうえジェンティーレまで複雑な表情でこちらを凝視しているのに気づいてげんなりする。

 こ、このツンデレ野郎 !? 言いたいことがあれば面と向かってハッキリ言いやがれ。余計気になるだろーが!

「はァ? 今度はコイツかよ。ったくワケわかんねーな」

 ストラットの言葉にジノが残酷な笑みを浮かべた。

「仕方ないな。ストラット。それじゃ包み隠さず一切合切喋っちゃうけどいいのかい? お前のサンパウロ時代の恥ずかしい話とか、思わず背中がむず痒くなってきそうなツバサ・オオゾラとの10番争いハートフル友情話とか………」
「ジ、ジノ !?  てめえ一体どこでそれを――― !?」

 顔色を変えて絶叫するストラットを見て、ジノはネズミをいたぶるネコのような表情になった。

「こないだ空港で偶然、ツバサに会ってね。いろいろ楽しい話を聞かせてもらったよ」
「だーッ、わかったからそれ以上一言も口に出すんじゃねえッ !!」
「え、翼さん !? ジノ、なにそれ教えて教えて―― !!」
「てめえは20番つけてすっこんでやがれチビ !!」

 好奇心に満ちた瞳で駆け寄ってくる新伍を一喝して、ストラットはプィっと目をそらした。

 よほど知られたくない個人情報をジノに握られてしまったらしい。まったくもってご愁傷様。と言いたいところだが、マッティオだってヒトの心配をしていられる身分じゃない。

「という訳でマッティオ。今日からお前が代表の10番だ。期待なんかこれっぽっちもしてないけど、出来る範囲内でせいぜいムダな努力をしてくれたらそれでいいよ」
「よーし、マッティオ。頑張ろーな!」

 ジノのヒドい言い草に加えて、新伍が脳天気な笑顔でぶんぶん手を振る。

「……おう」
「お祝いに改良版ビスコッティ詰め合わせ一年分送ったげるね!」
「……頼むからそれだけは勘弁してくれ」

 がっくり肩を落として力なく返事した。
 もしかしてオレの人生はずっとこいつらに蹂躙されて終わるのか?
 そんな恐るべき予感がふとマッティオの胸をよぎった。




>あとがき
アズーリの20番。
新伍が20番にこだわる理由はやはりインテルがらみであって欲しいという願望から。
20番は10番の2倍だから2倍すごいんだぞ、とかバカ考えてるともっといい。(よくない

アニメのC翼Jでインテルの10番だったマッティオに爆笑したのもいい想い出。
ちなみに原作では9番、ゲームでは8番だったはず。

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