■ トモダチ 2 ※『トモダチ』の続きです。 | 2007.05.03 |
遠くで鐘の音が聞こえた。 厳かなその響きは尾を引くような余韻を残しながら、茜色の空に消えてゆく。 マッティオは紙コップに残っていたカプチーノを一気に飲み干すと、いそいそと腰を浮かせた。 「お、もうこんな時間か。じゃあオレはこの辺で……」 ジノは読んでいた本から視線を上げた。 「念のため訊いておくけど。困ったトモダチ二人を見捨ててさっさと帰るなんて薄情なことはしないよな。マッティオ?」 なにが困ったトモダチだ。 マッティオはのんびり桜の木の下に座ったジノと、その背中にもたれて安らかに熟睡中の新伍をそれぞれ見やった。 ジノは新伍が自然に目を覚ますまで身動きするつもりはないらしい。 奴らしいというか、なんとも気の長い話だ。 しかし。なんでオレまでそれにつき合わなければならないんだ? マッティオは憮然とした顔で元の位置に腰を下ろした。 「ったくシンゴの奴、いつまで寝るつもりなんだ?」 「仕方ないさ。それだけ疲れてるんだよ」 確かにジノの言葉に頷かざるを得ない。 ワールドユース決勝、日本VSブラジルの試合を思い浮かべる。 終盤、疲労困憊で立つのもやっとな状態の日本選手のなかで、新伍とツバサ・オオゾラだけがスタミナ切れもせず最後まで全力でピッチを駆け回っていた。ブラジル選手相手に多対一で対峙するという理不尽かつ極限的状況を、よくもまあ凌ぎきったものだと感心する。 その後、ロクに休む間もなくイタリアに舞い戻り、何事もなかったようにクラブで普段通りの練習や試合をこなしているのだ。無尽蔵の体力を誇る新伍とはいえ疲れて当然だ。 マッティオは新伍の額を指で弾いた。いわゆるデコピンである。 「ほれ、さっさと起きろ」 「それ以上やると承知しないよ。マッティオ」 ジノがやんわりと釘を刺す。表情は柔らかいが目が笑っていないので妙な迫力がある。マッティオは小さく肩をすくめた。 しばしの沈黙が降りる。聞こえるのは桜の枝を揺らす風の音と新伍の寝息だけ。 先に口を開いたのはマッティオだった。 「――ま、お前らはよくやったよ。結果はどうあれ」 ジノが驚いたように目を見開く。すぐにマッティオの言葉の意味に気づいて力なく微笑んだ。 まさかのワールドユース予選リーグ敗退。優勝候補の一角イタリアが無様にも程がある。 「すまない。俺が不甲斐ないばっかりに」 「バーカ。お前のせいじゃないだろ。そもそも、あいつらお前に頼りすぎなんだよ」 いつになく硬い表情のジノの横顔を目の端にとらえながら、マッティオはすぐそばに置かれた魔法瓶を手に取った。自分とジノの紙コップにそれぞれカプチーノを注ぎ足す。 今回のワールドユースに限った話ではない。 四年前の国際Jrユース大会の頃から感じていたことだ。 イタリアユース代表はなにかにつけキャプテンのジノに頼りすぎる傾向がある。 自ら考え、率先して動き、きわどい局面も自力で対処しようとする気概に欠けている。 鉄壁の守護神への行き過ぎた信頼が、転じて過剰なまでの依存心となってしまうのか。 だとしたらなんとも皮肉な話だ。 あのメンバーでジノに頼らず自分の判断でプレイしていたヤツなんて、ジェンティーレくらいのものだろう。特定の人物に依存しきったチームほど崩れる時はあっけない。 実際、あの二人が抜けたあとのイタリアユース代表の試合ときたら、目を覆いたくなるような惨憺たるありさまだった。もう痛々しくて見てられないというか、あの時はテレビのチャンネルを変えたい誘惑に抗うのに苦労した。日本戦の後半30分過ぎ、ジノとジェンティーレがケガを押して途中出場するまでずっと。 あれ以降、イタリアユースの動きが目に見えて変化した。むろん良い方向にだ。 カプチーノから立ちのぼる湯気を眺めながら笑みを漏らす。 「あいつらもようやく目が覚めたみたいだな。それだけがまあ収穫なんじゃね?」 「そうだね。俺も少し肩の荷が下りた」 ジノが小さく笑う。 「いくら俺でも一度に9人の面倒見るのはキツいからな。あ、瞬間湯沸かし器のジェンティーレも入れて10人か。まったくヒドい話もあったもんさ」 「ははっ、それ聞いたらあいつ怒るぞ。それこそ頭から湯気出して」 自分で言っておいてなんだが、その光景を想像してマッティオはぷっと吹き出してしまった。 ジノも苦笑しながらカプチーノを口に運ぶ。 「マッティオみたいに俺の指示を無視して勝手し放題なのも困りものだけどね」 「はん。あいにくオレは誰かさんがパーフェクトだなんてこれっぽっちも信じちゃいないからな。シンゴも他のみんなも同じだろーよ」 意外にもそれを聞いた途端、ジノは相好を崩した。 こいつ自分のことあからさまにこきおろされて、なにがそんなに嬉しいんだ? マッティオがジノを訝しげに見やる。 「イタリアユース代表にシンゴがいてくれたらだいぶ楽だったんだけどね。あとマッティオも。いっそインテルユースをイタリアユースにすれば良かったのに。個々のスペックが多少劣っていても、気心の知れたメンバーの方が俺としても戦いやすいし」 落ち込んでいてもジノのさりげなく失礼な物言いは健在だった。 マッティオは呆れたように顔をしかめる。 「アホかお前は。全員出払っちまったらインテルの試合のほうはどーすんだよ」 「きっとイタリアユースが代役を務めてくれるさ」 「止めてくれ。せっかくのクラブの連勝記録がストップしちまう」 マッティオの呻きに合わせるように、世にも寝トボケた声がした。 「……ふわぁ? もう朝?」 新伍が眠たげに目を擦る。まだ意識がはっきりしないらしい。 「やっと起きたか。ったくこの寝ぼすけ野郎は」 「夕方だけどおはようシンゴ。よく眠れたかい」 ジノは新しい紙コップにカプチーノを注いでシンゴに差し出した。 「ん……なんか夢見てた。面白い夢」 カプチーノを一口飲んでからシンゴは嬉しそうに話し出した。 「おれとジノとマッティオがインテルのトップチームにいてさ。サンシーロでミラン破ってスクデット獲るんだ。もちろん全勝優勝だぞ。スゴイだろー!」 「はあ? 起きた途端に寝言なんか言うなよな」 マッティオは呆れ顔で新伍を見下ろす。それがどんなに大変なことかわかって言ってるんだろうか。この小猿は。 一方ジノは柔らかな笑みを湛えて頷いた。 「そうかな。なんとなくやれそうな気がするよ。君と俺と、ついでにマッティオがいればね」 「おいコラ、ついでってのはどーゆー意味だ?」 「まあ、言葉通りの意味だよ」 眉をひそめて問い質すマッティオに向かって、ジノは静かに微笑んだ。 いい加減殴ってやろうかと拳を固めたら、いきなり新伍にその腕を掴まれた。 「よーし! 頑張るぞ〜! 手始めにタイヤ引きランニング100周だ!」 「なにィ!? ちょ、ちょっと待てシンゴ!?」 ずるずる引っ張られながらマッティオが必死に叫ぶ。 ランニングだって? いま何時だと思ってんだ。夕方の6時だぞ。そもそもなんでこのオレが、新伍の非常識の限界に挑戦するような自主トレにつき合わなきゃならないんだ? 「そろそろ日が落ちる。足下には十分気をつけるんだよ、シンゴ」 「ゴラァ、ジノ! 他人事みたいな顔して座ってないでお前も止めろよな!」 ふり向いてジノに怒鳴る。 それに応えてかどうかは知らないが、ジノがゆっくり立ち上がった。新伍の肩にポンと手を置いてニッコリ微笑み、 「タイヤは無理だけどランニングだけなら俺もつき合うよ」 「ホント? わーい、じゃあ三人一緒に走ろうな!」 「こ、このバカ二人組は〜!? そんなの絶対つき合わねーからな、オレは!」 無人のグラウンドにマッティオの絶叫がこだました。 >あとがき 以前書いた『トモダチ』の続編です。 G23現在は新伍がアルベーゼ、マッティオはキエーヴォ在籍ですね。 さっさとインテルに戻れよお前ら。 ← 戻る |