観客席で 2007.03.30

 国立競技場メインスタンド側ゲート前。
 ワールドユース開幕第一戦、日本対メキシコの試合が始まるほんの少し前のこと。

 観客でごった返す通路に見知った顔を認めて、ジノ・ヘルナンデスはフッと笑みを浮かべた。
 ゆったりとした足取りで人の波をすり抜けて近づき、気安くポンと肩を叩く。

「やあジェンティーレ。急がないと試合が始まるぞ」
「なっ、お前どっからわいて出やがった!?」

 不意を突かれて驚きを隠せない様子でジェンティーレが叫んだ。

 はっきりいってお前がこの場にいることの方がよっぽど不自然なんだけど。
 でもそんなこと指摘したらますます逆上しそうだな。
 ジノは思わず苦笑を漏らしつつ、さりげなく話を振ってみる。

「さて。シンゴはどんなプレイを見せてくれるかな。楽しみだな」
「か、カンチガイすんなよな、ヘルナンデス! オレはそんなもん見に来たんじゃねえ!」
「ふーんそう。空いてる席は……と。あの辺でいいかな」

 目ざとく空席を見つけ、すたすた歩き出す。
 ジェンティーレはあわてて後を追いながら怒鳴った。

「おい、ヒトの話、聞いてんのかお前!?」
「もちろんだとも。さあ行こうか」
「だーッ、だからそうじゃねえって言ってんだろーが!」

 ジノは足を止めて肩越しにふり返った。

「じゃあ一体全体どういうワケでここに来たんだ?」

 ジェンティーレは一瞬ひるんだが、ものすごい勢いでまくしたてた。

「――ッ、そっ、それはだな。ヒマだったから散歩行ったら偶然通りすがっただけだ! 断じてあの小猿なんか見に来たんじゃねえぞ!」
「ああそう偶然ね。ナルホドよくわかったよ」

 心の中で吹き出しながらも、ジノは努めてもっともらしい表情でうなずいた。

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすその姿を見れば一目瞭然だ。口ではああだこうだ言ってるが、ジェンティーレは新伍の様子が気になって仕方ないらしい。

 試しに釣り糸を垂らしてみる。

「どうせヒマなんだろ。だったらお前も観ていけよ、日本戦」
「ハッ、バッカバカしい。なんでオレがそんなもん観なきゃなんねーんだ」
「俺たちと同じA組の試合だ。相手の力を冷静に見極めるいい機会じゃないか」

 ジノに真っ向から正論をぶつけられてうっ、と言葉に詰まってしまう。ようやく不承不承といった口ぶりで、

「……チッ、しかたねーな。じゃヒマつぶしにつき合ってやるよ」

 ジェンティーレは苦虫を噛みつぶしたような顔で手近の空席にどすんと腰を下ろした。

 暇つぶしねえ。ホント素直じゃないな、コイツ。
 こみ上げる笑いをかみ殺しながらジノも隣に座る。

「そうそう、暇つぶしにもってこいだよな。――ああ、ほら。シンゴが出てきた」
「だーかーら! チビザルは関係ないってんだろ!?」
「昨日も思ったんだけどさ。メキシコのキーパー。見ればみるほど斬新なヘアスタイルだよね。あれって新大陸風? 鳥の巣っていうかなんていうか」
「お前……マジメに観る気あんのか?」
「暇つぶしに観戦するヤツに言われたくないね」

 くだらない会話の応酬を続けるうちに試合開始のホイッスルが高らかに鳴った。
 早々と得意のドリブルで中央突破を図る大空翼の後ろを、これまた全力でついていく新伍を眺める。緊張のせいか肩に力が入りすぎている。と思ったらやはりキックミスした。

 ジェンティーレが呆れたように肩をすくめた。

「なんだあいつ。しょうもないミスやらかしやがって」
「まあまあ。これからが本番だって」

 翼に何かアドバイスされたのだろうか、新伍の表情がぱっと明るくなる。
 大きくうなずいて、吹っ切れたように勢いよく走り出した。インテルでプレイしている時と同じ、一点の曇りもない空に輝く太陽のような笑顔を浮かべて。

「頑張れよシンゴ」

 こっそりつぶやいた言葉を小耳に挟んだのか、ジェンティーレが訝しげに首を傾げた。

「――? お前、いまなんか言ったか?」
「いいや。なんにも」

 そう言ってジノは静かに笑った。




>あとがき
ワールドユース選手権、日本対メキシコの試合を観戦中のイタリアン二名。
新伍ウォッチングに加えて隣のツンデレ観察。ジノはとっても楽しそうです。


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