■ 猫の試食会 | 2007.06.13 |
クリスマンは半分寝ぼけた頭でユース寮の廊下をフラフラ歩いていた。 窓から差し込んでくる朝の光に目を細め、大あくびする。眠いのも当然だ。つい先ほどまで、提出期限ぎりぎりのレポートを抱えて悪戦苦闘していたのだから。 ひっきりなしに飛び出すあくびをかみ殺しながら廊下を右折して、そのまま直進する。突き当たりの食堂の扉を開けると、ぼんやりした視界に予想外の顔ぶれが飛び込んできた。 「カノー? お前こんな朝っぱらからなに起き出してんの?」 思うより先に素朴な疑問が口をついて出る。常日頃の叶恭介ならば、まず間違いなくグースカ眠り呆けている時間帯のはずなのだが。 恭介は不機嫌そうにクリスマンをじろっとにらんだ。 「ンだよ。オレが早起きしてなんか文句あるってか?」 「いや、早起き自体に問題はないんだけど。ただ珍しいこともあるもんだなあって……」 あわてて言い繕う。 恭介はフンと鼻を鳴らし、隣の席のクライフォートを横目で見やった。 「珍しいもなにもオレはこいつに叩き起こされて、ヘンなもん食わされてるだけだぜ」 ヘンなもん? クリスマンは恭介の前に置かれた皿をじっと見た。 茶色っぽい小粒のシリアルが山盛りになっている。 次に目を引いたのは鮮やかなオレンジと黄色の取り合わせの紙箱だった。パッケージ正面にモン○チの宣伝に登場するようなゴージャス系の白猫のイラストが描かれている。 「やたら派手なパッケージだなあ。シリアルの新製品?」 「知り合いに送りつけられた試作品だ。うんざりするほど大量にな」 クリップボードになにやら書き付けながらクライフォートが淡々と言った。 言われてみれば確かに、テーブルの下の大きな段ボール箱の中には、未開封の黄色いシリアル箱がぎっしり詰まっている。 「ついでだからお前も試食していけ」 クライフォートの言葉にクリスマンは少々考え込んだ。 ふとしたはずみに思い出す。いつもの朝食用シリアルを切らしたまま、ついうっかり補充するのを忘れていたことを。 「ま、いっか。朝飯の時間だし」 あくび混じりにつぶやくと台所に向かう。自分のマグカップにコーヒーをなみなみと注ぎ、再び食堂にとって返した。 段ボール箱から黄色い箱を引っ張り出して自分の席に着く。あらかじめ用意されていた皿に中身をぶちまけた。遠目にも妙なシリアルだったが、近くで見るとますます奇怪千万。 フレークでもなければグラノーラでもない。直径1センチ程度の丸い茶色の粒で、真ん中に穴が開いている。敢えて言うならリング形状のシリアルビスケットの類か。それにしてもサイズが小さすぎることに変わりはないが。 なんの気なしにシリアル箱に視線を向ける。 「――なんだこれ?」 商品名のすぐ真下、パッケージ中央部を横一直線に黄色い紙テープが貼られている。いわゆる“貼ってはがして、また貼れる”が売り文句のアレである。 クリスマンは改めて紙テープ部分を凝視した。 明らかにこの下にある何かを隠す為に貼られている。内心イヤな予感を覚えつつも、わき上がる好奇心は抑えられない。意を決してピッとめくった。 次の瞬間、眠気が一気に吹っ飛んだ。 「―――キャットフード with フィッシュ!?」 念のため、もう一度確認してみる。 何度目を擦っても『魚風味の猫のエサ』としか読めなかった。パッケージが猫のイラストである理由がようやく理解できた。 ガリガリボリボリと響く耳障りな音にハッと我に返る。 クリスマンはゆっくりと顔を上げ、向かいの席に恐る恐る目をやった。 思わず息を呑んだ。 カ、カノー!? 猫のエサを平然と食べてやがる……!? 皿にこんもり盛られたキャットフードに牛乳をたっぷりかけてぱくついている。はっきりいって見てるだけでキモチワルイ。 クリスマンはあわてて目をそらしたが、胸のむかつきは一向に収まらない。 そうとは知らず猫シリアルをガリボリ試食中の恭介が首を傾げた。 「おいおい。このシリアル無茶苦茶硬くねえ?」 「気合いでかみ砕け」 「オマケになんか塩っ辛いぞ」 「天然ミネラル成分だ。気にするな」 クリップボードに挟んだ書類に視線を落としたまま、クライフォートが素っ気なく応える。 チームメイトを欺いて猫のエサを試食させているクセに、その顔には罪悪感の欠片すら見あたらない。まあいつものことではあるが。クリスマンは内心ため息をついた。 「しっかし食えば食うほど変な味だなコレ。ミョーに魚臭いし」 皿の中の猫シリアルをあらかた平らげてから恭介が言った。 「DHA摂取でお前の乏しい脳細胞が少しは活性化されるといいな」 「てめえ、そりゃどーゆー意味だゴラァ!?」 クライフォートの小馬鹿にしたような物言いに、カチンときた恭介が声を荒らげる。 ほぼ同時に食堂の扉が威勢良く開いた。カイザーが脳天気に鼻歌を歌いながらずかずかと入ってくる。 「よお! お前ら朝メシ食いながらなに騒いでんだ?」 朝型人間らしく朝っぱらからムダに元気そうだ。 続いてディックとドールマンが眠たそうな顔で席に着く。 「ちょうどいい。お前たちも試食してくれ」 唐突なクライフォートの言葉にディックとドールマンが「はあ?」と顔を見合わせる。 いち早くカイザーがテーブルのド派手なシリアル箱に目を留めて、 「なんだこれ?」 「新製品のサンプルだ。味は各自で判断しろ」 「へえ〜なんか面白そうだな!」 カイザーは興味津々の表情で猫シリアルを皿に空けた。 ああ、また一人犠牲者が……。 心の中でそう思いつつも口に出せないクリスマンだった。 「なあ。シリアルが塩味ってのはどーいう訳だ?」 試しにひと匙口に運んだドールマンが怪訝な顔でたずねた。至極もっともな疑問だ。 「無香料・無着色・無添加だからな。使えるのは塩くらいだろう」 クライフォートはいけしゃあしゃあと返した。厚顔無恥にも程がある。 それを聞いたディックが納得したようにうなずいた。 「てことは流行りの自然派オーガニックなんたらってヤツか?」 「まあ、そんなところだ」 オーガニックといっても、オーガニックキャットフードなんだけどな。 ツッコミを入れたいのはやまやまだが、やはり口に出して言えないクリスマンだった。 カノーに加えてカイザー、ディックにドールマン。 これでキャットフード試食会の参加者は四人になった。 ………四人? 一人足りないんじゃないか? 「あれ? レンセンブリンクは?」 「あいつなら食堂に来るなりUターンしてどっか行ったぜ」 「レンセンブリンクの実家には猫が三匹いるらしい」 クリスマンの問いに恭介が答える。 続いてクライフォートがつまらなさそうに言った。 猫が……三匹? ……………………………!? 「あ、あのヤロー!? 一人で逃げやがったな〜〜〜!?」 クリスマンは拳を震わせて叫んだ。 一目見るなり踵を返すなんて絶対そうに決まってる。あの黄色い箱は猫飼いにはお馴染みのパッケージなんだろう。 クリスマンは気を取り直してクライフォートをにらみつけた。 「だいたいクライフォート。お前がキャットフー……」 「――クリスマン。沈黙は金ともいうな?」 クライフォートは乾いた口調で遮った。 「東洋のコトワザ曰く、キジも鳴かずば撃たれまい」 クライフォートに真っ向から見据えられてゾッとする。 余計なことを喋るとお前の命はない。冷ややかな青い瞳は確かにそう告げていた。 さすがに身の危険を感じて、あわてて首をぶんぶん縦に振る。 「わ、わかったからそんな目つきでこっち見んな!」 「ならいい。さっさと自分の割り当てぶんを片づけろ」 クライフォートはクリスマンの猫シリアル皿を視線で示して、無情に宣告した。 「そこらの安食堂の定食など足元にも及ばない高級食材で作られているから安心しろ」 「……そーゆー問題かよ?」 「毛艶も良くなるそうだ。抜け毛対策にうってつけだな」 「なんでまたこの年でハゲ対策講じなきゃなんねーんだよ!?」 「抜けてからでは遅いぞ」 クリスマンの頭頂部をちらっと見て、クライフォートがぼそりと言った。 「え、縁起でもないコト言うな〜〜〜!?」 両手で頭を抑えながらクリスマンは絶叫した。 >あとがき 早朝、猫にエサをやりながらボーっと考えついた話。 作中の猫エサは一見ヤ○ーのように見えますがあくまでもフィクションです。 ← 戻る |