2002/11/15

欺かれるものの名は『運命』






 騒ぎの中心である会場を抜け出して裏庭へ出ても、歓声はまだ薄く聴こえてくる。

 少なくとも今夜、その声が途絶えることはないだろう。これはこの戦乱に勝利した者たちがようやく手に入れた一時の安らぎなのだから。ポゥは宴の熱気に上気した頬が徐々に冷えていくのを感じながら、そんなことを思った。


 そう、この戦いには多くの者がその身を投じた。

 圧政に喘いでいた者、帝国の一員でありながら自分の中の正義に逆らえなかった者、そして、別の目的の為にこの戦いを利用した者。それは皆さまざま、まさしく空に光る星々にひとつとして同じものがないようなもの。先ほどまで彼らを束ねてきた自分だからこそ、ことさらそれが良く分かる。

 愛用の棍で目の前の茂みを掻き分けながら、ポゥは心の底で独白を続ける。


 そういう思惑を全てない交ぜにしながら、僕らは進み、そして新しい時代を作った。
 そして、その中にはもはやこの世にいない者も数多くいる――裏庭をぐるりと囲む低木のひとつに手をかけたポゥの瞳に微かな憂いが走り、顔が伏せられる。


 と、突然、弱々しく彼を照らしていた月明かりが何かに遮られた。まさか誰かに見つかったのか、身を固くして顔を上げる。


「ふわわわわわ〜〜〜!」


 だが、ポゥを捉えたのは誰のとがめる声でもなく、聞きなれた素っ頓狂な声だった。
 振って沸いた出来事に殆ど条件反射で手を広げると、彼女はそのままそこを目指して落ちてくる。


 既に何度か経験している事態ではあるものの、それでも落下してくる人間を受け止めるのはそんなに簡単なことではない。彼は腕の骨が軋む音に僅かに顔をしかめながら、それでも少女をしっかりと抱きとめたまま草むらに倒れこむ。そして、続いて背中を襲った激しい衝撃を何とかやり過ごすと、手の中の少女に優しく話しかけた。ついでに頭に被った落葉を取り除いてやる。


「ビッキー、大丈夫かい?」
「うん、平気だよ。ちょっとびっくりしたけどー」


 ビッキー。この世界でも稀なテレポート能力を持つ少女は、ポゥの膝の上でちょこんと正座するとほんわか笑っている。

 そんな彼女をみてポゥははたと気付く。何かがおかしい。


 テレポートの失敗など彼女にとっては日常茶飯事であるし、その笑顔も一見いつもと変わらないようにも見えるが、ただ仲間という言葉で括るには些か長すぎる時間を共に過ごしてきたポゥには、そこに潜む僅かな違和感に気付いた。

 いつもよりほんの少し崩れた笑顔、頼りなく揺れる瞳、そして微かに上気した頬。


「ビッキー、もしかしてお酒飲んでる?」


 少しの逡巡の後、殆ど確信をこめたポゥの言葉に彼女は満面の笑みを浮かべて否定する。


「まさか、そんなことしてないよー。メグちゃんが薦めてくれたアイスクリームがなんだか不思議な味で面白かったから、いっぱい食べちゃったけどー」


 否定になってなかった。夜露の冷たさを背中いっぱいに感じながらポゥは頭を抱える。大体、彼女がここに来てしまったら、自分がわざわざ忍んで抜け出してきた意味が全くないのだ。


「ポゥさん、どうしたの〜?」


 普段と変わらないようでありながらも幾分艶のあるその声にポゥの胸は躍り、それから憤慨した。
 自分の考えにこの能天気の代名詞みたいな少女は気付いてもいないと。


 だが次の瞬間には、それが自分が彼女を選んだ理由なのだと言うことに気づいて苦笑してしまう。ビッキーもつられるようにしてとろんとした笑みを彼に向けた。真夜中の裏庭には過ぎた暖かさが二人を包む。


 最後にもう少しだけ、この暖かさを。
 ポゥは闇に溶けるような少女の黒髪を手ですき上げながら、もはや彼女だけしか見ることの出来ない種類の笑みを少女に向けた。勤めていつもと変わらないように優しい声色で会話を続ける。


「ねえ、ビッキー。なんでテレポートなんか使ったんだい?」
「だってね、どこ探してもポゥさん、居なかったからー。『誰か』のところを目指して跳んだことなんてなかったから、少し不安だったけどー」


 でも、ちゃんと出来たから良かった。そう言って彼女は笑った。だが、その笑顔はふいに消え失せてしまう。
目の前でポゥが思いつめた表情をしているのに気付いたから。


「……どうしたの、ポゥさん? なんでそんなに怖い顔してるの?」
「駄目だよ、ビッキー。もう二度と僕を追っちゃ駄目だ」


 言いながら、左手でそっと彼女を抱き寄せる。ビッキーは戦いの中でたくましく鍛えられたポゥの胸板に顔を押し付けられ、ポゥの顔を見ることが出来ない。


「え、え、何で? ねえ、ポゥさん? ねえポゥさんってばぁっ!!」


 突然の言葉と顔が見えない事に不安を覚えたのか、普段から想像できないような強い動きでもがく彼女を彼は更に強く抱え込む。だが、あくまでも片手で。利き手であるはずの右手は何故か強く拳が握られ、地面に押し付けられていた。


 まるでその皮手袋の下にあるものを隠そうとでもしているかのように。
 いや、事実隠そうとしているのだろう。そこに宿っているものを知る人間なら誰でもそう思うに違いない。


 ソウルイーター。本来は生と死を司る紋章と呼ばれる真なる27の紋章のひとつ。
 その神秘的な名称とは裏腹に継承者の持ち主に近しいものの命を次々に奪っていく魔性の力。


 ポゥにとってもそれは例外でなかった。親友、恩師、肉親――勿論、そういう人間たちを失ってきたのは自分だけではない。多くの人間がこの戦争で大切なものを失っている。それもまた今日という結末の原動力であったのだから。


 ただ一つだけ彼が他の人間と違うのは、彼が「これからも失い続ける運命にある」こと。
 ソウルイーターが彼の手に刻まれている限り、それから逃れる術はない。


 だから、彼は此処を離れようとしている。共に死線を渡った無二の戦友たちや何よりも今きつく抱き締めている手の中の少女を永遠に失わないように。それが彼に考えうる最良の選択だった。


「駄目だよ、ポゥさん!」


 突然、ビッキーの強い声と彼女の杖が地面に落ちる音がしてポゥは我に返る。と、いつの間にかきつい抱擁から抜け出していたビッキーに右腕を取られていて驚愕する。だが、それを振り払うことは出来なかった。
 彼女の頬に伝う涙に気付いたから。


「ビッキー……?」


 なぜ泣いているのか。初めてみる表情に戸惑いながらも、ポゥは左手をゆっくりと頬に伸ばし、その涙をぬぐおうとする。

 だが、ビッキーはその手をすり抜けると、思いもよらぬ素早さで自らポゥの胸元に飛び込んだ。


「なんだか良く分からないけど、ポゥさんのやろうとしてる事って違うと思う! だって、今のポゥさん、すごく寂しそうな、辛そうな顔してるもの、そんなの変だよっ!」


 彼の胸元から濡れた眼で見上げ、彼の右腕を握り締めたまま叫ぶ彼女にポゥは言葉を失った。


「……そうかもしれないな」


 しばらくして、殆ど独り言のように口をついて出たポゥの言葉にビッキーが顔を上げる。
 だが、そこに笑顔は戻らない。年齢にそぐわないほどに純粋な彼女は直感で理解してしまったから。例え何が起ころうと彼の決意は決して揺らがないということに。


     他に方法はないのかな? 何かわたしができること、ないかな?」


 ある訳がない。だが、ポゥは鋭利な刃のようなそのセリフを言葉にはしなかった。
 ただ、自分に出来る最善の約束を彼女と何より自分のためにしようと思っただけだ。


「ちゃんと逢いにくるよ。忘れられないようにさ」


 君が運命に喰われないように。その無慈悲な眼が他所を向いている瞬間を狙って。


「うん。……本当だよね?」


 当たり前だ。失くしたくない位に君が必要。その所為で君を傷つけるのだとしても僕はその気持ちを押し止める事が出来ない。何故なら僕は知っているから。


「それにあんまり長い間ビッキーを独りにしておくと、周りが大変そうだしね」


 結局は君を失うという事を。時が僕だけを置き去りにする以上、僕は必ず君を失う。


「うわ、それってなんだかひどくない?!」


 そして、思い出より遥かに長い喪失の時を味わう事になる。それが僕の選んだ残酷すぎる運命。


「だって、本当のことだろう?」


 それでも想う気持ちは止められないから。人である限りはそれが真実だから。


「!! うう、意地悪……」


 だから、君に少しの傷とありったけの愛を。それしか自分には選べない。


     ほら、そろそろ誰かが探しに来る頃だよ。戻った方がいい」


 そうして、ポゥが静かな声でこの時間の終りを告げた。


 一晩中続くだろうと思われた歓声がか細くなってきている。誰かがこちらに来る前に出発したい。そんな気持ちを言外に込めながら、ポゥはビッキーをそっと突き放す。彼女は少しの間迷っていたようだったが、やがて決心したように落ちていたワンドを掴み取り、勢いよく立ち上がった。眼は少しだけ赤くなっているが、そう目立つものではない。それでも聡い者には気付かれるのだろうが。


「ねえ、フリックさん達に伝えておくことあるかな?」
「ううん、いいよ。また逢いに来た時で」


 だから、ポゥは言付けを頼まなかった。そして、少しだけ自己嫌悪に陥る。
 彼女を泣かせたのを棚に上げて、それを自分だけの特権にしておきたいと思う自分に。
 そして、何よりもそれがこの決断の本質であるように思えたから。


「うん、分かった」


 ポゥのそんな考えには気付きもせず、ビッキーは笑う。もう全てを忘れたように信じきった顔で。


「それじゃ、わたし行くね!」


 少しかすれた声にめいっぱいの元気を詰めてそう言うと、ビッキーは愛用のワンドを振り上げた。


「え、ビッキー、なんで     


 歩いて三分もかからない距離にテレポートを? ポゥのもっともな疑問は、だが、言葉にならず途中で飲み込まれてしまった。


 テレポートが発動する時に周囲に浮かぶ蒼い燐光。それはいつも通りだ。
 だが、量が違う。いつもは対象の周りを淡く彩るだけのそれは、もはやビッキーの全身を隈なく多い、しかもまるで羽虫の群れのように彼女の周りを忙しなく飛び回っている。


 術をかける際には瞑眼するビッキーはそれに気付いていない。蒼光ごしに見える彼女の顔がひどく遠いものに見える。ポゥはもう何も考えられなくなって、光の塊のような彼女に掴みかかった。


「ビッキー!!」


 瞬間、彼女を包んだ燐光が纏めて爆発した。いかなる紋章術を持ってしても作り出せないような光が辺りを包み、ポゥの目を灼いた。その中でポゥは確かに見た。


 蒼から白に変わった光の中、愛する少女が花のような満面の笑みを浮かべているのを。







「ハア、釣れないなー……」


 ちっとも成果の上がらない釣りを一時中断したポゥは手近な茂みに釣竿を突っ込むと、大の字に寝っころがった。うららかな日差しを受けて温まった草原が背中に気持ちいい。空では中天を僅かに超えた太陽が細切れになったような雲に取り囲まれている。眼を閉じると風の舞う音が耳で踊った。


 あれから三年が経った。何人かの仲間とは時おり交流を暖めているし、たまに今やトラン共和国の首都となったグレッグミンスターへ足を運ぶこともある。

 だが、あれからビッキーの姿を見ることはなかった。仲間の中でも会った者はいないという。この三年間、ポゥは世界中を回った。そもそも、出逢いからしてテレポートの失敗だったのだ。


 あの時、どこから来たのかは結局聞きそびれてしまったが、それでも世界のどこかにはいるはず、そう思ってのことだった。


 だが、彼女は今も消えうせたままだ。最後に一輪の笑みを残したまま。


 最初は後悔の連続だった。自分の軽はずみな決断がこんな結末を招いたのではないか、理論も何もあったものではない、短絡的な自虐に苛まれた。そして、その後には猜疑。彼女は呪われた自分から逃げ出したに過ぎないのではないか。あの笑顔はただの最後通告だったのではないか。そんな行き場のない絶望に襲われた夜もあった。


 今、全てが過ぎ去った凪のような静けさの中、改めて彼女の事を想う。
 彼女の何気なく呟いた一片の言葉を思い出す。


     他に方法はないのかな? 何かわたしができること、ないかな?」


 そんなことがあるわけはないと思った。空間を跳び越える能力。それが時間にすら作用するなど。


 ただ、もしそうなら。いつとも知れない時の果てで彼女が待っていてくれるなら。
 跳び越えた時間の先にいる少女を自分が探せばいいだけなのなら、自分は少なくとも彼女に孤独を与え、彼女が死に囚われる事を恐れることはない。

 もしそうならそんなに幸せなことはないと思う。そして、いつしかそれを信じる自分がそこにいた。


 物思いの底に沈む意識に足音が遠くから響いてくる。エリだろうか、ポゥは思う。この村に滞在している自分にあれこれ世話を焼いてくれる少女。

 だが、どうも様子が違うようだった。見知ったものよりもずっと多い足音。ゆっくりと眼を開け起き上がる。


「あ!!! ポゥさん!! こ、こんにちは!!!!!」


 ビッキーがいた。あの頃と何一つ変わらない彼女があの頃と同じようにめぐるましく表情を変える。

 当然だ。時の流れは彼女を捕えていなかったのだから。


 ポゥは笑った。声も高らかに、ずっと昔運命に囚われてなかった頃のように。ビッキーは訳も分からずただ目を丸くしている。ひょっとしたら、自分が起こした奇跡に気付いてすらいないのかもしれない。ありえない事じゃない。

 だったら、ゆっくり話していこう。ポゥは困惑しながら近づいてくる少女をいとおしげに眼を細めて見上げながらそう思った。


 そう、それで構わない。何故なら『二度目の』二人の時間はまだたっぷりと残っているのだから。











                                         END


■石猫のタワゴト■

坊ちゃんの心の軌跡がせつなくも愛しいデス。
暗い淵を彷徨いながらも奇跡を信じる心。
やはり強いヒトです、坊ちゃん。

跳び越えた時間の先にいる彼女を目指して自分も時を渡る。
それなら永遠なんて永くも遠くもありませんね〜。
もしかしたら真の紋章持ちのなかで最も幸せ者では?

人間いつも前向きでいれば怖いモノ無し。
そして最後に大きくてささやかなシアワセを掴むのです〜。



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