2002/09/28

月の潮見表






 真夜中を少し過ぎた頃、リアンはひとり居間の窓から夜空を見上げていた。淡い月の光に照らされた邸内は水を打ったような静けさに包まれている。



     ん?」



 ふと眉をひそめた。静かに耳をそばだてると、廊下の向こうからなにやら変な音が聞こえてくる。ズルズル、パタンと何か重い物を引きずっては倒れる奇妙な物音はたまに休憩しながら延々と続き、ついに居間にまで達した。リアンは少し肩をすくめるとゆっくり振り返ってたずねた。



「ロディ。こんな時間に何してるんだい?」
「あ〜とうさん〜!」



 父親の声に嬉しそうに顔を上げたせいで足下への注意がお留守になり、黒髪・黄緑の瞳の可愛らしい少年は引きずっていた本と仲良く一緒にすっ転んだ。しかし彼は少しもメゲず元気よく起きあがり、ニコニコご機嫌な笑顔で手にした本を差し出した。



「あのねあのね!かあさんに読んでもらうの〜」
「…………これは」



 5歳児が運ぶにしてはあまりに大きすぎるその本のタイトルは、『トランこども年代記シリーズ1・帝国の愛』。これぞ今を去ること100と数十年前、帝国6将軍ミルイヒ・オッペンハイマーによって書かれたとされる幻のトンデモ脚本のノベライズ版だった。



「やれやれ、まだ残ってたのか。全部処分したと思ったんだけどね」



 ちなみに原本は内容的に著しい偏向が見られるために、当局(正確には当時のトランの英雄)の手によって回収・発禁処分にされていたりする。


 「明日一番にこんなもの復刊した馬鹿な業者ごと処分しなければ」。なんとも物騒なことを心の中で誓いつつリアンは右手を宙に翻し、なにもない空間から1冊の本を取り出す。素早く問題の書籍と取り替えると、いわく意味ありげな笑みとともに差し出した。



「こっちのほうがずっと面白いよ」
「ほんと?どんなおはなし?」
「短絡思考のおサルさんがオババの血吸いコーモリと森のクマさん&その青い腐れ縁の相棒をお供に引き連れて、蒼き月の鬼ヶ島に変態吸血鬼を退治しに行く話さ」

「うわぁ〜すごいな!悪いようかいをたいじするんだね!」
「どっちかと言えばおサルさんたち一行のがアクニンっぽいけどね」



 リアンは目を輝かせて素直に喜ぶ息子をひょいっと抱き上げると、微妙にナナメな書評を付け加えた。「ええ?おさるさんってアクニン?」と真剣に悩むロディの様子を面白おかしく眺めたあと、窓に目を移す。いつのまにか満ちた月が天頂にまで達していた。



「わぁ!まんまるお月さまだ〜!」
「今日は中秋だからね」
「ふーん???ねぇねぇ、なんでお月さまはいつもおんなじ顔なの?」
「この星の潮汐力による外殻の劣化破壊を防ぐために、月が周回速度と自転速度を同期させているから」
「ほぇ?????」



 立て板に水のごとく流れ出る専門用語についていけず、当惑した顔で首を左右に傾けるロディ。リアンは苦笑しながら先程の内容を言い換えた。



「手っ取り早く言えば、僕たちの住むこの星が月を引き寄せてるのさ」
「引っぱってるの?」
「うん。だから見えるのはいつも同じ場所」
「そっかーお星さま、さびしいんだね」
     寂しい…か。ロディはいつも面白いこと言うね」



 少し目を細めてリアンは楽しげにつぶやいた。



「早くしないと母さん、どこかに跳んでっちゃうぞ」
「あ、そうだね。いそがなきゃ〜」
「……そこ、ぜんぜん座標ちがうよ」



 リアンは位相空間に移ろうとするロディを引っぱり戻すと、寝室まで一気に跳ばした。一般家庭とは異なり、マクドール家の母子においては予期せぬテレポート事件など日常茶飯事なのだ。この二人の好きにさせておいたらどこまで跳んで行くやら見当もつかない。



「さて……と」



 裏口へ通じる扉に手をかける。音をたてないようにそっとくぐり抜け、あたりを見回した。前庭と異なり裏庭には桁外れに巨大なススキが繁茂している。実はこのススキヶ原出現の直接的原因は、リアンの研究室より排出された化学物質だったりする。



「いい加減なんとかしなきゃね。動植物縮小剤でも作るかな?」



 腕組みしながら狂科学者的な見解を示した。刈るとか引っこ抜くとかいった常識的発想など、リアンの心の辞書には存在しないのだ。ふと小さな道のような跡が残されているのに気づく。ススキが左右に倒されて人ひとりがやっと通れるほどの幅のケモノ道となっていた。



「ふーん。あの二人、ここから来たんだね」



 がさがさとススキの海に分け入ると、道伝いに転々となにやら白いモノが落ちている。拾い上げてまじまじと眺めると、それは採ったばかりのムササビの卵だった。月の光に反射してきらきら輝く卵は、まるで昔話に出てくる光る小石の目印のようだ。リアンは道すがら卵を拾いながらてくてくと歩き出した。



「星は寂しいから月を引き寄せる……か」



 雲に隠れて薄霞む月を眺めながらつぶやいた。




この星の潮汐力は月本来の軌道をねじ曲げるほど傲慢にして強大。
それは月が別次元より飛来した数十億年前より変わらぬ事実。
オマケに星はその持てる力でむりやり自分の方を向かせているのだから。



「月もまた、とんでもないヤツに気に入られたもんだね」



 リアンは皮肉めいた口調で肩をすくめた。同時に視界が開ける。狭いススキの通路から目の前の広い空間へと歩を進めた。



 ゆっくりと雲が動いていく。ぼんやりとかすんで見えていた月が、少しずつ本来の輝きを放ち始める。リアンは刻一刻と明るさを増す月に目をやったまま静かに佇んでいた。





本当に君の行動は予測がつかないから。



「月の潮見表でも作るかな?」



 突如、昼と見紛うほどの輝きが地上に降り注いだ。リアンが月へ両手を伸ばすのとほぼ同時に、ほぇほぇ口調のヘタレた叫びがこだました。



「うきゃ〜〜〜!誰か〜た〜す〜け〜て〜〜〜〜〜〜!!!」



 真上から勢いよく落ちてきた少女を軽々と受け止める。



「やぁビッキー。元気そうだね」
「ほえ?………リリリ…リアンさん〜〜〜!?」



 わたわたと四方八方を見回すと馴染み深い黄の瞳と目が合った。二、三度首を振ったあと、ビッキーは陽の光のように独特な色彩を帯びたその瞳に映る自分の姿をまじまじと見つめる。彼女が「今どこで自分が何をしているのか」状況把握するにはそれからさらに数分間を要した。



「えええ?てことは……わたしまた失敗しちゃったの〜〜〜?」
「小さい君とロディが言ってたコトから察するに、たぶんそうなんだろうね」
「?あれあれリアンさん、なんでビッキーちゃんとロディ君、知ってるの〜?」
「さっき落ちてきたから」



 リアンはそれ以上でも以下でもなくひたすら簡潔に答えると、さきほど回収したムササビ卵入りの袋をビッキーに手渡した。



「うーん?どうしてわたし、いっつもリアンさんのトコに落ちるのかなぁ?」
「星の潮汐力が引き寄せてるから」
「ほぇ???」
「別名:愛のキセキとも言うね」
「う・うきゃきゃきゃ〜〜〜〜〜!?」



 サラリと告げられたその言葉にビッキーは真っ赤になってじたばた暴れ出す。リアンはワザとらしくため息をつくと、真正面から彼女の顔を覗き込んだ。



「ふーん?ビッキーは僕のトコに落ちてくるの嫌なんだ?」
「え・ええっ!?そ、そんなこと全然ないよ〜〜〜〜〜!!!」
「ホント?」
「うんうん!もうわたし、すーっごく嬉しいんだもん!!!」



 自信満々に断言するビッキーの瞳をじっと見つめる。黄色の双眸に優しげな光を湛えながら、リアンはビッキーの耳元でささやいた。



「そっか。     ありがとう」
「ほぇ???」



 いまいち状況が掴めず、目を丸くして首を傾げるビッキー。リアンはそんな彼女の仕草に少し笑うと、顔を上げて輝く月に目を向けた。



「だったら月も引き寄せられるのが嫌じゃないのかもね」
「?なにソレ???」
「寂しい星のひとりごと」




 ビッキーを抱きしめる手に一層力を込めると、リアンは実に楽しげにつぶやいた。












                                                 END


 月見て跳ねるの続編。捕獲説でも分裂説でも双子集積説でも、はたまた巨大衝突説でもございません。だって幻水世界は太陽系じゃないし〜。なのでココの月は何十億年前にどこからともなく跳んできて、この星の引力に捕まって幾星霜ってことにしといて下さい。←オイオイ?

 妻子をほっぽらかして過去の女と逢い引きするリアン。こう書くとなんか昼メロのよーだ。妻も過去の女も同一人物なんだけど(笑)。それにしてもロディ君は「トランこども年代記シリーズ2・決戦・ネクロード」をビッキーに読んで貰えたのでしょーか?


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