2002/04/10



永遠への権興



春の風は、自身の色をかき消すように、そしてその匂いを降らせるように、強く激しく、気高く世界を駆けていた。



薄紅色の花びらが視界を覆う。

麓に立つ少年の遥か上を行く巨木は、その枝を飾る満面の桜色を、惜しげもなく地面に降らせていた。


立ち並ぶ木々は同じように風に身を任せ、互いに競い合うかのように花を咲かせたその木々達は、その色を大地にももたらさんと、絶えることなく緑の大地に雫を落とす。




照らす陽に包まれて、青に映える薄紅色を、全てを覆い隠すかのように風に送るその木々は、一斉に咲き乱れた喜びを、まるで伝えんとするかのように。

この世に出でたこの奇跡を、まるで分け与えんとするかのように。


自然の成すこの至妙な演出は、古より人々の心を捉えて離さぬものであった。




春を愛で、花を愛で、愛にあふれるこの季節を、人々は幾度も讃えて歌う。
けれど、この慈しむべき春の画は、いつかそれを運ぶ春の風に消されていくのだ。

頭上を覆う玲瓏たる桜の光は、時と共に散り行きて、春の香りを残す風の中で、その姿を消してゆく。


散り行く桜のその様は、その儚さと美しさは、人の心にあわれを誘い、心に揺らぐ哀愁の情を、人々はこう呼んだ。はるか昔から、今もずっと、こう呼ばれてきた。




無常、と。



変わり続けいずれは消える運命を、儚くも美しく讃え、そして哀憐の念を込めて、人々はこう謳う。



「色は匂えど、散りぬるを…。」



古来より伝わるその唄を口ずさみ、彼は闇色の瞳を眼前の景色にめぐらせた。



咲き乱れる桜の林。

鮮やかに咲き揃う桜の景色。



力強く咲き零れ、誇示するように咲き匂い。決して驕ることなく、華美なる花は自らの命の短さ故に、持てる力の全てで咲き誇る。


そして舞い散る、その欠片のなんと美しいことよ。



ハラハラと頼りなげに宙を舞うその花弁を、右手を差し出し受け止める。黒い手袋に落ちた可憐な花びらは、その生き様を小さき身に映し出しいてた。




「今年もまた、花が散る。」



追想するように仰いだ黒髪の少年に、その桜の木は、ざわりと音を立てて更なる花びらを頭上に降らせた。


今年もまた、世界は変わらず季節を廻る。
ラビス・マクドールという自身の名さえ、既に知る者の少ない世界で、毎年訪れる自分を迎えてくれたのはこの桜並木。時の流れを感じながらも、咲くごとに色を増していったこの桜の景色。


散っては咲き、咲いては散って、移り変わりながらもこの美しさは決して変わることはなく。
ゆっくりと瞼を下ろして、深く深く、春の吐息を呑み込むと、うららかな景色が脳裏をついた。

音も香りも、こんなにも春の色に包まれているのに、花は次々と散ってゆく。




「古人が嘆いたのも頷けるね。」



くすりと笑みを漏らして、かつての英雄はひどく穏やかに空を仰いだ。



「ただし…、彼らの読みはちょっと甘かったみたいだけど。」



季節と共に廻りゆく情景に、彼らは己の無常を詩に詠んだ。誰の上にも等しく、時は流れ行くのだと。その上で立ち止まることは、どんな人間にも不可能であると。




「“若よ誰そ、常ならむ”。残念だけど、僕こそが“常”であるんだよ。」



少年のまま、変わらぬ姿。ある日突然、時を刻むことをやめた身体。それを見せ付けるように、彼は大きく両手を開いた。はためくローブが、心地よいほどの音を立てた。


かつて、帝都と呼ばれたこの場所で。



幾年か前までは、栄える街はグレックミンスターと、そう呼ばれ、人々の声も絶えなかった。
遥かな故郷。
今は薄く、紅の雨を降らすのみ。



その丘からの風景は、愕然とするほど変わってしまっていたけれど、ここを駆ける風の温かさは今も昔も変わらない。街に捨てられたように在る教会から、今にも歌声が聞こえてきそうだった。何年も何年も、気が遠くなるほどの昔に聞いた、今はもう忘れ去られた賛美の聖歌。




始まりの歌。


時を繋ぐ、喜びの賛歌。



「喜び讃えよ…。」


春の風に声を乗せる。




「今日こそ神がつくられた日。」



過去を隔てる、憂いにも似た時空の山を越えて。





「今日こそ、永遠なる約束を果たされた日。」





少年の声に合わせるかのように、かつての日と同じ緑色の光が、空中で時空の果てから現れた。




「きゃああああ〜〜〜〜〜!!!!」



愛らしくも甲高い声が、突如平和な桜並木を揺るがした。

空の彼方から現れたのは、清純な白のローブを纏い長い黒髪を豊かに揺らす、一見すれば…そう、静かに佇んでいる姿を一見しただけならば、春の女神と見紛うほどに可憐な少女。


しかしその美少女は、耳を劈くほどの悲鳴と共に、重力という自然の法則に従って緑の大地に全身をぶつける、はずだった。


のだが、しかし予想したその衝撃は、彼女の身には起こらなかった。
なぜならば。




「はりゃ?ラビスさん???」



突如現れた春の女神は、その深い青色の瞳を大きく瞬かせて、目の前で至上の笑みを見せるかつての軍主に疑問符を投げつけていた。




私ケーキ食べようとしてたんだけど…、ここにケーキないよねぇ。

ラビスさん、確かまた旅に出るとか言ってなかったっけ、いつ帰ってきたのかなぁ。

でも何でラビスさん笑ってるんだろう。



などなど、疑問符の内容は多様に渡っていたのだが、一番の疑問点は、彼の顔が非常に近いところにある、ということだった。




「おかえり、ビッキー。」
「え???は、はい!た、ただいま……????」



少年の発した吐息に前髪が揺れるほどの距離で囁かれた突飛な言葉に、反射的に返答する。そして体を起こそうと微動したビッキーは、そこで始めて、自分の体が地面に触れていないことに気が付いた。




「あれ??」



パタパタと足を動かして、頭上にあるラビスの顔をしばらく見つめて、漸く、彼の腕に抱かれている自分の状況を理解した彼女は。



「きゃあああああ???!!!!」



現れた時とさして変わらぬ音量で叫ぶ。




「ラ、ラララララビスさん〜〜〜〜〜〜〜〜??????」
「何?」

「な、なに、じゃなくて………え、え、えええぇぇぇ〜〜〜〜??????」



絶叫しながらパニクるビッキーに、ラビスは声を上げて笑った。何を笑われているのか分からぬまま、紅潮した顔を歪めて、手に持ったロッドを力いっぱい握り締める。




「せっかく春の女神を手に入れたんだから、そんなに硬直しないでよ、ビッキー。」
「へ?な、なに??は、春???」



彼女の頭上に渦巻きが見えるほど、目一杯うろたえる彼女は、本当に出会った時から変わらない。


何年も何年も、変わらぬ姿に時を重ねながら、待ち望んだのはこの温もり。過ぎ行く世界を眺めながら、愛しい人達を見送り続け、桜の成長と共に生きてきたのはこの存在があったから。




「ま、そんなことよりも。」



温もりを惜しみながらも、生える草の上に彼女を降ろす。
乾いた音を足元で立てたのを確認して、ラビスは彼女の両目を片手で覆った。




「ラ??ラビスさん???」



いきなり暗転した視界に戸惑いを表すビッキー。




「はいはい、ちょっと黙って、こっち向いてね。」



片手で右手に手を置いて、彼女の体を90度回す。




「何?なになになに?」



手袋の下でビッキーが瞬きする。彼女の体を抱くような体勢で、耳元に軽く言葉を発する。




「さてビッキー。今日が何の日か覚えてる?」
「ええぇぇぇ???今日???う…う〜〜ん。」



たった今突如としてこの日この場所に現れた少女に、無理難問を投げつけるラビスは、至極楽しそうに笑っていた。




「忘れたの?」
「ええええ?ちょ…ちょっと待って〜〜〜!!」



分かるはずのない問いかけに、律儀にも答えようと頑張るビッキーだが、しかし時をすっ飛ばしてたどり着いたこの日が何を意味するかなど、推測するのも難しい。




「え〜っと、え〜っと、え〜〜〜…っとぉ…??」
「ブーー、時間切れ。」



楽しそうな声と共に、ビッキーの悔しそうな声が響く。
ひとしきり笑った後、ラビスはゆっくりと彼女の視界を解放した。




「…今日はね。」



いきなり投げ出された光の中で、まぶしそうに瞬きを繰り替えす少女の瞳に映ったものは。




「すべてが始まった日。そして…」



悠久なる大地に染まる薄紅色。




「すべてが始まる日。」



彼方にそびえる翠巒さえ、その色に覆われて。
見事に花開いた、満開の桜並木。

丘の上に見渡す限りに佇立する桜色は、まるで世界がその色一色に染められてしまったかのように。
花は苑として雲のごとく、その様はまるで異世界にいるような感覚さえ呼び起こした。




「………さくら??」



普段の彼女に珍しく、呟くように掠れた声での問うビッキー。




「そ。気に入った?」



いきなり目の前に広がった万頃の桜並木は、幻想を思わせるには十分で、恍惚としながら零した彼女の言葉に、ラビスは満足げに微笑んだ。




「すご…いぃ……。」



長く豊かな黒の髪を揺らしながら、ビッキーはただ呆然と立ち尽くしていた。


己を取り巻く桜色の空間を呼吸も忘れて見渡す。
絶えず雨下する花弁の舞は、紺の瞳に瞬きの間さえ惜しませていた。




「夢の中に…いるみたい……。」



全景を覆う薄紅色は、穏やか過ぎる春の色。浮かぶ花びらは時を駆ける香りとなって、屹立する山の果てから空へと昇る。かつて栄えた街は、その桜の中、静かに時を身に受けて。


その情景はまさしく夢想。



変わり行く世界が見せる、無常であることの美しさ。




そしてその、幻と言わんばかりの景色の中で、闇色の瞳を持つ少年は、桜の下に佇む少女の横顔を飽きることなく眺めていた。




「ラビスさん…、これって夢かなぁ…。」



惚けるように発した言葉。ラビスはそれに、一瞬の間もなく答えを返した。



「君を連れて行くって、約束しただろ?」



忘れたの、と問う彼に、少女は息を飲んだ。




「え、え?これって、これって……っ!?」
「満目これ桜の景色を、君にあげるって、そう言ったよね?」



だからこれは全部ビッキーのものだよ。



そう言ってラビスは、継ぐ言葉が見つからないという風に、開口したまま固まった少女に、肯定のための笑みを返した。



変わり続ける世界の中で、決して色褪せぬことのない約束。




「気に入らなかった?」



見通すような瞳を向けて、ラビスが問いかけというより是認を促すように言葉をかける。けれどビッキーはブンブンと頭を降った。




「そそそそんなこと!!!ホントにホントに綺麗でっ、すごい…しっ!!」



そこまで言って、ビッキーは再び口を開けたまま固まってしまう。


風が彼女のローブをはためかす。漸く動き始めた口をパクパクと空回りさせて、ビッキーは再度桜に目をやった。
彼女にとって“彼”と別れたのは数瞬前。けれどそれは、長い空白だと思っていたから。




「でも…でも…、なんか…、すごいし、すごくて…、やっぱりっっ。」



純美すぎる景色は壮大すぎて。彼の存在が嬉しすぎて。




「やっ、やっぱり夢みたい〜…。」



へなへなとへたり込んだ彼女に合わせて腰をかがめる。




「僕にとっては、こっちのほうが夢なんだけど。」
「ふえ???」



涙さえ浮かべるビッキーに、ラビスはにこりと微笑んだ。


時の彼方から桜の中に現れた少女。過ぎ去った時の、未来へ続く果てなき思いは、不変の姿と反することなく。古より伝わる摂理を破るように風に乗って現れたこの情景は、奇跡と呼ぶには相応しすぎる。幾星霜を隔てた出会いは、夢と言われてもおかしくはない。




「でもね…。」



困惑するビッキーに、悪戯を仕掛けるように囁いた。




いつかは散ってしまう花。いずれは終わる甘美な夢。酔いしれた分だけ絶望が襲う。


古人が詠んだ無常というその言葉。



けれど。




「ねぇビッキー、知ってるかい?」



春の風の中で、時を溶かす桜の匂いは、物も言わずただ、たった二人のためだけに、彼らを守るように、その欠片を降らし続ける。




これが夢だと言うならば。


いずれは醒めると言うならば。




心にきつく願えばいい。


この奇跡が、一瞬でも長く続くことを。




そして強く誓えばいい。


この夢を、未来永劫見続けることを。





僕たちは、その夢のことをこう呼ぶから。







「永遠に醒めない夢のことをね、現実って言うんだよ。」













                                                 END


■咲乃さんの一言■

「果てなき祈り」の続編です。前回の不足すぎた説明を補おうと思って書いたはずだったんですが、あまり役割を果たせていないダメダメな私。

今回の場所は前回の丘の上とまったく同じとなっております。しかし何故いきなり桜が?答えは簡単。作ったんです。彼が自分で(大爆笑)。「いつか見た桜並木」=「いつか見た景色に咲く桜並木」だったわけですねぇ。

ネタはご存知「いろはカルタ」なのですが、採用したのは「浅き夢見し」まで。最後の「えひもせすん」って意味あるんでしょうか。どなたか知ってたら教えてください。

■石猫のタワゴト■

さすが坊ちゃんデス!
理想の桜並木を自作してしまいましたか!!
まさしく愛は根性。

この世は所詮、有為転変。
うつろいゆく時のなか。
うつろわざりし彼の人は何を見、そして何をか思わん?
てなカンジに今は無き故郷を見晴るかす坊がステキ過ぎですv
全力を尽くして永遠に覚めない夢を紡いでくださいませ、坊ちゃん!
世界の終わりまで仲良く追いかけっこしながら何処までも。

「浅き夢見し酔ひもせず」。
浅はかな夢に溺れずに、とゆー意味だったと思いますが。
ならば真剣に夢を見ればオールオッケー?←なんか違う



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