■■ 034: ぬくもり ■■






真夜中。ビュッデヒュッケの城から抜け出す影がふたつ

大分離れた、切り立った丘の上。
星の無い、冷たい月の浮ぶ空の下…。



ビッキーは寒い、とフェイに訴えかけた。
無理もない、冬の夜は何もかもを凍てつかせる寒さを持っている。
大きな樹の根元に座り込み、その小柄な体を優しく抱きしめた。



「…大丈夫か?」


震えている。
もともと体が強いほうでもないビッキーにこの寒さはこたえるようだ。



「だから、言ったろう。明るいうちにしたほうがいいって」



咎めるように、自分より頭ひとつぶん下にある頭を見下ろして言う。
自分の胸に顔を埋めているため、表情は見えない。
決してプラスの感情ではないはずだが、その言葉には首を横に振った。



呆れの溜め息をつく。
この少女の考えることは時々理解の範疇を超える。
そう、今も。



こんな真冬に外に行きたい、と言い出す考えがよくわからなかった



「…帰るぞ」

「やだ」



無言を通していたビッキーが間髪入れずに拒否の意を示して、青年の顔を見上げた。
闇に溶ける黒髪に、黒い服。
トレードマークのバンダナは、今、ビッキーの部屋の机の中にある。
はじめて会ったとき、そこから3年後は真っ赤だった服も、今は髪の毛と同じ闇色だ。
そんな闇をぎゅっと掴み、ビッキーはそこから動こうとしなかった



ぽん、と頭に手を置いてやると、ビッキーは顔をあげてフェイを見つめる。



「何がしたい」



優しげに微笑むその表情は、18年前の彼とは全く違った大人びて、落ち着いたものだった。
自分は時間を重ねてはいないけど、ちゃんと「成長」はしているフェイが居ることに、少しだけ羨望をこめた瞳を向ける。
質問への答えは間があったが考えるそぶりはなかった。



「このまま」



短く言った言葉に再び、切れ長の目を丸くするフェイ。
そこから再び溜め息が漏れて、強くビッキーを抱きしめた。



「…どうして」



取りあえず願いを聞き入れるも、理由がわからないために質問を続けた。
意外なほど早く答えは出る



「…あったかいから」



胸に顔をすりよせ、じゃれる仔猫のように、うっとりとした声でビッキーは言った。
確かに、人の温もりはよく言われるようにとても暖かいものだ。
寒さとのギャップがとても心地良いのか、ビッキーは暫くその動作を続ける。
仕方なしにと言うようにフェイはビッキーの頭を撫でて、樹に深くもたれかかった。



「…フェイさん、やっぱり、変わってない」



嬉しそうに呟いたその言葉は前後につながりのないものだったが、声音は意外なほどはっきりしている。



「35歳なのに」

「帰るか」

「あっ、あー…ごめんなさい…っ」



冗談をこめて言った台詞を聞くと、フェイが眉を顰めて立ち上がろうとしたので、慌ててなだめる。
否定が欲しかったが、それが意味をなさないことにフェイは妙な切なさを覚えた。
全く…、と口の中で呟き、ふと下を見れば、ビッキーと視線があった。
満面の笑みを浮かべてみせるビッキーに、フェイは不機嫌そうに顔をそらす。



「やっぱり変わってない」



それでも嬉しそうに笑むビッキーはそう言うと、再びフェイの胸に顔をうずめた。
ハルモニア製の服は柔らかくて、動きやすいらしく、肌をしずめても嫌な感触はなかった。



「あのね…寒いとね、すごくね、暖かいんだよ」



深く、深く言葉を紡いでいく様子は、どこか物語を紡いでいくようでもあって。
フェイは眼を細めて黙ってその続きを待った。



「だから…今、フェイさんがここにいる、ってわかるの」



その言葉はどこか寂しいものが込められていた。
フェイは気づいておらずとも、ビッキーにとってフェイはとても大きな存在となっている。
恋、とか、そういうものと、ほかにも別の。
それが、急に居なくなり、自分も時を越えてしまって。
2度と会えないと思っていて、よく涙を流していた。



「…寂しかったか…?」

「うん」



頷く声は段々やわらかくまどろんでいった。
温もりをいつも以上に感じていて、しかもこの時間だ。
そろそろ眠気が来たらしい。



「大丈夫だ、ここに居る」

「…うん…あったかい、から…わかるよ」



低く、優しげな声を聞くと、僅かに服を握る手に力が篭った。
その様子に気づいたのか、フェイは素直に微笑む。
ぽん、ぽんと赤子をあやすように優しく、ビッキーの背中を叩いていると、
そのうちか細い呼吸が寝息へと変わっていく。



「…暖かいから、か」



多くの血と涙を流した自分の体も確かに体温が通っていて。
それがこの少女を安心させてると思うと、少しだけ顔がほころんだ。



「…おやすみ…また、明日」



すやすやと心地よさそうに規則的な寝息を立てるビッキーに告げた。
ビッキーを姫抱きして立ち上がる。やはり、とても軽かった。
そして、彼女の体にも、きちんとぬくもりはあった。



ここに居るという確かな感触が伝わると、とても安堵できる。
暖かさ、そばにいるという事実が、少女の眠りを誘っていったのだろう。
フェイはそのままビュッデヒュッケへと足を進めた。
確かに、自分の腕の中にいるビッキーの暖かさを感じて。






結局帰ったのは明朝になり、門番のセシルに注意されるばかりか、昼過ぎまで寝てしまい、アップルやらに厳しいことを言われるはめになるのは、また別のお話。














Data
No. 034 :ぬくもり
Update 2003/06/27
Author 紅猫


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