■■ 006: 流れ星 ■■
群青色の空を横切る光を仰いでリアンが言った。 「ほら、またひとつ流れた」 「ど、どこ〜?」 大急ぎで視線を辿る。しかし時すでに遅く、流星は遠く山の端に消え失せていた。ビッキーはしばらく空を眺めたあと、途方にくれた表情で振り返った。 「リアンさ〜ん、なんにも見えないよ」 「ああ、今度は君の真後ろ」 「え? うしろ?」 「方位161.22、高度37.04」 「え・え・え? よくわかんないけどこっち?」 「そう。でも遅かったね。次は11時の方角」 「じゅ、じゅういちじ〜???」 矢継ぎ早に繰り出される専門用語の大波にのまれ、ビッキーの頭は真っ白になった。リアンはさらに容赦なく言葉を足す。 「天球上の輻射点から放射状に沿って……そっち反対だってば」 「ほ…ほえええ〜〜〜???」 あまり何度も方向転換したので頭がクラクラしてくる。ビッキーはバランスを崩して左右にふらつき、その場に尻餅をついてしまった。足下で目を回しながら周囲を見回すその姿は、巨大隕石に驚いて右往左往するテンジクネズミを見ているようでとても面白い。 今夜の流星群はただ見上げていれば事足りる大規模なものでないにしろ、それ相応の数はしっかり出現しているのだ。よほど運が悪いか動体視力が鈍くない限り、簡単に観察できるだろう。 なのにこれだけ粘って未だひとつの流星すら視界に納められないなんて、もはや立派な才能といえるかも知れない。内心苦笑しながらリアンが言った。 「いいかげん諦めたら? トロい…いや、おっとりした君には無理だと思うよ」 「でもでも、どうしても見たいの〜!」 ビッキーは断固として首を横に振った。いつもそれほど物事に執着しないクセに、今日ばかりはいいかげん往生際が悪い。リアンは妙に興味を惹かれてたずねた。 「なんでそんなに流れ星に執着してるのかな?」 「あのねあのね、お願いするの〜!」 「なにを?」 「わたしがこれからもずーっと…………」 言いかけてはたと口をつぐむ。 「た、たいしたことじゃないし〜。ね?」 「ふーん。だったら隠す必要もないよね」 リアンはにやりとした。 「さあて、なんなのかな? 真夜中にいきなり僕の頭上に降ってきたあげく、流れ星見学ツアーに引っ張り出してくれるほど“たいしたことじゃない”お願いって」 その言葉にビッキーは緑色の瞳を大きく見開いた。テレポート失敗で彼の上に落ちたのは事実だが、ついてきてくれと言った覚えはない。ビッキーがそう反論するよりも早く、リアンはたたみかけるように続けた。 「僕がビッキーのかわりにお願いしてあげるよ」 いっけん優しげなこの提案には、言うまでもなく「だから何? さっさと白状してね」という意図が込められている。 リアンは言葉に詰まるビッキーを楽しげに見下ろし、すっと両手を差しのべた。そのまま包み込むようにビッキーの頬に触れる。触れた手の心地よい冷たさとほてった顔の熱さを同時に感じ、背筋にぞくりと快感が走った。 ビッキーは予期せぬ展開になにも反応できず、そのまま固まってしまう。リアンは互いの吐息が感じられるほど間近に顔を寄せると、癪に障るほど余裕げな笑みを浮かべて言った。 「―――で、君の願い事はなにかな?」 黄の瞳に真っ向から見据えられてビッキーの思考が止まる。その瞬間、平常心を取り繕おうとする自分の心も、投げかけられた問いも、そして頬に感じるひんやりとした手のひらの感触すらもすべて忘れた。真昼の陽光を思わせる双眸から目がそらせない。互いに見つめ合ったまま、音もなく静かに時が流れていく。 かと思いきや、だしぬけにリアンが吹き出した。さきほどまでの真剣な表情はどこへやら、リアンは相好を崩して笑い続けている。 「な、なにがおかしいの?」 「ごめんごめん。さっき君が酸素不足の金魚みたいな表情してたの思い出して、つい」 ずいぶん酷い言い草ではあるが、とりあえず居心地悪い雰囲気から抜け出せてビッキーはほっとした。胸の奥にはまだ、苦しいようなせつないような、自分にも理解できない不可思議な衝動が残っているのだけれど。ビッキーは瞳をそらしてつぶやいた。 「わ、わたしのはいいから、リアンさんは自分のお願いすればいいでしょ〜」 「僕には星に叶えてもらいたい願い事なんか無いね」 リアンはひょいと肩をすくめた。 「そんな不確かなものに頼るより、自分で手に入れた方が早いじゃないか」 群青に塗り込めた夜空を背に、文字通り「何でも出来るし何でも持っている人間」は、こともなげに言い放った。他の者が使うと得てして大言壮語に終わるであろうセリフも、リアンが言うとやけに説得力があるから不思議だ。まさにそれが自明の理のように聞こえる。 すべてに桁外れで規格外の人間には、星に願いをかけるようなささやかで地味な行為なんて、無意味で馬鹿馬鹿しいことなのだろうか。ビッキーがぼんやり考えていると、 「ああ、ひとつだけ思いついた」 リアンはポンと手を叩き、やおら全天を振り仰いだ。淡い光の火花を散らして空を翔る星を目の端に留め、仰々しく三度手を打った。 「ビッキーがこれからもずっと僕の所に落ちてきますように」 単純でいてどこか人を喰った願い事が冬の澄んだ空気に響く。ワンテンポずれて、ビッキーがすっとんきょうな声で叫んだ。 「リ、リアンさん〜〜〜!?それどおいうこと〜!?」 「なに、なんか文句ある?」 「ええと…あのでもそれは…その………」 言えるものなら言ってみろとばかりに自信満々なリアンの問いに、ビッキーはしどろもどろにうつむいた。実は文句なら大ありなのだが、そんなこと馬鹿正直に言えるわけがない。 「うんうん。あるはずないよね」 ビッキーの心の葛藤を見透かすように、リアンが満足げにうなずく。ビッキーは拳を握りしめた。こちらが口に出せないと知っていてからかってるに違いない。なぜってわたしの願い事は……。 ふいにリアンの右手が東の空を指し示した。 「ほら、始まったみたいだよ」 つられて見上げたビッキーが息を呑んだ。濃い群青を重ねた夜空いっぱいに、雨あられの如く星の破片が降っていた。まばたきをするのも忘れ、食い入るように見とれていると、横でリアンが言った。 「これだけ降っていれば鈍…いや、ゆっくりした君でも見えるだろ。思う存分好きなだけ願掛けしたら?」 ビッキーはリアンの顔をまじまじと見つめた。あいかわらず腹の底の見えない笑顔を見せてはいるが、黄色の瞳に映る光はいつになく温かい。本当にこの人は優しいのやら意地悪なのやら。考えているうちになんだかおかしくなってビッキーも笑った。 ゆっくり頭をもたげ、間断なく降る流星雨に視線を戻す。ビッキーは思いがけず先を越されてしまった願いをつぶやいた。声に出さず胸の奥でこっそりと。 「これからもずっとリアンさんの上に落ちてこられますように」 |
*Data* | |
No. | 006 : 流れ星 |
Update | 2004/03/03 |
Author | 石猫麻里 |